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『13歳からの反社会学』 [☆☆]

・情報の裏には、必ずその情報を発信した人間がいるはずです。だとすれば、情報と人柄が無関係のはずがないんです。

・どんな情報にも、それを発信した人の人柄や性格、好みが反映されています。おもしろい人はおもしろい情報を流すし、つまらない人は、社会や人間をつまらないふうにしか解釈できないから、やっぱり発信する情報もつまらない。

・バカは極論が好きよね。

・世の中には二種類のバカがいます。ひとつは、データを見ようとしないバカ。もうひとつは、データしか見ないバカ。

・データを見ようとしないバカは、データを無視して、自分の経験と知識だけから社会の法則を導き出します。結果的に狭い視野で社会を見て独断に陥り、他の意見に耳を貸さないので、タチが悪い。

・データしか見ないバカは、世の中はすべてなんらかの隠れた数式とデータで成り立っていると信じています。彼らの理論は現実と矛盾していることも多いのですが、そういう事例を指摘されると、それは例外だといい張って耳を貸しません。こちらもかなりタチが悪い。

・きみはまちがっています。空を見上げたってお金なんか降ってくるわけがない。お金は道に落ちているんだから、下を向いて探すべきです。

・くだらなくない大事なこと、社会的に重要な問題は、たぶんもう誰かが考えてくれているんですよ。私らなんかよりよっぽどエラくてお勉強のできる人たちがね。だからエラくない私たちは、エラい人たちが考えそうにない、くだらないことをマジメに考えるべきなのです。

・本当に頭の悪い人は、くだらないことすら考えつきません。くだらないことを考えられれば、それはある程度の知能がある証拠です。

・日本人男性が大学を卒業して定年までずっと会社で働き続けて三億円稼げたら、上出来の人生です。

・学生のうちは、ああだこうだと理屈をこね回して意見をいうだけでも、きみはおりこうさんだね、とけっこう評価してもらえます。でも社会に出たら、実行力が問われます。仕事というのは、行動して何かを実現することです。おりこうさんというだけでは、誰も評価してくれません。

・結局は、行動しながら考える、同時進行がもっともいい結果を生んでいるように思いますし、そういう人が多いほうが、世の中おもしろくなるんです。

・日本には、「聞くは一時の恥じ」というおもしろいことわざがありますよね。海外にも似た意味のことわざはありますが、たいていは「聞かないのは愚かなこと」「聞いて失うものは何もない」みたいな表現なんです。他人に何かを聞いて自分の無知をさらけ出すのを「恥」と考えるのは、おそらく日本人独自の感性ですね。

・東京ディズニーランドと東京ディズニーシーを合わせた面積が、ちょうど一平方キロメートルなのだそうです。マスコミのみなさんも、もういいかげん、東京ドーム何個分とかいう古臭いたとえにこだわらず、もっとみんなにわかりやすいイメージをいろいろ工夫してほしいものです。

・日本には昔から、お金や金目のものを拾うプロがいて、地見屋(じみや)と呼ばれてきました。

・本当に人類の歴史を支えてきたのは、歴史上の偉人ではなく、歴史に残らない無数の凡人たちなんです。だからわれわれ凡人にとっては、過去の凡人がどうやって生き抜いてきたかを学ぶほうがよっぽど役に立ちます。凡人が偉人の生きざまをマネしても、悲劇を招くだけ。

・どれだけものを知っているかは、たいして重要な能力ではありません。知らないことをゼロから自力で調べられる能力のほうが、よっぽど大事です。

・若いころは焼肉食ってスタミナつけるぞ、ってはりきってましたが、ちかごろは焼肉食うと、肉を消化するのに逆にスタミナを消耗して、ぐったりしちゃうんです。

・グーグルを使って検索することをググるというけど、ヤフーで検索するのをヤフるっていう人、あんまりいないのはなぜだろう。

・長く続いたり何度も繰り返される音を、人は騒音に感じるんで、一瞬で終わればそんなにうるさく感じません。おしゃべりが迷惑なのは、何十秒、何分と続くからなんです。

・なかには、年下に注意されたというだけのことで、ちっぽけなプライドを傷つけられて逆ギレする人もいる。

・大学の先生は小中高の先生と違い、教員免許が要りません。教育実習もしてません。他人にものを教えるという訓練をまったく受けずに先生になりますから、学生への教え方のうまい人とヘタな人の差が歴然としています。

