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『コンピュータが仕事を奪う』 [☆☆]

・当時、職業を奪われる人に対して「先を予想できない愚かな人だ」と嘲笑った人もいたことでしょう。けれども、人間にとって、技術がやってくる前に、技術がやってきた後のことを想像することはとても難しいことなのです。

・科学の発展のきっかけを作る、本質的な論文の多くが、このシャノンの論文のようにシンプルかつ頑健、という性質を持っています。それは、玄人は虚をつかれる一方、素人は「うん、ふつう、そう考えるはずだよね」と思うようなアイデアなのです。

・多くの場合、こういうノウハウが欠如しているために困っている人は、「なぜ自分が困っているのか」を言語化できないのです。だからこそ、困っているのです。

・発注者側には、コンピュータに何をさせたいかぼんやりとしたイメージはあっても、それを論理的に表現する力が欠如しているのです。そのため、多くのプログラマが「タケコプターのような便利な乗り物ができたらいいのに」というような仕様を渡され、途方にくれながら、実現不可能であるはずのシステムを無理に多大なコストをかけて作る羽目に陥るのです。

・現在私たちの身の回りにあるコンピュータでは、素因数分解を短時間で解くような方法は見つかっていません。その性質を利用して、盗聴されやすいインターネットで情報を送る際の暗号化処理に使われています。

・Wolffram Alphaがその能力を最も発揮するのは、数を入力したときです。その数の性質について、素因数分解だけでなく、実にさまざまなことを教えてくれます。

・意味を理解して、それに対しての適切な処理をしなくても、アウトプットとしての反応が妥当であれば、知的に見えてしまう。

・彼は「誰もが暗黙のうちに知っているけれども言語化されていない何か」を取り出して言語化する能力に非常に長けた科学者でした。

・抽象化能力は、人間の能力の中でもとりわけ高度で、非常に多くのイノベーションを生み出す核となる能力です。

・イノベーションが起こる原点となるのが、パスカルが行なったような「誰もが暗黙のうちに知っているけれども言語化されていない何か」を言語化する作業です。

・メカニカルタルクとは、Amazon.comが2005年に始めたサービスの名称です。このサービスは、プログラムで実現することは現段階では非常に難しいのに、人間であれば簡単にできるような仕事を外注するためのサービスなのです。メカニカルタルクとは「機械仕掛けのトルコ人」という意味です。

・要はメカニカルタルクとはコンピュータの下働きを人間にさせるためのサービスなのです。

・機械には代替できない人間特有の能力を持つ人と、機械によって代替可能な能力しか持たない持たない人の間では明暗がくっきりと分かれるのではないでしょうか。しかも、悪いことに、「人間に特有の能力」の中でも、多くの人持っている能力においては競争が激化し賃金が下がることが予想されます。

・労働の単価は、理論上は世界の最低賃金まで下がっていくはずです。

・人類に、最も貢献したオープンソースソフトウェアはLinuxでもFirefoxでもなく、四則演算(+-×÷)の筆算でしょう。

・「未来を神に任せて」「見えないものは見えないままで」いる大勢の人々の中に、「未来を予測でき」「見えないものを見る」技術を持った人が現れたら、どうなるでしょうか。当然のことながら、その技術は「未来を予測でき」「見えないものを見う」人に強大な権力と巨万の富をもたらします。

・自然の中で、一次関数として表される関係はごく限られています。ところが、高校で学ぶ高次関数(多項式)・三角関数・指数関数・対数関数を組み合わせると、自然現象のかなりの部分を式として表現できるのです。

・天動説が長いこと信じられてきたのは、昔の人々が蒙昧だったからというより、プトレマイオスの理論と当時得られていた観測データが、比較的よく一致していたためです。理論には、このような危うさがつきまといます。

・余計なおせっかいというのは、自分のことを中途半端に知っている人が、彼らの興味のために、自分の領域を侵犯してきたときに感じる感情です。

・21世紀前半の世界は、間違いなく、データを蓄積した企業とそれをうまく利用した企業に有利な世界です。

・身体性を必要とするような職業は、知的な作業分よりも、むしろ、見る・聞く・感じるなど人間が無意識かつ連続的に行なっている情報処理の部分がネックになり、ロボットによる代替は当面は難しいでしょう。

・数学と現代国語に共通して必要とされる能力、それは論理による演繹力でしょう。

・学校で学ぶ科目は理系・文系科目に分けられることが多いですが、実は、論理系・暗記系科目に分かれている。

・帰納は「ふつう……となる」「~のようにすると、……となる」という経験やデータに基づく問題解決の方法です。一方、演繹は「~だから、……となる」というタイプの、根拠と論理に基づく問題解決のあり方です。

・小学校では、演繹的な能力よりも、帰納的な能力が高い方が、うまく行動することができます。経験や観察から、教室内における「書かれていない規範」を見抜き、望まれている行動を低学年の段階から比較的容易に行なうことができるからです。

・帰納だけに頼る問題解決法は、高学年の算数で、比と割合が登場したときに破綻します。比や割合という概念は、中学から始まる「変数を用いて関係を式で表す」という活動の入り口であり、「微分」の考え方の基礎でもあります。

・日本人は科学技術に強い、というような気持ちを私たちは持っていますが、残念ながら世界の科学の歴史を決定づけるような真に革新的な技術を日本が開発した例はほとんど見当たりません。

・同じ文化の中において「話す」場合、論理がかなりゆるくても、聞き手の側が補いつつ聞いてくれます。そうすると、中途半端な理解で済ませてしまいがちになります。ところが書いたものは動かすことができません。真に理解しているかどうかがはっきりとわかります。

・「経験的に知っている」ということ、「論理的に説明されてわかった」ということ、さらに「自分で論理的に説明できる」ということは、レベルが異なるのです。

・秋田県は、小学校・中学校どちらも学力テストで何年も続けて大変良い成績ですが、大学等進学率は40%強と、全国で36位です。



コンピュータが仕事を奪う

コンピュータが仕事を奪う

  • 作者: 新井 紀子
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2010/12/22
  • メディア: 単行本



タグ:新井紀子
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