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『ショックドクトリン』 [☆☆]

・レーガンは大統領選キャンペーン中にフリードマンの代表作『資本主義と自由』を持ち歩く姿を目撃された。

・今ある世界を消去して、そこに自分たちの信じる純粋な世界を打ち立てようという彼らのロジックは、元をたどれば聖書に書かれた大洪水や大炎上のエピソードに根差すもの。

・彼にとってニューディール政策とは、大恐慌後に民衆の暴動が起きるのを防ぐために国家と企業、労働者の間で結ばれた、窮屈きわまりない停戦協定にすぎなかった。

・コーポラティズムとは、もともとイタリアのムッソリーニ政権を指す用語で、政府、企業、労働組合の三つの権力組織が同盟を組み、ナショナリズムの名において秩序を維持するために協調する警察国家をモデルにしている。

・効果的な拷問はサディズムではなく科学だと強調し、「的確な苦痛を的確な量、的確な個所に」が彼のモットーだったという。

・国連ジェノサイド条約はジェノサイドを「国民的、民族的、人種的、宗教的な集団の全部または一部を破壊する意図をもって行なわれる」犯罪と定義しているが、政治的信条に基づく集団を抹殺することは条約には含まれていない。

・唾を吐く習性のあるリャマの一種の名前を取って「グアナコス」の愛称で呼ばれた放水銃は、至るところに出現しては人間をまるでゴミのように追い払う。そしてそのあとには洗い清められて無人となった道路だけが残るのだった。

・国連ジェノサイド条約には「集団内の出生を妨げることを意図した措置を課すこと」や「集団の子供を他の集団に強制的に移転すること」がジェノサイドの定義として挙げられている。

・彼らはブルジョア階級打倒という従来の旧左翼的スローガンを捨てて、「普遍的な人権」という新しい表現を習得した。

・人道的な占領などありえないということだ。人々をその意に反して占領するのに、人道的なやり方などない。

・サッチャーは国連決議を無視し、制裁や交渉などには見向きもしなかった。両国にとって意味のあるのは、輝かしい勝利という結果以外になかったのだ。

・通過を台無しにすること以上に、現存の社会基盤を転覆させる巧妙かつ確実な方法はない。

・民主主義はないにもかかわらず、香港はアメリカより自由だ。なぜなら政府が経済に介入する度合いがアメリカより小さいからだ、とフリードマンは主張した。

・国家の資産が売却されるにあたって党幹部とその親族がもっとも有利な取引をし、一番乗りで最大の利益を手にできるという筋書きだ。こうした形で「移行」が行なわれれば、共産主義政権のもとで国家を支配していたのと同じ人間が資本主義のもとでも支配者となり、生活様式を大幅にアップグレードできるというわけだった。

・約束された回復が、少なくとも職という形では見られないことがわかると、彼らは混乱した。自分たちの運動がもたらした生活水準が、共産主義政権下でのそれより低いなどということが、どうしてありうるのか、と。

・南アはもはや、アパルトヘイト時代に言われたような「カリフォルニアのような生活水準で暮らす白人と、コンゴのような生活水準で暮らす黒人の国」であり続けることはできない。自由とは、その中間にあるものを見出すことを意味するのだ。

・あのときは政治のことしか頭になかった――大衆行動を起こし、ビショ(デモ隊と警察との決定的な衝突が起きた場所)へ行って「ここから出て行け!」と叫ぶことばかり考えていました。でも本当の戦いはそこにはなかった――本当の戦いは経済にあったんです。自分があまりにも無知だったことが不甲斐ない。自分は政治的な経験を十分に積んでいて、すべての問題を理解していると思っていた。それなのにいちばん大事なことを見逃してしまうなんて……。

・市場の獣はすでに放たれたのだ。獣を飼い馴らすことはできない。ただひたすら獣が欲しがるエサ――つまり、成長に次ぐ成長を与えるしかないのだ。

・ロウソクの灯りで本を読んでいる私に21世紀のことなんて話せるわけがない。21世紀なんて私には関係ない。ここはまだ19世紀なんだから。


ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く

ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く

  • 作者: ナオミ・クライン
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/09/09
  • メディア: 単行本