・図書館が充実していれば独学で勉強することも可能です。いい図書館は、百人のダメ教師に勝ります。

・参考文献のない本は、まともな本とは認めません。だって、何も参考にしないで本を書けるはずがないんですから。自分の意見や感想を書いてるのなら、それはエッセイです。

・何を基準にいいか悪いかを決めるのかというものさしは、人によって異なります。世の中には、自分なりのものさしを作る努力をせず、評論家や学者が作ったものさしをちょろっと拝借して、エラそうなことをいっている人が多いんですけどね。

・図書館の本や他人の本に平気で線を引いたり書き込みしたりできる人って、精神がチカンと同じなんですよ。チカンがなぜいけないかというと、他人のおしりに無許可で触るからです。自分のおしりなら一日中触ってたって、誰からも文句をいわれません。

・美しいノートは、習ったことを理解しているという結果であって、原因ではありません。だから、美しいノートを作れば成績がよくなって東大に行けると考えてる人がいたら、それはまちがってます。

・自分が正しいと思えばしきたりに反しても押し通す、なんていうと、なにやら気骨のある正義の人みたく聞こえますが、それ、実態は単なるクレーマーですよ。押し通される立場の人からすれば、「空気の読めない自分勝手な人」なんですから。

・困った人は、昔からいたんです。では、いまと昔でなにがちがうのか? 昔は店員も先生も、苦情をいう人を相手にしなかったんです。スルーしてたんです。

・全部足して割るだけの、小学生にもできる単純な計算で、もっともらしい数字が出せちゃうのが、平均値です。だから、とりあえずビールみたいな居酒屋感覚でとりあえず平均値を出して満足する人が多いんです。

・ものごとの実態をとらえる際に重要なのは、数字のバラつきや偏りの方なのに、それをわかっていないんです。なぜ偏るか。そこにこそ、謎が・理由が・真実が宿っているのに、平均値がせっかくの真実を覆い隠してしまいます。

・けなすレビューばかり書く人って、よっぽどつまらない本や映画ばかり見てるんですよね。それをネットに書くのは、自分の選球眼が悪い、私には見る目がありません、って世界中の人に宣言してるようなものです。

・おもしろいものをたくさん見つけて紹介できれば、あの人の紹介する本や映画はいつもおもしろいよね、ハズレがないよね、とみんなに信頼され、自分のセンスの良さを自慢できるじゃないですか。

・こんな本くだらないから読む価値がないと否定する書評を書いたとして、それを信じた人がその本を読まなかったら? 批判的なレビューは、人と作品が出会うきっかけをジャマしてしまうんです。

・照れもあるのでしょうけど、日本人はとりわけ、他人をほめるのがヘタです。でも、ほめられて、感謝されてイヤな気分になる人はいません。だから若いうちから、人をほめる練習をしたほうが将来のためです。

・受験教育って、疑うことを禁じるんです。テストでいい点を取るには、教科書や参考書に書いてあることを百パーセント信じないといけません。教科書を疑って独自の意見を書いたら、テストではバツになるんですから。

・まちがった医学知識なんて、誰でも持ってます。たとえば、暗いところで本を読むと目が悪くなるとか、すね毛を剃ると濃くなると信じてる人はいまだにいます。どちらも医学的には否定されているんです。

・土日祝日は、明らかに出生数が少ないんです。病院が休みだから。つまり、きみたちの誕生日は、病院の都合で決まるのです。

・平成20年の場合、年間でもっとも出産が多かったのは、12月25日のクリスマス。最少は、1月1日でした。12月の26日前後は、正月休み前の駆け込み出産をするようで、毎年ぐんと出生数が多くなります。病院が正月休みの出産を避けようとするので、12月末に出産が集中する。

