SSブログ

『インセンティブ 自分と世界をうまく動かす』 [☆☆]

・インセンティブとは、簡単に言えば、人間に行動を起こさせるもの、あるいはいくつかの選択肢のうちひとつを選ぶよう促すものだ。

・経済学の優れた議論は、ハガキ大にまとめられるはずだ。

・経済学の議論の多くは、おばあちゃんにも理解できるはずだ。賛成はしてもらえなくても、少なくともこちらが話す内容は理解してもらえなければいけない。

・それなりの金銭的報酬を伴わない経済が、うまくいかないのははっきりしている。理想郷を謳う共同体が崩壊するのは、誰も懸命に働かないからだ。

・放っておかれる時間が長いほど、問題解決は遠のく。皿が洗われる確率が高いのは、食べ終わった直後だ。いったん皿が「たまる」と、洗うべき人が洗わない。そうなると、誰もが皿のことなど忘れてしまう。

・生徒に教室を掃除させるのに、二つの方法を比べた実験がある。ひとつは、きちんと片付けなさいと指示する方法。もうひとつは、きちんと片付けられたねとほめる方法だ。指示する方法では効果がみられなかったが、ほめる方法だと三倍もゴミが集まった。

・人は、あらゆるものが市場で取り引きされる、という考えが許せない。

・クウェートの外交官は、一人当たり246回の違反を犯している。二番目に違反が多かったのがエジプトで、一人当たり139回だ。これらの国に、黄色い線を識別できない外交官が数多くいるとは思えない。ほとんどの外交官が、法を遵守する精神を持ち合わせていなかったのだ。多くは汚職にまみれ、母国で汚職に慣れきっていた。

・国連外交官の駐車違反では、汚職や賄賂といった腐敗が蔓延している国の外交官ほど、違反件数が多かった。

・クウェートやエジプト、チャドといった国の外交官は、汚職に手を染め、親族のコネを使い、法の網をかいくぐって生きてきた人が多い。消火栓が地域社会の公共財であるといった考えはなく、邪魔ものにしか見えない。

・ふつうに文字が読めれば、注意力のあるなしで作業効率が変わってくる。

・金銭的報酬の活用を大幅に制限すべきではないかと、多くの社会心理学者が考えている。こうした現実離れした見方をするのは、低報酬の自分の日常を過大評価している学者たちだ。

・軽犯罪者のほとんどは、目先のカネには反応するが、いずれ囚われの身になることは考えていないし、長期的な人生の展望もない。

・ストレスを感じた人ほど、大勢の意見になびくものだ。自分の手には負えないと感じているため、集団思考に頼り、周りのお墨付きがあるという安心感に逃げ込む。

・他人から指示されたことをやる以上に、うまい言い訳などない。

・運動は楽しいものだが、強制されると楽しくなくなる。

・主体性を求める欲求は、心理学的、生物学的に根深い衝動なのだ。拷問で感覚遮断室の効果が絶大な理由のひとつは、そこにある。感覚遮断室では、自ら何かをコントロールしているという感覚をことごとく奪う。

・会議について書かれた書物は恐ろしくできが悪いが、これは著者が会議に出過ぎたせいではないだろうか。

・会議は、必ずしも情報を効果的に交換するための場ではないし、新しいアイデアを発見する場でもない。多くの会議は、開くこと自体が目的なのだ。

・優れた直観力を持つ経済学者なら、現実の問題に取り組む際に、「何が不足しているために、より良い結果が妨げられているのか」と考える。

・社会が豊かになるにつれて、重要なのはモノの不足ではなくなる。文明が高度に発達した現代社会で目立つ不足といえば、「感心」と「時間」の不足だ。

・一億ドルあれば、有名なピカソの自画像を買うことはできるだろう。だが、絵を所有することと、楽しめることとは違う。

・文化をどれだけ味わえるかを決めるのは、ほぼ後天的な技術だと言っていい。文化的な環境にどの程度浸っているか、そこから学び、適応する意欲がどれだけあるかで決まってくる。

・ほとんどの人は、作品の鑑賞はそっちのけで、説明書きを読むのに時間をかけている。作品が描かれた年代と所蔵者の情報を読むだけで、鑑賞時間のほとんどがつぶれてしまう。

