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『ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア』 [☆☆]

・仮に失敗することが青春の証であるのなら、友達作りに失敗した人間もまた青春ど真ん中でなければおかしいではないか。しかし、彼らはそれを認めないだろう。なんのことはない。すべて彼らのご都合主義でしかない。

・何が好きかというのは表面の第一層にすぎない。その底の層に、全員共通している何かがある。それが何かといえば、「自分が好きなものは自分で決める」という強烈な意志と知性の表れだと考えています。

・「ライト」な振る舞いは、その大前提として、プラトニックとさえ呼べるような本命相手との「シリアス」な葛藤が必要不可欠だ。

・アメリカ:日本=東京:田舎 という図式は無効とされ、代わりに、アメリカ:日本=(現実に米軍基地を持つ)田舎:(アメリカに憧れる)東京 という、文化的逆転現象が、70年代日本においては成立していた。

・そこそこな喜びのみでも、充分生きて行ける事を確認した。なにも毎日がどんちゃん騒ぎになる必要も無いのだ。

・馴染んでいるのではない。把握、認識しているだけなのだ。そのふたつの間には決定的な差がある。

・思い出すことすら厭われる過去への想いというものを「ノストフォビア」(帰郷嫌悪)と呼んだ。ノストフォビアとは、「故郷で受けた迫害と屈辱のいっさいに堅く口を噤み、想起に怯え、過去をめぐって異常なほどの嫌悪と恐怖を抱く」という「精神の動き」である。

・「家のないアフリカの子供」たちの視点に立てば、この現代日本に暮らす自分たちはいないも同然である。

・もちろん、彼らにだって家を「出ること」は出来るかもしれないけれど、それはただ、家と自分との距離が広がるだけのことであり、「捨てる」ことにはならないのだ。

・同じ世界に居続けながら、決して重なり合うことのない座標点たち。自分にとっての「今」と「ここ」は、誰かにとっての「いつか」と「どこか」でしかない。

・結局のところ、「家」は出るものでも留まるものでもないのだろう。それはただ、自分たちの日常をマッピングする上できわめて有用性の高い基点なのだ。

・ラノベ世代が「大人」になるとき――。それは、彼らがライトノベルというものをノスタルジックに回想するときであり、同時に、彼らの周りにはすでに、「ラノベを知らない子供たち」が新しい若者文化を立ち上げているときである。





ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア (講談社現代新書)

ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア (講談社現代新書)

  • 作者: 波戸岡 景太
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/06/18
  • メディア: 新書



ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア (講談社現代新書)

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  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/06/20
  • メディア: Kindle版



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