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『「だまし」に負けない心理学』 [☆☆]

・口から摂取されたゼオライトが、それが胃腸で食物や放射性物質をうまく吸着して内部被曝を減らし……という具合にうまく機能するとは思えないのだが、ゼオライトを使った飲み薬は、実はいまだに販売され、かなりの売り上げを上げているのだという。

・それらは「10cc1万円」といった価格で、ゼオライト鉱石自身が1キロ500円ほどで販売されていることを考えると、どう考えてもかなりの割高といってよい。

・医療の世界に「絶対」という言葉はないし、治るまでの期間を明確に伝えることもできない。だいたい医師は「軽快」「寛解」ということは口にできても、なかなか「完治しました」とは言えない。どんな疾患も、科学的には再発の危機はゼロではないからだ。

・人は、いったん不安にとらわれてしまうと、そのあまりの支配力、影響力の大きさに、冷静な判断力を失ってしまう。そして、正しい情報や科学的な答えをではなくて、まず不安を取り除いてくれそうな人や言葉を求めてしまうのだ。

・不安に直面したときに人がほしいのは、合理的な説明ではなく、「私には、あなたがわからないことまでわかっているのです。その私が、大丈夫だと言っているのだから大丈夫」といった「高みからの声」なのだ。

・民間療法や代替医療は、近代医学がなかなか実現できない「不安や恐怖の除去」こそを最も得意としているのである。

・営業、接客の第一歩は、「相手を見ないこと」。もう少し丁寧に言うなら、「相手をよく見るふりをしながら、見ないこと」となる。

・コミュニケーションは「ほとんどの人間で、相手にこう思われたい、こう言ってほしい、ということは共通している」という基本原則に基づいている。それは、「私ってこういう人間」という自己理解もほとんどの人でだいたい同じ、ということである。

・実は、テレビというメディアが誕生した当初のアメリカでは、この「視聴者は自分に関係あること、自分に近いものを見たがっている」という原則は知られていなかったといわれる。逆に作り手は「視聴者が行けない世界、見られないものを見せるのがテレビ」と考え、一流の芸術や海外の話題などを好んで取り上げていたという。

・人気占い師になるためには、正しいことをではなくて、相手が言ってほしいと思っていることを言うほうが早道だ。

・オカルトで「かけがいのない私」を実現する方法は、大きく分けて二つある。一つは普通の人は持っていない「超能力」を獲得して特別な人になること。もう一つは、普通の人にはできない特殊な経験をして特別な人になること。

・「しつけ的な方法によるマインドコントロール」は、次ぎのようなステップで進められる。
(1)さまざまな局面に対して、細かい規則が与えられる。
(2)規則の理由を知ることや考えることは禁止される。
(3)規則に従えば賞賛されるが、わずかでもはずれれば厳しく罰せられる。
この場合、規則は理不尽であればあるほど、より効果的といわれる。

・人は見た目だけで判断するので、なかなか本質を見抜いてくれない、という不満が、誰の心にもいつも渦巻いていることになる。マインドコントロールをするときは、そこをつくのだ。だから、たとえそんな要素はこれっぽっちも感じられなくても、見た目の印象とは180度違うことを言ったほうが、相手は「よくわかったね! 実はそうなんだよ!」と以外にストンと納得してくれるのである。

・就職活動をする学生にノウハウ本を見せてもらうと、そこにある「自己アピール法」「グループディスカッションで勝ち抜く技術」といった章に書かれているのは、要はマインドコントロールで使う手口を洗練させたようなものだと言ってもよい。

・私は、脳死臓器移植や延命治療の中止を本人の意志表示により決定する、という方向性にやや懐疑的だ。「臓器を移植します」「延命はいりません」とサインするときの「私」と、いざその時が来たときの「私」が、同じ考えを持っているかどうかなど、誰にもわからないからだ。

・自己啓発セミナーは80年代半ばから末にかけて社会的なブームにまでなる。セミナーのプログラムの中に、「新しい人を勧誘する」というのも入っているのだから、会員が増えて当然だ。

・「自己啓発」と入れ替わるように、登場してきた単語がある。それは、「自分探し」と「癒し」である。

・それが暴走した結果として起きたのが、95年の地下鉄サリン事件を中心とするオウム真理教事件である。それは深遠な思想に基づいて起きたものではなく、薄っぺらい「自分探し」の果てに起きたので、より衝撃的だったのである。

・私たちは、正しい選択をしようとして、実は自分が「いい気分」になれるような選択をする。

・私たちは、多くの人がそちらを選択するであろうと思われるほうを、自分の選択としがちである。

・おしなべて「事実を告げられても動じないのは女性、オロオロするのは男性」という傾向はあるようだ。

・どうも女性のほうがより「真実を知りたい」と思い、それを伝えられても動揺することはなく、男性はそれが自分であっても妻であったとしても、「がん」「余命」といった言葉にひどくショックを受けるようだ。