・20世紀の資本主義は、北米で労働者の権利擁護、年金制度、公的医療制度、貧困層への公的援助などを誕生させたが、これらはいずれも巨大化する左翼勢力を前にして、大幅な譲歩をするという実質的必要性から生まれたものなのだ。

・普通の西欧諸国では社会的セーフティネットが整備され、労働者の保護や医療の社会化が進み、労組も力を持っていた。そうした社会システムは、まさに資本主義と共産主義の妥協の産物、折衷案から生まれたものだった。だが、今や妥協の必要がなくなったことで、西側諸国では資本の暴走を和らげるこうした社会制度もまた崩壊の危機にさらされた。

・過去30年、インドネシア国民は感情を抑制してきた。それはスハルトが権力を手にしたときの虐殺から、地方でくり返されてきた殺戮、そして東チモールでの大量虐殺と、連綿と心に刻み込まれてきた血なまぐさい記憶のせいだった。

・CIAの尋問マニュアルでは、この手法の行き過ぎに注意するよう釘を刺している。過大な苦痛を与えると退行や従順さを引き出せるどころか、捕虜は逆に大胆になり反逆してくることがあると警告している。

・「1%原則」によれば、脅威の可能性が1%あれば、危険性は100%とみなして対応する必要がある。

・9・11以前には存在しなかったに等しいセキュリティー産業は、わずか数年のうちに映画産業や音楽産業をはるかに上回る規模へと驚異的な成長を遂げた。

・「椅子に座らされると、一人の男が尋問を始めました。すぐに答えないと、隅に置いてある金属製の椅子を指して「あれを使ってほしいか?」と聞いてくる。私は心底から怯え、拷問だけはごめんだ、拷問されないためならなんだって言う、という気になりました」。彼に使われたこの尋問テクニックは「器具の提示」、あるいは米軍内部では「恐怖の誘導」と呼ばれている手法である。

・拷問する側は、拘束者自身の想像力に訴えることがいかに有効かを知っている。恐ろしげな器具を見せるほうが実際に使うより効果的であることが多いのだ。

・ニューメキシコ州では日常生活に必要な読み書き能力に欠ける人が人口の46%、「売上金の合計を出すといった基本的な計算能力」のない者が20%にも及ぶ。

・現地の低賃金労働者すら必要とされなかった。というのも、契約を受注したハリバートン、ベクテル、カリフォルニアに本社を置く巨大エンジニアリング企業パーソンズなどは、自分たちの管理しやすい外国人労働者を使うほうを好んだからだ。

・イラク国民は恐れおののきながら傍観するという立場に置かれた。まず初めにアメリカの軍事テクノロジーに、次にはその工学技術と経営手腕に恐れおののくしかなかったのである。

・国民は自分の身の丈に合った政府しか持てないのである。

・ベジタリアンにとびきりの牛肉の赤ワイン煮込みが作れないのと同様、保守主義者がうまく国を統治できるわけがない。自分に課せられた任務に対する信頼がなければ、事がうまく運ばないのは当然だ。国の統治において、保守主義とは惨事の代名詞である。

・その土地の住人が自分たちの過去を放棄するのを拒めば、たちまちある国を「白紙状態」にするという夢想は、その分身たる「焦土作戦」へと変貌する。そして「すべてを作り直す」という夢想は「すべてを破壊し尽くすこと」へと形を変えるのだ。

・軍事用語で言ういわゆる「ミッション・クリープ」(本来の任務や活動がなし崩し的に拡大・変質すること)である。

・長い内戦のせいでグローバリゼーションの波が最後まで及ばなかったことこそ、スリランカの最大のセールスポイントだという点で、これら国際融資機関の認識は一致した。ごく狭い国土にもかかわらず、スリランカには、ヒョウ、サル、何千頭ものゾウなど豊富な野性生物が生息している。ビーチには高層ホテルは一軒もなく、山間部にはヒンドゥー教、仏教、イスラム教の寺院やモスク、聖地などが点在している。

・しばらくすれば津波の被災者が「特別な」存在であるという感覚も薄れ、やがては世界の何十億という顔の見えない貧困者と変わりなくなる。

・グローバル経済が生んだ貧富の二極化――違う国というより違う世紀に生きている、といったほどに隔たりがある。

・スリランカに平和を根づかせるためには、戦争が人々にもたらす以上の恩恵がなければならないということだ。たとえば内戦中は、政府軍が兵士の家族の面倒を見るし、タミル・タイガーも戦闘員や自爆兵士の家族の面倒を見るという具体的な経済的恩恵がある。

