『生きてるだけでいいんです。』 [☆☆]
・ここでできないことが僻地の病院で突然、できるようになるわけはないじゃないか。
・弁護士、医師という資格の権威が下がってきたのと同時に、テレビの中でこそ「自覚感情」を強く感じられる医者も増えてきたのではないか、ということだった。「自覚感情」とは「これがホントの私だ、ここが私の居場所だ、と思える感覚」と理解すればよいだろう。
・PTSDの治療で大切なのは、事件や事故の記憶が突然よみがえるフラッシュバックをどうコントロールするかだから、いたずらに記憶を刺激するような質問をしてはいけない。
・3月は、自殺対策強化月間。毎年の統計で、自殺者がいちばん多いのがこの3月なのだそうだ。
・「眠れない」のはまだ周囲の理解や同情も得られるが「起きられない」となると「気がゆるんでいるから」と怠けややる気のなさの結果と思われがちだ。
・一般論に話をすり替えてうやむやにしよう、とする人も少なくない。
・いくら良くなっている、悪くなったなどと教えてもらったところで、もう自分にはなにもできないのだ。それなら、いたずらに自分の感傷だけでその人たちとの関係を続けるべきではない。
・日ごろはちょっと偉そうに「患者さんのため」だなんて言って診療をしているけれど、それはあくまで病院に所属し、白衣を着てのうえでのこと。先生、先生と呼ばれれるからこそ、医者らしく振る舞えているのかもしれない。病院を一歩出て、誰からも医者だと認められないようなところでも、私は「世のため、病める人のため」などと言って活動することができるだろうか。
・幻聴が取れさえすればいいことがある、と医者に言われて治療してきたけれど、症状が良くなっても幸せにはなれなかった。話が違うじゃないか。
・最初は「まあ、1週間くらいかな」と気軽に入院したら、半年、1年と時間がたって、仕事も退職、家族も「いつまでも待っていられない」と離れてしまったら……。医療者としては「病気の治療は本人のため」と入院を勧めたはずなのに、それがすっかりその人の人生を悪いほうに変えてしまう。
・「いまどきの子供たち」はそれぞれさまざまな悩みを抱えている。「元気そうな顔をしているから、心の中も晴天なのだろう」などというのは、大人の勝手な考えにしかすぎないのだ。
・生産性を重視する現代社会では、高齢者は「医療費のかかる人、働くことのできない人」として、ともすれば、お荷物扱いされることさえある。
・ひとつのことのために、別の何かは捨てる。人生は、そうやって悔しい思いをしながらも、いろいろなことを捨てたり削ったりしながらでないと進めない。
・彼らは、誰に「生きていいの?」と聞いて、「あたりまえじゃない」と答えてもらっているのだろう。
・「生の承認」を求める人、それを与えている人がいるのだと思う。
・「おとなしい人」という以外、その人となりをよく知る人もいない。「何のために生まれてきたのか」「生きてていいのか」と空に問いかけても、答えはどこからも返ってこなかったのではないか。
・戦争が始まりそうになると、哲学科に進学する学生が増えるらしいんです。
・ポストモダンの時代で「大きな物語がなくなった」という言われ方をしますよね。それで個人個人も大きな物語の中で位置を占めることができなくなった。そうすると、どうやって生きて行けばいいのか。
・労働することに価値があるというのは、比較的新しい考え方なんです。ルターあたりから出てきたキリスト教道徳ですね。それ以前はそんなことはなかったらしいんです。
・切手を集めるのが重要かどうかということは、自分が決めることができますよね。哲学的に言うと、その重要度をいかに自由にコントロールできるかというところが、人間の自由の一番基調の部分なのではないかと思います。
・何かしらおかしさを見出して笑うという訓練をしないと、不幸なことが起こったら、そこにしか目が行かなくて、それがすべてみたいになっちゃう。ますます悩みが深くなるんですよね。
・ものすごく深刻な状況なのにおかしいことを言ったりとか、考えついたりとか。それで、そのおかしさが、自分が今置かれている状況がそれほど重要じゃないってことに気づかせてくれる。
