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『自燈明 捨てる自分、活かす自分』 [☆☆]

・拝み屋さんとは、わけがわからない出来事の原因をスパッと一つに決めてくれる人です。

・「不純異性交遊なんかするんじゃないぞ」と言っていたわけでしょう。ところが、しばらくしたら、「お前、まだ結婚しないのか」……。いったい、いつ解禁になったのですか。あるとき突然に、「まだ、結婚しないのか」と変わるんですね。

・「病気にくわしい人」より「元気にくわしい人」に。

・たとえば、青空に白い雲がある様子を、思い浮かべないでください。どうですか、思い浮かべてしまったでしょう。このように、「思い浮かべるまい」と想うことと、「思い浮かべよう」と想うことは、結果的には同じ効果があるのです。同様に、「がんだけにはなりたくない」というふうに思うのは、「がんになりたい」と思うのと、ほぼ同じ力を持っているということです。

・腹を立てない方法を述べたいと思います。何か痛い思いをしたとき、イヤなことがあったとき、怒りを抑えたいときに、「ああ、風流だなぁ」とつぶやいてみるんです。

・風流とは、非日常を楽しむ余裕でもあります。どんなイヤなことが起こっても、「風流だなぁ」とつぶやけば、ストレスはかなり減るでしょう。

・「さ」というのは農業の女神のこと。農業の神様を古い時代に「さ」と呼んでいたわけです。この農業の神様も時々機嫌が悪くなります。その乱れることを「五月雨」と呼んでいるわけです。

・邪気に対して一番対抗できるのは無邪気なんだという考え方です。邪気に対して邪気で対応するのは、アメリカとイラクの関係のようなものです。

・禅語で、「瞋拳も笑面を打てず」という言葉があります。「瞋拳」とは怒りの拳です。怒りの拳も笑った顔は打てない。これは、こっちをすっかり信じ込んでいる無邪気な人は殴れない、ということです。怒りも萎んでしまうわけです。

・たとえば、饅頭一つの皿と、饅頭二つの皿を子供の前に出すとしましょう。そうすると、最初は迷わずに二つ乗った皿のほうに手を出します。このときを社会心理学では「物心がついた」といいます。物心がつくというのはそういうことです。ところが、しばらくすると、気遣いが始まります。本当は饅頭が二つのほうの皿が欲しいのに、どっちにしようかと迷うようになる。これを「知恵がついた」といいます。こうして知恵づくことで、本来の無邪気さがどんどん失われていく。

・学校では「挨拶はきちんとしなさい」というでしょう。これは儒教的です。挨拶は自然発生的なものでしょう。挨拶をしろ、と言われてする挨拶など、挨拶ではないと私は思います。

・梅は苦労を売り物にするところがあるんですね。寒ければ寒いほど、強い香を放つというでしょう。だから苦労すればするほど、あとでいいことがあると考えているわけでしょう。

・「梅」が正しさを主張するのに対して、「桃」は楽しさを主張しています。

・人は信用されたときに力を発揮するものだと思います。買かぶるくらいでちょうどいい。買かぶられたとき、人はものすごく乗るのです。

・世界中から支援の米が送られてきます。1週間に1人当たり3.5キロずつ配給があった。しかし、それにしても、1週間に1人3.5キロですよ! 相撲取りだってこんなに食べないでしょう。そこで難民たちは、大量に余った米を付近のタイの農民に売り、それで暮らしているのです。

・自分のやっていることが正しいと思うことは、ブッシュ大統領とそう変わらないでしょう。イラクに対しても、われわれは正しいことをやっているんだ、イラク人にとってもありがたいはずだと思っているわけでしょう。ボランティアも、自分がやっていることを正しいと思い込んではボランティアではない、というところが非常に難しいと思います。

・たいていは、自分の中の意識では、「私がどれだけ犠牲を払っているか」ということが大きくなってしまいます。犠牲を払っていればいるほど、正しいことをしていると思い込む。

・「ありがとう」と言われたとき、日本語では「どういたしまして」ですが、英語では「マイ・プレジャー」と答えます。「自分が好きでしたのです。私の喜びですから、お気遣いなく」という返事です。

・観音さまという方は三十三に変身するといわれています。三十三とは「無限」という意味です。

・観音経には、「遊戯している」と書いてあります。遊戯、遊んでいるのです。人助けを遊んでいるのです。

・風流とは揺らぐことです。風が流れる、揺らぎです。「風流だなぁ」と揺らぎが楽しめるのは、揺らがない芯があって、はじめて可能になるんですね。

・「みんなちがって、みんないい」って、世界の金言にしてもいいような言葉じゃないですか。ところが、金子みすずさんは、そこでやめられなかった。表現はやっぱり行きすぎるんです。そこで、「みんなが好きになりたいな」という詩を書いてしまった。しかしこれは無理です。みんなを好きになるのは無理です。ところが、みんなが好きになりたいなと書いてしまうと、みんなが好きになれない自分が許せない。夫さえ好きになれない自分が許せない。これは苦しいでしょう。その言葉を残して死んでいくしかない。言葉に殉死するしかない。

・アメリカのスタンダードは、WASPといいます。つまり、アングロサクソン系白人新教徒でないものは差別される。そして、差別されているから支援する。つまり、じつは自分で差別して、自分で支援しているわけです。

・スタンダードという考え方をわざわざ作るから、被差別者ができる。だからそれをボランティアで救うというシステムをわざわざ作るわけです。



自燈明―捨てる自分、活かす自分

自燈明―捨てる自分、活かす自分

  • 作者: 玄侑 宗久
  • 出版社/メーカー: 三笠書房
  • 発売日: 2006/03
  • メディア: 単行本



タグ:玄侑宗久
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