・日本の会見はまるで逆。釈明や説明の内容など、誰も聞いてません。お辞儀の角度、悔恨に満ちた表情、涙の量と流すタイミング。そうした一連の謝罪の作法が、いかに視聴者の心をつかんだか、その芸術点の高さで世間の評価が決まります。さすがは歌舞伎や能といった、様式美を重んじる芸術を生み出した国だけのことはあります。

・平成のいまを、いい世の中だというオトナはあまりいませんよね。みんな不満たらたらです。でも、50年後くらいにはきっと、平成っていい時代だったよね、なんて懐かしむようになるんです。

・『三丁目の夕日』には、ほとんど善人しか出てきませんが、実際の昭和30年代は、日本の戦後の歴史でも、暴力事件がかなり多かった時期でした。少年凶悪犯罪なんて、いまの8倍くらい起きていたんです。

・わくわくすること、わくわくさせることはとても大事なんだけど、残念ながら学校では教えてくれません。学校で教えるのは正しさだけです。

・LED電球は電球型蛍光灯と同じくらいの発熱がある。てことはですよ。雪で見えなくなるから北海道ではLED信号機は使えないという、まことしやかな説は、実験によって得られた科学的な事実ではなかったということになります。LEDは熱を出さないという思いこみから類推した仮説にすぎなかったのに、それがネットなどを通じて都市伝説のごとく広まり、私も信じていたというわけです。

・問題を指摘するだけなら凡人。問題を正しく分析できれば秀才。問題解決の具体的なアイデアを出せるのが天才です。

・世間のバカな連中がエコエコいうからやる気がしないんだ、と皮肉混じりにこぼす人たちは、もしも世間のエコブームが去ったら、自分だけ熱心にエコを始めるのでしょうか。それもありえない話です。

・国際交流はきれいごとでは済みません。クリーンな態度を貫いて負けても、誰もほめてくれません。勝たなきゃ意味がない。負けて文句をいっても、みじめになるだけです。

・善意は最大限宣伝して、利用しなければ意味がありません。国が税金を使って行う国際協力は、ボランティアとはちがいます。善意はどんどん見せびらかして、交渉の材料として利用してこそ、お互いの利益になるんです。

・一部の過激な環境保護団体、動物保護団体もこれに含まれます。そういう人たちの頭の中は、こうなっています。自分≧自然・動物>他人

・実数は伏せて相対的な数値や順位だけを発表するのは、統計マジックの常套手段なので気をつけましょう。

・他にやることがあるだろう、と相手を牽制するのは、詭弁術の古典的なテクニックです。

・結論をいえば、公害懐疑論はまちがいでした。公害対策をやって正解だったんです。そしていま、公害懐疑論を主張してた科学者や評論家や経営者は、反省も謝罪も感謝の言葉もなく、昔よりキレイになった空気を吸いながら、老後をエンジョイしているのです。

・なんだかんだとやっかみや批判を受けながらも、これまで日本が世界から一目置かれてきたのは、日本がテクノロジーや文化でわくわくさせてくれたからなんです。わくわくを失った日本になど、世界は見向きもしませんよ。

・いつの時代にも、道を切り開く人と、できた道をついてくる人がいます。不思議なことに、文句をいうのはあとからついてくる人たちのほうなんですけどね。

・現実の世の中には、完璧な正しさなど存在しません。正しさはいつでも中途半端。百パーセントの正義も存在しません。だから、正しいことをしようとする者は、自動的に偽善者になってしまいます。

・完璧な正しさを求める秀才たちの病は、オトナになりきれていない点にあるんです。

・その場でいわなかったということは、その行為を黙認したんです。その人は世の中を少しでもよくするチャンスがあったのに、見送った。善の打率、ゼロ割ゼロ部ゼロ厘。なのに、あとでコラムやブログで批判して、正義漢ぶる。でも実際には、心で思ってるだけで、何も実行していないのだから、偽善者以下の成績です。

・善とか正義とかって、信じるかどうかでなく、実行するかしないか、それだけなんです。頭でわかってるだけ、心で思ってるだけでは無意味です。



13歳からの反社会学

13歳からの反社会学

  • 作者: パオロ・マッツァリーノ
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2010/09/10
  • メディア: 単行本



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