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『自分のアタマで考えよう』 [☆☆]

・新しい現象が出てきて新しい情報に触れたとき、過去の知識ではなく、目の前の情報から考えることができるかどうか。それが「考えることができる人」とできない人の分岐点です。

・一部の「知識」は「過去において、他の人がその人の頭で考えた結果」です。それを私たちは書籍や講義、報道などを通して学んでおり、自分の頭の中に知識として保存しています。なにかを考えろ、と言われたときにそれを頭の中から取り出してくるのは、「他人の思考を頭の中から取り出してくる行為」に他なりません。

・私たちがなにかを決めるときには「情報」とは別に「意思決定のプロセス」が必要です。たとえば、ある洋服を買おうと思ったけれど価格を見て買うのをやめたとしましょう。その意思決定ができるのは、「その洋服の価格」という情報を集めたからではなく、「この質、このタイプの服に関しては、1万円以下でないと私は買わない!」という意思決定プロセスを自分の中に持っているからです。この思考プロセスに「洋服の値段」という情報を放り込み、「コレは買う、アレは買わない」と決めているのです。

・「なんとなく関係ありそうだし、どこかで役立ちそうに思える情報を集めている会社員」は、「なんとなく使えそうな食材や調味料を買い物カゴに入れ続ける主婦」と同じです。おそらく大半の情報は、使われないまま賞味期限をむかえてしまう多くの食材と同じように、そのうち使われないままに無駄になってしまうことでしょう。

・「私は考えた!」と言って、「じゃあ、結論(=あなたの意見)はなに?」と聞かれたときに、なにも浮かんでこないのであれば、それはじつは考えていないのです。

・情報を見たときにまず考えるべきことは、「なぜ?」と「だからなんなの?」のふたつです。

・次に起こることを予想し、それに対応するためになにをすべきかを考える、これが「だからなんなの?」によって問われる思考です。

・医療や介護など高齢者向け産業へのニーズが高まっても、それを供給する人手が足りなければ産業は成立しません。

・世の中には「過去のデータはあるけれど、誰も将来を予測していない」分野もあります。そういったときに「自分の頭で考えて予測できる力」があれば、将来に向けて準備や投資ができるようになります。

・「格差の固定化を認めるのか!?」などと反論を受けるのですが、現実に格差があるのに全員に同じレベルの家賃や光熱費を払わせるから、お金がなくてアパートを追い出されたり、電気を止められる人が出てきているのではないでしょうか? 「たまに停電するけれど、電気代の基本料金はゼロ」というような、「サービスレベルは高くないけれど、格安に暮らせる地域」があれば、今よりラクに暮らせる人は確実に増えると思います。

・都知事選で敗れた東国原元宮崎県知事もワタミ会長の渡邉美樹氏も、大都市のリーダーに不可欠な「対中央(国)の対抗意識」に欠けていました。また、日本でも強者がもっとも多い東京で「弱者保護」を強調するなど有権者の心をつかみきれませんでした。

・戦後の日本では、「リーダーを育てる教育」を「エリート教育」と呼び、「人に格差をつけるものだ」として忌み嫌う考えが出てきました。しかも教育界にそういう思想の人がいるので、「リーダーなら、こういうときにはこう振る舞うべきだ」という具体的な方法論を教える学校がほとんどありません。

・企業分析の基本は二種類の比較だ。財務データはまず競合他社と比較すること。その次に、過去と現在を時系列に比較すること。

・「冷戦下で西側陣営の一角を守るという使命を遂行するための政党であった自民党」は冷戦終焉により一気にその存在意義を失い、瓦解がはじまったのです。

・決められないのは選択肢が多すぎるからではありません。決められないのは、「判断基準が多すぎるから」なんです。

・「昼食にかけられる予算は300円以内」という制約があるサラリーマンは、食事をする店の選択にほとんど迷わないでしょう。いくら選択肢が多くても、ひとつでも明確な判断基準があれば人はすぐに決断できるのです。

・「自分はなにによって物事を判断すべきか」という優先順位の高い判断基準を明確化しておけば、決断が簡単になる。

・「目標の姿」が決まれば、それを実現するためにどのような判断基準を使えばよいかは、自ずと明らかになります。

・世の中は複雑です。大事に思えることはたくさんあります。でも、だからこそ「その中で、もっとも大事なことはなんなのか?」という点を見極める必要があるのです。そして、多くの選択肢の中から大事なものを見極めるためには、あえてシンプルな基準が必要なのです。

・日本企業は、与えられたフィルターの中で一番に選ばれるための商品を開発することにはとても優れているのに、「今までになかった新たなフィルターを消費者に提示する」ことが必ずしも得意ではない。

・ビジネスの世界では、この「新たな選択基準=新たなフィルターを提示する」ことを、「ゲームのルールを変える」といいます。

・まずは考え、あとから「知識として、他の人や専門家が考えたことを調べる」という方法の方が、考えるための訓練としては適しています。自分が考えたあとでそれらを読めば、「誰かが考えたこと」と「自分の思考」が意識的に対比できるからです。

・NHKがひたすら報道していたのは、飛行機が激突し崩壊したワールドトレードセンターにオフィスを構えていた日本の金融機関の社員名でした。

・「日本の金融機関に勤める、日本人社員の名前」、それが、世界で過去に例をみない大規模なテロ事件が勃発したとき、日本を代表するテレビ局が「今、報道すべき」と判断した情報だったのです。

・CNNがパニック映像を興奮気味に放映し、NHKが日本企業に所属する日本人正社員名を読み上げ続けている間、BBCでは早々にテロの背景分析を行なう討論番組がはじまっていました。

・イギリス人がBBCしか見ず、アメリカ人がCNNしか見ず、日本人がNHKしか見ないのであれば、それぞれの国の人に世界はまったく異なって見えるのだろうと思えた。

・よく、「同じものを見ても、いろいろ気がつく人と、ぼーっとしていてなにも気がつかない人がいる」というような言い方をしますが、この両者の差は、「知識を整理するための思考の棚を持っていて、次に知りたい情報を意識的に待っているかどうか」にあります。

・なにげないものを見て「あっ、なるほど!」と瞬時になにかを考えつく人の頭の中には、「次に自分がほしいのは、こういう情報だ」ということが明確にされた「思考の棚」が存在しているのです。

・待っていた情報が実際に手に入ったとき、彼らはそれを頭の中の思考の棚にまるで「ジグソーパズルの最後のピース」をはめ込むようにぽんと放り込んだうえで、「その情報が存在したなら、こういうことが言えるよね」と、すでに考えてあった結論を「思考の棚」から取り出してきているのです。つまり、それは、彼らの「頭の回転の速さ」を示しているのではなく、「思考自体がすでに完了していた」ことを示しているのです。

・事前に「この情報が手に入ればなにがわかるか、なにが言えるようになるか」を想定しておくと、「その情報を手に入れる価値」も判定できます。

・私が数学の問題の解き方を暗記しているときに、「オレの解き方の方がキレイだ」と言っていた同級生は、今は数学者になっています。

・「答えとしての知識」が目の前に現われてしまうと、さっさと考えることを放棄し、「なるほど! これが答えなのね! すごい!」と感心してそのまま受けいれてしまうような素直な(?)人は、まずは「考える」ことが「知る」こととは違うのだと理解するところからはじめる必要があります。



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