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『(日本人)』 [☆☆]

・グローバル化した世界では、政治や行政にできることはじつはそれほど多くない。それにもかかわらず、私たちはあまりにも多くの期待や要求を「国家」に寄せている。

・「空気を読む」ことを、タイではグレンチャイという。「遠慮」「気遣い」のことで、「不快なことや対立が生じる恐れのある場合、そして楽しく協力的な人間関係を保つ必要があった場合に、自分自身の関心や欲望を抑制しようとする個人の態度」とされる。

・もし、社会全体がすべての人を幸せにするような行為を見つけなければならないとすると、邪魔になるものを閉めだすしかない。

・統治の倫理は、40億年前の生命誕生からつづく進化の歴史のなかで育まれてきた。それに対して、市場の倫理はまだ5000年程度の歴史しかない。統治の倫理はヒトの遺伝子にあらかじめプログラムされた本能であるのに対し、市場の倫理は学習によって身につける文化だ。

・「交易によってすべての市場参加者の富が増えていく」という古典派経済学の基本原理は、人間の本能と対立するために、洋の東西を問わずほとんど理解されることがない。

・経済のグローバル化は、北と南の経済格差を解消させる巨大な圧力だ。しかしこの無慈悲な市場のメカニズムは、経済的な弱者を振り落とすことで先進国のなかの格差を拡大させていく。

・たとえ世界全体が幸福になったとしても、ひとは自分が(相対的に)貧しくなることに耐えられない。その意味でグローバル化は、私たちの生活を破壊する侵略者なのだ。

・この実験を50回ほど繰り返すと、やがてプラナリアは明かりが点くだけで、電気ショックを予想してからだを丸めるようになる。すなわち、プラナリアは学習するのだ。このプラナリアをふたつに切断し、再生した段階で同じ実験をすると、中枢神経系のある頭部から再生した個体だけでなく、尾部から再生した個体も、同じ頻度で回避行動を行なう。「記憶」は、再生しても受け継がれるのだ。さらに、共食いの性質を利用して、学習したプラナリアを学習していないプラナリアに食べさせると、学習していない個体も回避行動を行なうようになる。驚くべきことに、「記憶」は食べることができるのだ。

・私たちが常にものごとを因果論で考えるのは、それが正しいからではなく、脳が世界を因果論的に解釈するようにできているからだ。ヒトは、原因と結果が結びつかないと「わかった!」とは思えない(腑に落ちない)。

・進化心理学は、あなたが恋人とわかり合えない理由をたった一行で説明してしまう。すなわち、「異なる生殖戦略を持つ男女は「利害関係」が一致しない」のだ。

・政治的な決断というのは、共同体のなかで利害の対立が生じたときに、一方の要求を認め、もう一方の要求を拒絶することだ。しかし構成員の退出可能性のない農耕社会では、この政治的な決断が原理的に不可能になってしまう。要求を拒まれた側も、共同体の一員としてずっとその土地に住みつづけるからだ。

・農耕社会には「進歩」という概念がない。農耕というのは、春に種を播いて秋に収穫するという同じ営みの繰り返しだ。今年と同じことが来年も起こり、それが再来年も、その翌年も、未来永劫つづいていく――この世界観が前提となって社会がつくられている。

・戦争に明け暮れた「戦前」と平和を愛する「戦後」は、日本人が世界でもっとも世俗的な民族だということから一貫して説明できる。世俗的というのは損得感情のことで、要するに、「得なことならやるが、損をすることはしない」というエートスだ。

・あえて「日本人の特徴」を挙げるとすれば、さまざまな価値観調査から明らかなように、その世俗性がきわめて強いことだ。このことは、日本における「空気の支配」と矛盾しない。「世間」の拘束が強いのは、そうしなければひとびとをひとつの共同体にまとめておけないほど日本人が「個人主義的」だからなのだ。

・日本人は、御利益のある神と自分の得になる権威しか認めない。

・ウォン・カーウァイが映画『恋する惑星』(1994年)で一人暮らしの若者たちを描いて大評判になったのは、当時の香港では、そんな生活は現実にはあり得ない「おとぎ話」だったからだ。

・日本では、人間関係は「場」から生まれる。「場」を失ってしまえば、私たちは孤独に戻っていくしかない。

・私たちは快適な家に住み、季節に合わせた服を着て、山海の珍味を楽しんでいるが、そのなかで独力で獲得できるものは数えるほどしかない。高度な文明社会では、ひとびとは「無力」になることでゆたかになっていく。

・アダム・スミスの大発見は、「ゆたかさの秘密は分業にある」ということだった。イノシシと魚の交換を、それ以外のさまざまなモノに広げていくことによって、人類は月にロケットを飛ばして、地球全体をインターネットの網の目で覆うまでに至ったのだ。

・社会全体の分業が高度化し、人的資本に高いレバレッジがかかるほど、ひとびとはゆたかになっていく。だとすれば、人類がよりゆたかになるには、現在よりもさらに分業を高度化すればいい――これが経済学の大原則だ。

