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『もうおうちへかえりましょう』 [☆☆]

・ひとりの時間を優雅に過ごせない。

・本当の自分に生まれ変わりたいと思う。

・「女と男はわかりあえるか」というテーマそのものが、明らかに女性の側からのニーズに基づいたものであって、世の中のほとんどの男性は、そんなことは考えたこともないからだ。

・「わかりあうって、一体何を?」と思う、と思う。通常の男性の意識からすると、そこには「何を」わかりあうのかという目的語が欠けているのである。そして彼らは目的語を欠いた概念を理解したり、扱うことがたいへん苦手なのだ。

・そこには「何を」わかりあうも、わかりあって「どうする」も存在しない。ただ「お互い」に深くわかりあってひとつになりたい、という願いがあるだけだ。

・女性漫画誌に掲載されている作品の多くが、恋、愛、セックスなど広義のシンパシーを扱っているのに対して、男性誌の作品テーマは、スポーツ、ビジネス、ミステリ、歴史、料理、株、釣り、将棋、麻雀等、まったくばらばらである。

・月刊「ナース」を読むひとがナースであるように、月刊「連続殺人鬼」を読むひとは連続殺人鬼だ、と思っているのだろうか。

・シャープペンシルがナイフだとすれば、ノートパソコンとシステム手帳と大量の本を詰め込んだ革鞄は一種の鈍器と化している。

・自分のような性格の人間は、何かひとつが止まると何もかもが同時に止まってしまいそうだ。本も読まない。顔も洗わない。仕事もしない。

・『銀河鉄道の夜』とか『透明人間』とか、実は凄いタイトルなのかもしれない。そういうイメージが既に「在る」世界にいるからそれほど感じないけど、それらがまだなかったときに、こんなタイトル(というか発想そのものか)をつけるのはきっともの凄いことなんだろう。

・飲食店を除く世の中のお店は、どうしてそのほとんどが朝から夕方までの営業なのだろう。夕方から深夜までとか、夜の十時から朝までとか、そういうお店がもっとあってもいいと思う。平日の昼間は買い物ができないという勤め人は沢山いるのだから。

・リサイクル型の書店が流行ったのは、本自体の値段の他に、夜遅くまでやっていることも大きいのではないか。

・心の深いところで自分に縁がないと感じているものは、人間の目に入らないらしい。車に乗らないひとの家に遊びに行くとき、最寄の駐車場の場所を訊いても、「え、あったかな、知らないや」と云われるのは、よくあることだ。勿論、そういうひとは自宅近くの道路が一方通行かどうかも知らない。さらにレベルがあがると「一方通行」の意味自体を知らない。

・初めて一万円以上する本を買ったとき、どきどきした。一線を超える罪悪感と自己拡大感が混ざった興奮である。

・画集や写真集のように定価そのものが高い本よりも、定価二百五十円なのに古書価が一万二千円の詩集を買う方が、よりどきどき感が強い。だが、いったんそのラインを超えてしまうと、次からは平気になる。

・一年に一度ぐらいほぼ全作品を読み返す。その先の展開を知っていて、しかし細部の記憶は微妙に薄れている作品を読む楽しさは格別だ。



もうおうちへかえりましょう

もうおうちへかえりましょう

  • 作者: 穂村 弘
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2004/05
  • メディア: 単行本



タグ:穂村弘
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