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『生きる希望を忘れた若者たち』 [☆☆]

・若者の○○離れという言い方には、年長者たちの焦りが表れていると考えられる。それは、年少者たちが自分たちについてきていない、自分たちの立ち位置を「これが基準だ」と示しても年少者たちが従わないといった感情と言い換えてもよい。

・「生きる見本」とは、子供が「大きくなったらお父さん(お母さん)のようになりたい」というものだ。近代においては、そのような思考・実践習慣が有効に機能していたと考えられる。しかし、現代においては、もはやそのような思考・実践習慣は失われてしまった。

・アイドルというものは表面上どんなに可愛く見えようとも、その背後には金もうけをたくらむ大人たちの邪悪な意図が隠されているのだ。

・アイドルマニアたちは、商業主義の前提は素直に認めた上で、その虚構性の巧拙を論じていくこと、つまりは積極的に虚構を虚構として楽しみながら、その虚構の「出来の良さ」を論評していくことを称揚した。

・消費社会はとめどなく消費志向型人間を増やし、生産志向型人間を駆逐する。したがって、何らかの方策をもってこの進行を阻止しなければ、やがて先進国社会では資本主義的生産がなされなくなってしまう。

・その少年たちは「自分の存在意義と相手との密接感」を確認し合うコミュニケーションが「いま」の自分の周囲に存在しないことに、すなわち、「いまの愛情」が自分にないことに「いらだち、むかつき、不安、恐れ」を感じているということになる。

・若者からみた「生きる見本」は、自分にとっての「生きる見本」というように、個人単位に極小化してしまった。だから、人によって見本がちがうということになり、「自分なりの見本を構築して自分なりの未来へ向かっていく」というのが「虚構」的作法ということになる。

・親が子供から会話を拒絶される大きなきっかけは、「だいたいあなたは~」とこれまでのことを蒸し返すことである。なぜなら、子供としても、もう過ぎてしまったことをいまさら話題にされてもどうしようもないからである。

・子育てタイプのちがいが子供の将来や母子関係に与えた影響の分析を通じて、「きっちり」は子供の好成績・高学歴・高収入に結びついているが母子関係は疎遠になり、「のびのび」は子供との良好な関係を作るにはよいが社会的地位の上昇には結びつかないと論じている。

・「教養主義」とは、「思想書や文学書の読書を、自分自身を作り上げるための方法と捉えること」を指し、日本社会では1930年前後に一度大きな隆盛を迎えた。

・突出した才能に恵まれた者には、「自分はどう生きるか」など全く関係ないのである。つまり、「人はいかに生きるべきか」をめぐる議論は、何らかの理由で学歴エリート志向を全うすることができなかった者に、特に切実さをもって受容されたと捉えられている。

・進学・就職といった「落差」を提供する機会。

・「バラ色の未来」をふくらませるのではなく、「少し先の未来」といった未来像をふくらませながら生活していくことが、現代で人々が「生きる希望」を取り戻すために必要なのである。

・現在の日本社会においての最大の問題とは、すでに使い物にならなくなったかつての未来観に、まだ必死になってしがみついていることだ。



生きる希望を忘れた若者たち (講談社現代新書)

生きる希望を忘れた若者たち (講談社現代新書)

  • 作者: 鈴木 弘輝
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/02/17
  • メディア: 新書



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