・「これをしてはいけない」「こういうものなのだ」という「心がまえ」ではなくて、「だからこうしなさい」というマニュアルが現場では必要なのである。

・「集団ストーカーに悩む人の会」といった主旨のサイトを見せてもらったことがある。私から見ると、ほとんどが「追跡妄想」「自我漏洩症状」といった統合失調症に特有な妄想、幻覚であった。しかし、彼らは自分に起きていることは「事実」だとして、同じ体験をしている人たちとそれを確認しあっているのであった。

・「病名の告知」より「症状の説明」のほうに重きを置くべきだ、と述べている。たとえば「電車の中でみんながバカにして笑うんです」という場合、「ああ、それが妄想性障害の妄想ですよ」と言うのではなくて、あくまで「そうですか、それを精神医学では「注察感」という症状として考えられているんですよ。それはつらいですよね。この薬を飲むと、注察感によるしんどさを少しやわらげることができます」と伝えれば、服薬も受け入れてくれる可能性がある。

・たとえ本名を書き込むスタイルであったとしても、「顔が見えない」というのは利用する人の心理的ハードルをぐっと低くし、発言をしやすくする。よく「テレビはきらいだから出演しないが、本音が言えるラジオなら出てもよい」というミュージシャンがいるが、これもラジオは「視覚的匿名性」が担保されることで心のハードルを下げているということなのだろう。

・「反原発」という立場を取るからには、食品や土壌はすべて危険、政府や東電の言っていることはすべてウソ、と一点の迷いも見せずに主張し続けなければならず、ひとつでも「でも、これに関しては違うのでは」などと言った瞬間に、「もう反原発派ではない。敵になった」と攻撃の対象となるのである。

・「全てか無か」「100か0か」「黒か白か」といった二者択一的な思考を「スプリッティング」と呼ぶのだが、実はこれは境界性(ボーダーライン)パーソナリティ障害という特有の人格において見られる病的な心の姿勢のひとつ、と考えられている。

・ネットが普及してから、簡単にそこでの中の記録を「本当の現実」だと思い込む、あるいは見せかけることができるようになった。

・ネットの中に「こうであってほしいもうひとつの現実」を作り上げることで、目の前のつらい現実を「なかったこと」にしようとしたのかもしれない。

・日本のソーシャルメディアや掲示板などを利用する人の多くは、「便利だから」というのと同じくらい、あるいはそれ以上、この「非抑制性」という性質を利用したくてそうしている、とは言えないだろうか。それは同時に、それくらい日常の生活では自分を抑え、とくに攻撃的な側面や憎悪や嫉妬を抱く部分などは隠しながら振る舞うことを求められている、ということである。

・たとえすぐ先に恐ろしい運命が待ちかまえていたとしても、「知らぬが仏」とばかりにそれに気づかずに、直前まで楽しくのんきに暮らしていたい……。そう思う人のほうが多いのではないだろうか。

・「いったいどちらに決めていいのか、わからない」といった事態や現象が増える中、ひとつの「新しい決め方」が浮上してきた。それは、「よりわかりやすいほうが正しい」というものだ。いま、マスコミの世界でこの「わかりやすさ」を象徴する存在が、元NHKキャスターでジャーナリストの池上彰氏だ。

・「つらいのはあなただけじゃない」と苦悩を相対化しようとしても、自分のことしか考えられない人にとっては、「他の人のことなんて関係ありません」となるだろう。

・ポストモダン知識人たちは、読んで「わかる」というのは、既知に同定され、定型に回収されることであるから、読んでも「わからない」方が書きものとしては良質なのだと考えてきた。ついに書いている本人さえ自分の書いたものを読んでも意味がわからないという地点にまで至って、唐突にポストモダンの時代は終わった。

・精神医学の現場には「極端な意見、感情にしか反応できない人たち」がやって来ることは、以前からよく知られている。この人たちは、極端な二者択一を好み、目の前のあるひとつのできごと、ひとりの人を見た場合、すぐに「好きかきらいか」「敵か味方か」「完璧か最悪か」ととらえてしまう傾向がある。

・しかし、よく考えてみると、ひとりひとりの中にある不安は、いくら橋下氏が「バカ」と呼ぶ対象をめった切りにしてくれたからと言って、消え去るわけではない。それどころか、橋下氏の言うように「国民総努力」などを強いられれば、多くの人はさらに疲弊して、それこそ「国民総うつ病」になるかもしれない。そういうときにおそらく橋下氏型のリーダーは、救いの手を差しのべてはくれまい。逆に今度は、自分が「バカ」と称される側にまわってしまう可能性もあるのだ。

・ひとときの痛快さ、爽快さを、少なくとも政治に求めることはしない。それは、ゲームなりプロレスなり、娯楽に求めるべきだろう。

・世の中にウマい話はない。自分だけが驚くほどの得をすることもまずない。誰かが自分の敵をすべて成敗してくれる、などというのも夢物語にしかすぎない。



「だまし」に負けない心理学 (生きる技術!叢書)

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