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『常識にとらわれない100の講義』 [☆☆]

・夢を見るならば、計画や準備や努力、そして研究、つまり考察と計算が必要である。

・人を羨むことは、目標を見つけたり、自分の人生を設計する基本的な材料となる。

・好きなことをしようと思ったら、時間と資金と場所が必要である。この三つがないとできないことが多い。

・時間も金も場所も、作ろうと思ったら作れるものだ。少なくとも、「恵まれない」とぼやいても、誰かが恵んでくれるわけではない。

・まだまだ時間も金も、そして場所も足りないと感じている。欲張っているわけではなく、そういう気持ちが大事だと思うのだ。不満を持っている方が、満足しているよりも幸せだ。幸せは、満足へ向かう加速度のことだからである。

・後ろめたく感じるセンスというのは、非常に正常である。後ろめたく感じなくなったり、そういう後ろめたさを吹き飛ばしたりすれば、「異常」になるだけだ。

・明日とかせいぜい来週くらいまでしか考えない人と、来年のこと、十年先のことを真剣に考える人がいて、これが積み重なると、未来にそれなりの「格差」が現れる可能性が高い。というのも、人間というのは、自分が望むようになるからだ。

・予定を次々に実行していくことは、自分に対しても他者に対しても「信頼」を築く基本的な「人間性」の一つである。

・一人で引き篭っていても、人と話ができなくても、そんなことはどうだって良い。悪いことをしないのなら、立派な社会人といえる。

・新しいものを作りたかったら、今あるものに何かを加えようか、と考えていては駄目だ。そうではなく、今あるものの何を犠牲にするか、何をやらないでおくか、を考えた方が良い。「しないこと」が新しさを求める勇気なのである。

・人間は生まれても数十年で死んでしまうから、それほど賢く成長することがない。過去の知恵を学習するけれど、それも時間的に限界がある。だいたい、多くの人は、最初の十年くらいしか勉強をしないから、そのあとは本当に家畜のように生きている。

・小説を読んで、「作者の言いたいことがわからん」なんて思う人は、小説でないものを読んだ方が良い。学校で国語の試験が変な問題を出すから、こういう間違った認識を持つ人が増えたのだろう。

・店のサービスも、丁寧過ぎると気持ちが悪い。おまけが多すぎると、ありがたみが薄れる。どうも、人間というのは、自分が想像している範囲から外れると、不気味に感じて警戒する癖が備わっているようだ。

・働かなくても、生活をする権利はある。基本的な人権というのは、義務を果たさなくても侵害されない。税金を払っていなくても、労働していなくても、教育を受けていなくても、国民の権利は同じだ。

・本当の勉強というのは、試験に合格したり、資格を取得するためにするものではない。そういうことを、残念ながら子供も、そして多くの大人も知らない。

・自分らしい人とか、ぶれない人というのは、ようするに変化しない人、言葉を変えれば、成長しない人ということになりはしないか。そんな気がする。

・宿題だけすれば責任を果たせた気分になれる人間は、飼われているのである。

・「言われたことを真面目にやってきたのに、この仕打ちは何だ?」と怒っても遅い。何故なら、言われたことしかできないという理由で、あなたという人間がいらなくなったのだから。

・ただ、そこにある内容で評価すれば良い。それができない人が、感情とか人間性とか、そういうものを持ち出すのである。つまり、意見や論理を理解できない、自分できちんと判別できないから、人の顔色を見て、その人の態度を見て、その人の身なりや立場や、あるときは人種、性別、生き様、といったものを見てから判断する。ようするに、正しいか正しくないかではなく、好きか嫌いかという感情へ持ち込もうとするのだ。

・結果を出さなければ、それは「しなかった」ことと同じである。仕事は、最後までやり遂げて一段ステップを上がる。途中で諦めたらゼロと同じ。

・世間を深く知らない人が、「偉い奴にろくな人間はいない」という捩れた認識を持っている。たぶん、本当に偉い人を見たこともないせいだろう。

・アイドルを見て「凄いな」と素直に思えるのに、総理大臣を「凄いな」と見られないのは、途中に介在する第三者(マスコミ)の演出を通してしか「人」を見られないからである。