・もしも自由貿易否定論者の主張が正しければ、私たちは国だけでなく、都道府県や市区町村で関税を課したほうが今よりずっとゆたかになれるはずだ。

・一定所得水準以下の国民に手厚い生活保護を支給している国があるとすれば、無制限の移民や市民権取得を認められるはずはない。当然、既得権を持つ国民はネオナチのような極右政党を結成して移民排斥を政府に要求するようになる。これが、福祉に冷淡なアメリカに極右政党がなく、「福祉国家」の見本となったヨーロッパ各国が極右の台頭に悩まされる理由だ。福祉国家とは、差別国家の別の名前なのだ。

・貧しい国に独裁国家が多いのは、ゆたかな国々の政府や国民が、貧しいひとたちが国境を越えて流入してこないよう、人の流れを強引に堰き止める強圧的な権力を必要としているからだ。こうした国々への経済援助の大半は賄賂として権力者の懐に納まるが、これを刑務所の看守への報酬と考えれば、先進国の資金はもともと「囚人」に分配されるはずなどなかった。

・デモクラシー democracy は「主義=ism」ではなく、神政 theocracy や貴族政 aristocracy と同じ政治制度の名称だから、これを「民主主義」とするのは明らかな誤訳だ。最近の政治学や歴史学では「民主政」「民主制」と訳したり、「デモクラシー」とカタカナ表記するのが通例になっているが、教科書やマスメディアはいまだに誤訳が広く使われている。

・人類史の大半において正義はつねに複数あり、そのなかで「俺たち」がもっとも有利になるものが状況に応じて「真の正義」とされてきた。

・有能な政治家とは、正義や理念を語るのではなく、水面下の交渉で関係者を脅したりすかしたりしながら合意を取りまとめられるひとのことだった。

・デモクラシーは原則として「退出自由」を前提とする制度だから、ティーパーティーとオキュパイ(ウォール街を占拠せよ)のように、退出する気のないひとたちがルールの段階で真っ向から対立すると収拾がつかなくなる。

・原子力対策特別措置法には、経産大臣が防衛省・自衛隊や消防庁を指揮する根拠はまったく書かれていない。その意味で、海江田大臣は「何の責任を負うこともなく、命を投げ出せ、と命じ続けた」と批判されても仕方がない。

・農耕社会は土地を中心とする退出不可能な世界だから、ものごとは全員一致でしか決まらない。だとしたら、相手が合意しないときは物理的に消滅させてしまうほかはない。このように中世初期の村は、過酷な暴力の掟で運営されていた。

・貧しいひとたちに施しを与えるのは、相手の尊厳を奪い、収入を得ようとする意欲を失わせる最悪の方法だ。

・グラミン銀行から低利の融資を受けられるようになったことで、働いて稼いだお金から返済できるようになった。極貧のなかで人間性を奪われていた女性たちにとって、「借りたお金を返す」ことが、生まれてはじめて得る自尊心だったのだ。

・福祉国家とは、人口の少ない(スウェーデンの人口は約1000万人)寒冷地で、住民が一ヵ所(首都)に固まって住んでおり、資源に恵まれているような国でしか成功しないモデルなのだ。

・ネットオークションが大きな成功を収めたのは、出品者にモラルを説教したためではなく、道徳的に振る舞うことが得になるような制度を設計したことにある。正しく設計されたアーキテクチャは、ユーザーを「道徳的に」振る舞わせることができるのだ。

・評判経済が成立すると、(理論的には)ひとはこれまでよりもずっと少ない貨幣で満足し、それ以降は評判を獲得することに夢中になるはずだ。豪邸に住んでランボルギーニに乗り、プライベートジェットで旅行して金持ちぶりを見せびらかしてもたいして注目を集められなくなって、無意味な金儲けに興味を持たなくなってくるのだ。

・他人の言動に対して怒りを感じると、その瞬間に自分が「善」、相手が「悪」となり、表に出せない悪意や憎悪は「正義」に変わる。

・ほとんどのひとは、ポジティブな評価をRTし、ネガティブな評価はそのまま放っておくだろう。古代社会では、負け戦の知らせを持ってきた使者の首がはねられたという。ひとはどんなことにも因果関係を見出そうとするから、よいニュースは自分に対するプレゼントで、悪いニュースは呪いになる。ツイッターで悪い評判ばかりをRTしていると、誰からも相手にされなくなってしまうのだ。

・フェイスブックの戦略は、この評判確認装置の事実上の標準になることだ。そのときフェイスブックは社会的な関係そのものを生み出す必要不可欠なインフラとなり、私たちは就職や結婚ばかりでなく、合コンや友だちづくりなど日常のささいな出来事までフェイスブックで検索し、相手の素性を確かめようとするだろう。

・前期近代においてはマルクス主義のような「社会を変える」思想が信じられたものの、後期近代になるとそうした「大きな物語(革命)」は流行らなくなり、「<私>を変える」という「小さな物語(自己啓発)」が広まっていく。

・『ONE PIECE』や『NANA』など、日本のマンガやアニメは、「自由な主人公が、冒険や恋愛を通して自己実現していく」物語を核にしている。「クール・ジャパン」は、後期近代の普遍性に真っ先に到達したからこそ、世界じゅうの若者たちを虜にするのだ。

・「他人とはちがう」というのは傲慢さの裏返しであり、世間から半分落ちこぼれた自分を正当化する言い訳でもある。




(日本人)

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  • 作者: 橘 玲
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