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『<ほんとうの自分>のつくり方 自己物語の心理学』 [☆☆]

・自殺の連鎖反応を説明するものとして、「ウェルテル効果」というのがある。ウェルテル効果とは、自殺者の物語によって自殺が誘発されることをさす。この場合の物語というのは、小説のような物語でもよいし、事件を報道する新聞記事から汲み取れる実在の人物の生き方にみられる物語性でもよい。

・良い成績を取ろうと一所懸命勉強している人、運動部など部活に没頭している人、会社などで与えられた仕事に素直に精を出している人、つまり一定の社会的役割態度を何の疑問もなしに身につけている人たちを見るにつけ、その無邪気さ、気軽さをうらやましく思う反面、自分はそんなに単純ではないし、無神経でもない、といった自負心さえ抱いたりもする。

・個人を尊重し、個人の自由な選択に任せるといった時代の空気が、個人を路頭に迷わせることにつながっている。

・いじめという言葉が流行っていなかったなら、ちょっと喧嘩したとかいじわるされたくらいですんだことがらが、「いじめた─いじめられた」という枠組みが意識されることによって、深刻な対立の図式ができあがってしまうことが、多分にあるように思われてならない。

・自分の経験は、他者の承認によって社会化されないかぎり、モヤモヤしたまま溜め込まれたり、表現されたとしても単なる妄想にすぎないということになったりする。自分の経験を他者に承認してもらい、共有してもらうことで、世界の中に自分の経験を位置づけることができる。つまり、世界の中に自分の存立基盤を得ることができる。

・小さい頃から友だちと一緒に遊ぶことがほとんどなく、ゲームを相手に一人遊びしていたような子が、自己の経験を社会化するのに失敗し、妄想的な世界の住人となるようなケースがある。そのようなケースでは、経験を社会化するための語り方を体得していないというところに問題があるのだ。

・聞き手を前にして語ってはいるものの、そこで行われているのは、自分にとって納得のいく自己物語、しかも新たな現実に対しても有効に機能する自己物語の綴り方の模索である。何度も何度も語り直す中で、納得のいく適切な文脈が生み出されていく。

・自己を率直に語るというのは、相手がどんな反応をするかわからないといった不安を伴うものであり、勇気を要する行為であるといえる。

・どちらが正しいといった問題ではない。ものごとには多義性がある。とくに心理的な性質のものごとに関しては、あたかも多義図形を見るときのように、見る視点によって異なった意味が浮上してくる。問題となるのは、自分の今後にとって、あるいは相手と自分の双方の今後にとって、どういった意味づけをするのが好ましいかということである。

・人はよく愚痴をこぼす。愚痴をこぼすとき、語り手は聞き手からその愚痴が正当なものかどうかを客観的に評価してもらおうと思って愚痴をこぼすわけではない。愚痴をこぼし、聞き手から「そうだ、そうだ」「それはひどい」「それは腹が立つね」のように共感してもらうことで、スッキリしたいのだ。

・対抗同一性とは、少数派であること、反主流派であることに積極的な価値を置き、自らの正当性や創造性を主張し、多数派や権力体制に激しく対抗する生き方を身につけていることをさす。

・自分が嫌いになるというのは、いわばこれまで生きてきた自己物語にうんざりしてきたことを意味する。そこでは、自己物語の書き換えが必要となる。

・異質な自己物語を生きている人同士は、会社や学校など客観的には同じ世界にいたとしても、経験している現実に共通点は乏しい。

・人は誰も自分のものの見方や感じ方が妥当なものかどうかに不安を抱いているので、他人から与えられる支持はとても心強い支えとなる。



<ほんとうの自分>のつくり方 (講談社現代新書)

<ほんとうの自分>のつくり方 (講談社現代新書)

  • 作者: 榎本 博明
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2002/01/18
  • メディア: 新書



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