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『ひとを<嫌う>ということ』 [☆☆]

・他人を好きになることは他人を嫌いになることと表裏一体の関係にあるのです。人を好きになれ、しかしけっして人を嫌うなというのは、食べてもいいがけっして排泄してはならないというように、土台無理な話。

・自分は他人を盛んに嫌っているのにかかわらず、他人から嫌われることは絶対に許せないという不平等な姿勢。

・この国では「どんなに傷ついたかわからないのか!」という叫び声にみんな平伏してしまうという構図が見られますが、それはおかしい。すべての人が「他人の痛みがわからない人」を悪魔のように責めたて、そうワメキ散らす人のより一層の暴力を指摘しようとしないのです。

・「かわいそう」な少年ですが、「かわいそう」なのは、自殺するほど悩んだからではなく、こういう仕方でしか自分を表現できなかったその狭量さ・脆さです。

・「ほのかな愛」があるなら「ほのかな憎しみ」もあっていいでしょう。お互いに相手を「ほのかに」嫌い続ければいいのです。

・自分の信念を貫くためには適度に相手を傷つけること、相手から傷つけられることも辞さない。

・この国では、社会的に上位の者が下位の者を嫌うなどとは考えられない暴力であり、断じて許しておけない。下位の者は上位の者を思う存分嫌っていいが、上位の者は下位の者をけっして嫌ってはならない。

・Kはたしかに「傷ついたかわいそうな」少年ですが、だからといって特別に偉いわけではない。だからといって、みんながKに従わねばならないわけではない。Kに謝らなければならないわけではない。その暴力を認めていいわけではない。

・みんなから嫌われるのが厭ならお前は自分を変えなければならない。しかし、変えたくなければそれでもいい。みんなから嫌われる生き方、それはそれで一つの生き方だよ。その生き方を必死で追求しろよ。

・復讐は、こそこそとではなく、正々堂々と、しかもあとの責任はすべて自分がとる覚悟ですべきなのです。それが「健全で美しい」復讐なのです。「忠臣蔵」に人気がある所以でしょう。

・「嫌い」という感情を抱く自己正当化の原因を次の八つに分類することにしましょう。
(一)相手が自分の期待に応えてくれないこと。
(二)相手が現在あるいは将来自分に危害(損失)を加える恐れがあること。
(三)相手に対する嫉妬。
(四)相手に対する軽蔑。
(五)相手が自分を「軽蔑している」という感じがすること。
(六)相手が自分を「嫌っている」という感じがすること。
(七)相手に対する絶対的無関心。
(八)相手に対する生理的・観念的な拒絶反応。

・期待するほうはただ「ああ、期待して損した」と言って相手を切り捨てればいいのですが、期待されているほうはそうはいかない。期待する者以上に自分自身に刃を向けて、自滅(自殺)してしまうこともあるのです。

・人類は、相手に期待もし自分も期待されたい人種と相手に期待せず自分も期待されたくない人種に二分される。前者は「善人」であって、こちらが圧倒的多数派です。

・善人とは「他人と感情を共有したい人」のことです。他人が喜ぶときには共に喜び、悲しむときには共に悲しむ。自分が喜ぶときも、他人も同じように喜んでもらいたい。自分が悲しいとき、他人も同じように悲しんでもらいたい。

・自分の弱みをつかまれている人に対して、憎しみがいたるところに芽生えていることに気づくでしょう。とくに、子供は思春期にもなれば、親がわが子に関する無数の弱みを武器にして自分に対してくることをはげしく嫌う。

・嫉妬に狂う人は絶対にそれを認めない。「羨ましいなんて思っていない! 嫉妬なんかしていない!」と叫ぶのです。ここで、嫉妬を認めたらすべてが崩れてしまう。もはや生きていけないのです。

・「自分に落ち度がなければ嫌われるはずはない」という単純な論理を求めますと、相当オカシクなってゆく。あなたが嫌われるのは、自分に落ち度がない場合がほとんどだからです。

・一度喝采してくれた人が後にそれに「飽きる」ということを考えたくないのも人情。

・人の冗談を本気にとって起こるかと思えば、冗談のつもりで失礼なことを平気で言う。

・育ちの悪い人を嫌うのが貴族だと思ったら大間違い。貴族は育ちの悪い人とのつき合いがあまりありませんから、普通は嫌う余地がそれほどないのです。育ちの悪い人を最も嫌うのは、育ちの悪い人。シンデレラを嫌うのは、王や王妃よりむしろ御殿女中たちなのです。

・他人の甘えを嫌うのは自分が甘えたい人。

・教養のない者を嫌うのは、自分がちょっと前まで教養がなかった人です。

・美人は醜男をそれほど嫌わない。醜男を嫌うのは醜女です。

・「人を嫌ってはならない、他人を責めてはならない、傷つけてはならない」ということを絶対的な価値として信じている「善良な」親のもとに育てられた子に多い。こういう雰囲気で育ちますと、世間とはそんなに甘くありませんから、他人との対立それ自体が怖くなる。そして、他人と対立するたびに「自分が悪い」という自罰的な方向に流れてゆく。

・彼らは礼節を失った日本人の「心」を嘆き、「自分のことしか考えない」若者を嘆き、という具合にアレも嘆きコレも嘆き、すべてのことに対して嘆きつづける。その底に、「自分は違う」という鈍感な思いあがりがある。矛先を自分に向けないずるさがあります。

・あれもほしいこれもほしい、あの人も羨ましいこの人も羨ましいと喘いだあげくに、そのうち何一つとして叶えられないとわかると、一転してイソップの狐のように「みんな酸っぱい!」と叫んで、自分のうちに閉じこもってしまう症状。

・社会的に成熟して他人とうまくつき合うことは大層シンドイのに、それこそ唯一の「正しい」生き方であると洗脳されつづけますと、ますます自分を追い込んで不幸になる。

・あまりにも急いで恩返しをしたがるのは、一種の恩知らずである。

・善良な人は。「よいこと」を自然だと思い込んでいる。しかし、これは単なる理念なのです。



ひとを“嫌う”ということ

ひとを“嫌う”ということ

  • 作者: 中島 義道
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2000/07
  • メディア: 単行本



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