・展示室ごとに、ひとつだけ持ち帰れるとすれば、どの作品がいいか、それはなぜなのかを考えてみる。そうすると、作品について否応なく真剣に考えるようになる。

・美術館にとって大事な寄付者は、お金持ちの有力者なのだ。有力者を喜ばせない美術館は、地盤が沈下していく。

・美術館も多少は来場者を気にかけるが、それは人気のないハコモノに支援していると有力者に思われたくないという間接的な理由からだ。

・絵画の例で失われる価値とは、芸術がもつ意外性や活力だ。作家や編集者、広告主が、こぞって同じ画像を使うと、認知度があがる半面、ありふれたものになる。その結果、あっという間に意外性が失われ、その画像を見ても驚いたり、わくわくしなくなり、逆にうんざりするようになる。

・スティーヴン・スピルバーグの「ジュラシック・パーク」の恐竜は、映画が公開された当初は、特殊効果で多くの観客を楽しませたが、いまとなっては、予算不足の東欧のコンピューター・ゲームかと思える。

・音楽では、大量生産を可能にする録音技術によって、「クラシック」から感覚的なロックンロールに人気が移ったように、絵もより感覚に訴え、知性が問われないジャンルへと進化していくだろう。

・昔の曲が受け入れられない理由は単純だ。固定ファンがいるからだ。それが親だったりすると、始末が悪い。

・エルヴィス・プレスリーは、兵役を終えて、年配の人々のあいだで人気が高まった瞬間、若者の支持を失った。反逆者ではなくなったのだ。

・どんなジャンルの音楽を好むかは、自分が何者であり、何者でないのか、自分は世界のどこに属しているのかを再確認する役割を果たしているのだ。

・何かに反抗するという欲求から逃れられる人などほとんどいない、ということだ。お気づきかもしれないが、反抗は、主体性を持つための方法なのだ。

・用を足した後は、ふたを閉めておくべきだ。ふたを閉めるのは、妻の価値観を尊重していることを示すシグナルなのだ。

・子供が親を評価するとき、どれだけ効率的に成長の過程を支えてくれたではなく、どれだけ自分のために時間を割き、手間をかけてくれたかで判断する。

・運転の下手なドライバーほど保険の加入率が低い、というデータがある。こうした人たちは、運転をしたり、保険に入ったりする段になると、ついうっかりしてしまう。

・拷問にいかに抵抗すべきか、指南書がないわけではない。確固たる思想や宗教によりどこを求め、危機に瀕した同胞に思いをはせ、拉致グループには丁寧に接し、どれほどささいな点でもいいから、自分の主体性を維持しているという意識がもてるような、メンタル・ゲームに興ぜよと説いている。どのシャツを着るべきか、朝食にどの部分を食べるべきか、人質が決められるようなら、拷問に耐えられる可能性が高い。

・嘘つきに追跡可能な身体的特徴があるとすれば、話すときに腕や手、指の動きが少なくなる、ということだ。まばたきも少なくなる。嘘つきは、脳の大部分を嘘をつくために使っていて、集中力を維持するため、無意識のうちに他の機能を遮断している。

・他人も自分と似た経験をしていると考える傾向がある。意識しているかどうかはともかく、人は他人について語るとき、往々にして自分のことを語っている。

・本の著者紹介で、名前のあとに「博士」と書いてあると、気の毒になる。自分が重要人物であることを示すシグナルとして、この一語が必要なのだ。

・イギリスの一流の寄宿学校では、最優等か最下等かどちらかが望ましく、愚かな人間が真ん中にかたまると言われている。

・いいニュースを周りに知らせると、変に勘ぐられてしまうことがある。いいことを言いたくてたまらないように見えたら、その人にとってめったにないことなのだと思われる。

・カウンター・シグナルを発していると見られるのは、無作法なだけでなく、当人の実力不足を露呈している。実力があるふりをしているが、ネクタイをつけたくないだけの駄目人間にすぎない、と。

・同じ人間と長く顔を突き合わせていれば、不満は溜まるものだ。良くしてもらったこと、親切にされたことよりも、辛くあたられたこと、不当に扱われたことの方が記憶に残る。

・真実を見極める力が自分よりいくらか上だと思える人がいたなら、常にその人の意見を受け入れ、自分の代弁者になってもらえばいいと思うのだが、そうはならない。知能指数や学歴、専門性、職業の地位が明らかに自分より高い人から自分とは違う意見を聞いても、敬意を払おうとする人はほとんどいない。

・自分自身を自慢できないときには、すばらしい人とのつながりという栄誉を求めようとする。

・人は、個人の利益が国益と一致すると思いがちだ。自分が大切にする大儀に常に価値があるわけではないと見抜くことができない。

・自分を欺かなければ、誇りなどもてない。人生を楽しく、前向きに送りたいなら、自分はどのくらい優れているか、という根本的な疑問は、意識から遮断しなければいけない。

・鬱状態のときの思考プロセスは往々にして非合理なものだが、社会での自分の立場に関していえば、正確である場合が多い。鬱だから自分を偽らなくなるのか、自分を偽らないから鬱になるのかは、微妙な問題だ。