・弁護士、医師という資格の権威が下がってきたのと同時に、テレビの中でこそ「自覚感情」を強く感じられる医者も増えてきたのではないか、ということだった。「自覚感情」とは「これがホントの私だ、ここが私の居場所だ、と思える感覚」と理解すればよいだろう。
・PTSDの治療で大切なのは、事件や事故の記憶が突然よみがえるフラッシュバックをどうコントロールするかだから、いたずらに記憶を刺激するような質問をしてはいけない。
・3月は、自殺対策強化月間。毎年の統計で、自殺者がいちばん多いのがこの3月なのだそうだ。
・「眠れない」のはまだ周囲の理解や同情も得られるが「起きられない」となると「気がゆるんでいるから」と怠けややる気のなさの結果と思われがちだ。
・一般論に話をすり替えてうやむやにしよう、とする人も少なくない。
・いくら良くなっている、悪くなったなどと教えてもらったところで、もう自分にはなにもできないのだ。それなら、いたずらに自分の感傷だけでその人たちとの関係を続けるべきではない。
・日ごろはちょっと偉そうに「患者さんのため」だなんて言って診療をしているけれど、それはあくまで病院に所属し、白衣を着てのうえでのこと。先生、先生と呼ばれれるからこそ、医者らしく振る舞えているのかもしれない。病院を一歩出て、誰からも医者だと認められないようなところでも、私は「世のため、病める人のため」などと言って活動することができるだろうか。
・幻聴が取れさえすればいいことがある、と医者に言われて治療してきたけれど、症状が良くなっても幸せにはなれなかった。話が違うじゃないか。
・最初は「まあ、1週間くらいかな」と気軽に入院したら、半年、1年と時間がたって、仕事も退職、家族も「いつまでも待っていられない」と離れてしまったら……。医療者としては「病気の治療は本人のため」と入院を勧めたはずなのに、それがすっかりその人の人生を悪いほうに変えてしまう。
・「いまどきの子供たち」はそれぞれさまざまな悩みを抱えている。「元気そうな顔をしているから、心の中も晴天なのだろう」などというのは、大人の勝手な考えにしかすぎないのだ。
・生産性を重視する現代社会では、高齢者は「医療費のかかる人、働くことのできない人」として、ともすれば、お荷物扱いされることさえある。
・ひとつのことのために、別の何かは捨てる。人生は、そうやって悔しい思いをしながらも、いろいろなことを捨てたり削ったりしながらでないと進めない。
・彼らは、誰に「生きていいの?」と聞いて、「あたりまえじゃない」と答えてもらっているのだろう。
・「生の承認」を求める人、それを与えている人がいるのだと思う。
・「おとなしい人」という以外、その人となりをよく知る人もいない。「何のために生まれてきたのか」「生きてていいのか」と空に問いかけても、答えはどこからも返ってこなかったのではないか。
・戦争が始まりそうになると、哲学科に進学する学生が増えるらしいんです。
・ポストモダンの時代で「大きな物語がなくなった」という言われ方をしますよね。それで個人個人も大きな物語の中で位置を占めることができなくなった。そうすると、どうやって生きて行けばいいのか。
・労働することに価値があるというのは、比較的新しい考え方なんです。ルターあたりから出てきたキリスト教道徳ですね。それ以前はそんなことはなかったらしいんです。
・切手を集めるのが重要かどうかということは、自分が決めることができますよね。哲学的に言うと、その重要度をいかに自由にコントロールできるかというところが、人間の自由の一番基調の部分なのではないかと思います。
・何かしらおかしさを見出して笑うという訓練をしないと、不幸なことが起こったら、そこにしか目が行かなくて、それがすべてみたいになっちゃう。ますます悩みが深くなるんですよね。
・ものすごく深刻な状況なのにおかしいことを言ったりとか、考えついたりとか。それで、そのおかしさが、自分が今置かれている状況がそれほど重要じゃないってことに気づかせてくれる。
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