・災害は人を差別することなく、すべての人に「民主的」に襲いかかるというのは聞こえのいい作り話にすぎない。災厄が狙い撃ちするのは所有せざる者、危険区域で暮らすしかない者たちだ。

・災害の被災者に緊急支援を提供しようという政府の温情的措置は、民間市場のリスク管理対策に悪影響を及ぼす。言い換えれば、被災者が政府の救済を当てにしている限りは、民間企業の提供するサービスに金を払う気にはならない。

・住民が郡の行政サービスに長年不満を募らせてきた。自分たちの払った税金が、アフリカ系アメリカ人の多く住む低所得地区の学校や警察のために使われるの我慢できないというのだ。そこで住民らは人口約10万人のサンディ・スプリングという新しい市を郡から独立して発足させることを住民投票で決定した。建設大手CH2Mヒルが住民らに他に類を見ない売り込みをかけてきた――われわれにお任せください、初年度2700万ドルの資金を出していただければ市の体制をゼロから作り上げます、と。数か月後、サンディ・スプリングは全米初の「民間運営の市」となった。市の正規職員はたった4人、ほかはすべて契約事業者の社員だった。

・スポーツスタジアムの特別観覧席、禁煙エリア、空港内のセキュリティー・ゾーン、そして「ゲーテッド・コミュニティー」。フェンスは「持てる者」の特権意識と「持たざる者」の羨望を、どちらにとっても気恥ずかしい形で露呈する。だがそうは言っても、フェンスにはそれなりの機能がある。

・気候問題にせよ政治情勢にせよ、現時点で火種は十分すぎるほどあり、もはや策を弄して大惨事を引き起こす必要はない。つまり市場の見えざる手に委ねれば、大惨事は次々に発生するのだ。この点に関して市場はけっして予想を裏切らない。

・ロシアからの移民流入によってパレスチナ人労働者に依存する必要性が小さくなり、占領地の封鎖が行われる一方、セキュリティ関連のハイテク経済が急速に拡大した結果、強大な権力と資金を持つ階層の内部に、和平を放棄して「テロとの戦い」を継続し、拡大し続けていくことへの強烈な欲望が生まれたのである。

・イスラエルの経済成長は、それまでのようにベイルートやダマスカスに重い貨物を輸送するのではなく、ロサンゼルスやロンドンへソフトウェアやコンピュータ・チップを送ることで達成されるようになった。その結果、周辺アラブ諸国との友好関係を保ち、占領地での支配体制に終止符を打つ必要性は大幅に薄れたのだ。

・和平より重要なもの、それはセキュリティーだ。オスロ・プロセスの間は、皆、経済成長のために和平を求めた。だが今は暴力が成長の妨げにならないよう、セキュリティーを求めている。

・すべてのイスラム教徒はテロリストだと言うのは差別的かもしれないし、事実に反しているかもしれない。けれどもほとんどのテロリストがイスラム教徒だというのはまさに事実だ。

・それはどこかの国が勝利するという戦争ではない。そもそも勝つことは重要ではない。壁の外側で低レベルの紛争が果てしなく続くことによって強化される要塞国家を築き、その内部の「セキュリティー」を保つことこそが重要なのだ。

・私が思うに、他人の金を使って善政を行なう、といった考えがそもそも大きな過ちなのです。

・9・11の攻撃も当初は純粋な事象であり、生々しいリアリティーが、そのリアリティーと理解の溝を埋める説明や解説によって処理されることなくただ存在していた。だがいったんなんらかの説明が提示され、衝撃的事件を大局的に把握できれば、人は方向性を取り戻し、つじつまの合った世界がふたたび姿を現す。

・政府にお金を出させようとして戦っていたときは、自分たちの力で立ち直るために何かしようという気はまったくなかったんです。


ショック・ドクトリン〈下〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く

ショック・ドクトリン〈下〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く

  • 作者: ナオミ・クライン
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/09/09
  • メディア: 単行本



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