・人が曲がりなりにも人生をまっとうできるのは、他人に見られ、評価され、値踏みされ、さらには非難されているという事実をたえず無視しているからだ。

・旧ソ連は、ある面では、驚くほど暮らしやすかった。何かうまくいかないことがあると、自分以外に責めるべきモノや人があったからだ。諸悪の根源は共産党だ。

・わたしは原稿を執筆するとき、その日のうちに全部書き尽くさずに、少し手前でやめることにしている。「書き尽くす」より「書き足りない」ほうが、翌日うまくいく。この仕掛けのおかげで、わたしは毎日、量をこなせるし、書くことが好きでいられる。

・ブレイン・ストーミングは、時間の使い方としては非生産的だ。人は集団の中にいるときよりも、自分独りのときの方が新しいアイデアを思いつくものだ。

・家庭料理をうまく活用するコツも、外では食べられない料理、家でつくった方が安上がりで済む料理、味がいい料理を見極めることにある。

・最貧層の賃金水準が上がると、料理人やウェイターを雇うのが難しくなり、食材の生産コストも上昇する。だから美食家は、一握りの富裕層と、その他大勢の貧困層のいる地域に目を向けるべきだ。貧乏人は、金持ちのために料理することになる。わたしの経験から言えば、メキシコ、インド、ブラジルでは安くておいしい料理が食べられる。

・昔からインドは二つの国から成ると言われてきた。ヨーロッパ並みの生活水準を謳歌する一億人と、一日二ドル以下で暮らす九億人の貧困層だ。一億人の富裕層は家で料理人を雇い、九億の民は料理人やメイドの職を求めて競い合う。

・賃料の高さによって、めずらしい料理ばかりか、クラブや実験的な画廊といった流行りの文化も周辺に追いやられている。

・「無料で食事を提供される」ギャンブラーは、「70ドル」の料理よりも、「150ドル」の料理に感激する。カジノは、上客に気前良く「贈り物」をしていると思わせたいために、カジノの傘下のショッピングセンターは、レストランに法外な値段をつけさせるのだ。

・現代社会は、可能性があればそれを飾りたてて増幅させ、ビジネスの場にまき散らし、われわれの関心を引くように並べる。

・思いつくかぎりの人間の欲望や感情には、それを満たす市場がある。

・サービスを提供する側は、こう警告する。「現実と空想の区別のつかない方の利用はお断わり」。

・目端のきく人間は、イーベイでスペルミスを探し、出品の説明が間違っている商品を探す。出品説明が間違っていれば、検索してもヒットしないので、入札の競争相手はほとんどいない。

・1954年、D・H・ロバートソンは、「経済学者は何を節約しているか」を考え、最終的に愛であると結論づけた。

・インドが台頭しつつあるとの見方があり、それはもっともだが、国民のほとんどは中世の技術で生活していて、人口集中だけが現代的だ。いまだに最大の産業は、機械化されていない農業だ。

・乞食は、「ないないゲーム」に興じていて、自らの苦悩をシグナルとして発しているだけだ。こちらのカネをささやかな財産に変える能力を示しているわけではない。

・寄付する目的は、他人を助けることではなく、その活動に帰属することなのではないだろうか。慈善事業では、影響力のある大きな組織を支援したいのではないか。勝利チームの一員であれば、自分も役に立っていると感じられる。

・たいていの人は、夕食時にどれほど政治を揶揄していても、ホワイトハウスに招かれれば狂喜乱舞する。

・マイクロ・クレジット市場を訪ね、やる気と責任感があり、起業家精神にあふれた多くの女性に出会った。同情や多額の施しを求めて、自ら足を切り落とした者など、一人もいなかった。

・ルネッサンスが起きたのは、都市の発達と貿易ルートの復活で、十分な富が生み出され、美しい芸術に対する需要が刺激されたからだ。

・ベートーベンは、台頭しつつあった中産階級に音楽を教え、コンサートを行い、後に楽譜を売った。印刷機と、手の届く価格のピアノ、ヨーロッパを巡る旅があったからこそ、ベートーベンは有名になったのだ。



インセンティブ 自分と世界をうまく動かす

インセンティブ 自分と世界をうまく動かす

  • 作者: タイラー・コーエン
  • 出版社/メーカー: 日経BP社
  • 発売日: 2009/10/22
  • メディア: 単行本



nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

トラックバック 0