・多くの人は、感情抜きの情報が受け取れないらしい。そういう人が、「誰某にエールを送ります」とか「子供たちの笑顔が見られるだけで幸せです」なんてことを言いながら、その実は商売をするのだろう。

・感情というのは、少なからず「見苦しい」ものだと思う。

・本当は自分に対して怒りたいことがあるのに、他者のことを怒って紛らす。自分に苛立っているのに、他者の細かいことに文句を言うことで楽になる。

・今のところ、死者が圧倒的に多いのは、原発よりも鉄道や旅客機である。

・事故が起こると、みんなが「不安だ」と騒ぎだす。今までは知らん顔していたのに、今度は心配している。大事なことなのに、知らなかったで済ませるのか。そして、たまたま知ったことだけを、「心配だ」と口にする。口にするだけで、やっぱり何もしないのか。

・友達が少なくて、悩んでいる人もけっこう沢山いる。どういうわけか、「友達は多い方が良い」という洗脳を受けている人たちだ。

・小さな権力が欲しくてしかたがない人間が、とにかく親睦をしたがるようだ。ようは自分の味方の結束を確かめたい、という心理なのだろう。

・みんな、過去しか見ていない。過去に上手くいった方法を繰り返そうとしている。みんなが同じことをするから、たちまち供給過剰になって廃れていく。

・客観的になるにはどうしたら良いか、ときどき質問を受けるが、まず、自分が望まないものを考える、自分が欲しくないものを作ってみる、それは間違っているだろうという理論や意見を、なんとか理解しようとしてみる。それが客観性を生む一番簡単な方法だと思う。

・それをできないと思っているのは、単に望んでいないだけのことだ。

・馬鹿な考えというか、そういう間違いというものは、自分の周辺ではなかなか見られない。人前でわざわざ披露される馬鹿な人格は、極めて少ないケースだからだ。

・一番馬鹿なのは、犯罪を犯してしまう人たちで、これはニュースを見ればある程度は伝わってくるけれど、それでも、多くは「馬鹿な行動」だけであって、「馬鹿な考え」までは見えない。

・震災の報道にしても、人々の表情ばかりに焦点が行く。きちんとした理屈を省略して、理由も正確に伝えず、ただ怒っている、泣いている、という場面を強調するのである。

・500円の本が100円になって喜んでいる人には、何万円もする本の価値が一生わからないだろう。そこに書かれている値段よりも高くなっている本には、高くなるだけの価値があるし、持っていても、また読んでも得だ、と考える。これは、車だって、おもちゃだって、なんだって同じことだ。中古品を安く買えて喜んでいるのは、その品の価値がわからない人たちで、小さな得をした気分になっているけれど、結局は大損をしているのである。

・一個人の要求を聞いて、書店で安価に買える娯楽本を公費で購入し、無料で貸し出すという現在の図書館のやり方は、犯罪に近いものだ。少なくとも税金の無駄遣いである。

・「私は○○になりたいのですが、なかなかなれません。どうしたら良いでしょうか?」と誰かに尋ねる人は、○○になれない。どうしたら良いのかを自分で考えることが、○○になる秘訣なのである。それを人任せにしていたら、なれるものもなれなくなる。

・どこかのイベントでしか入手できないとか、会員にならないと買えないとか、そういうものも、結局は広く流通するから焦って手を出すことはない。いずれネットで妥当な値段で買える。プレミアムとは、その僅かな時間差でしか存在しない。

・昔は氷をよく使った。麦茶にも氷を入れたし、冷や麦や冷麺にも氷が入っていた。でも、今はもうどこの家もクーラが効いている。むしろ、温かいものを飲んだ方が健康にも良いだろう、ということで、氷の使用が減っているのかもしれない。



常識にとらわれない100の講義

常識にとらわれない100の講義

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2012/07/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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