『世界初をつくり続ける東大教授の「自分の壁」を越える授業』 [☆☆]
・秀才は、与えられた課題を効率よくこなし、既存の枠組の中で最大限の結果を残すことができます。しかし天才は、枠組(ジャンル)そのものを自分の手で生み出すことができます。
・大勢の人が注目する分野には目もくれず、誰ひとり見向きもしないような場所で、伸び伸びと研究してきた。新しい「モノ」をつくるのではなく、新しい「ジャンル」をつくってきた。
・ブルー・オーシャンとは、「マイナーな競技に参加すること」ではありません。自らの手で「まったく新しい競技をつくること」です。
・アメリカ社会の「誰もやっていないから価値がある」「人と違うことに価値がある」という、ある意味日本とは正反対の考え方です。
・ほめることと甘やかすことは違います。そしてなにより、ほめるのはタダです。相手に少しでもほめるべき点があったら、ためらうことなくほめていきましょう。
・いまの日本はあらゆる業界が飽和状態を迎えていて、従来的な改善・改良型のアイデアでは見向きもされない時代になっている。これから求められるのは、「新しいモノ」ではなく「新しいジャンル」をつくる意識だということ。
・既存の市場に新商品を投入するのではなく、「新しい市場を開拓する」という視点で商品開発をおこなう。
・サイエンスにおける「発見」は、想定外に「遭遇」することからはじまります。
・「いい質問」とはマニアックな指摘をすることではありません。「このポイント押さえておけば、対象への理解度が何倍にも深まる」というポイントを突くことが「いい質問」なのです。
・思考パターンを変えるためには、生活パターンを変えるのです。
・みんながラーメンを食べていたら、自分だけはカレーを食べる。はじまりはこれくらい些細な行動でもかまいません。日常の中に、ひとつでも多くの「みんなと違う行動」を増やしていくのです。
・椅子のデザインでもなくてもかまいません。対象はみなさんの身近にあるものなんでもいいのです。考え尽くして思考回路を一変させるためのトレーニングとして、ぜひ一度「一晩で100個」を試してみてください。一流の人たちにとっての「考える」が、どれほど厳しいものであるか理解できるはずです。
・日本人は、新しいことにチャレンジしようとする人に対して「減速発言」をしてしまう。その人の勇気をくじくような言葉を投げてしまう。
・まず、スタートにあたって出てくる言葉は、次の2つ。「絶対にできない」「成功してから見せなさい」 そして成功してから出てくる言葉が、次の2つ。「どこかで見たことある」「別に新しくない」 これは必ず出てくる「減速発言」だから、まったく気にする必要はありませんよ。
・世間から簡単に受け入れられ、誰からもすんなりと認められるような研究は、しょせん「その程度」の研究なのです。研究のコンセプトが斬新であるほど、世間は認めようとしません。世間がその斬新さや先見性に気づいてくれるのは、ジャンルが確立したあとの話になります。
・なにかに失敗したときに「運が悪かった」とか「状況が悪かった」と言い訳せず、「自分のイマジネーション能力が足りなかったのだ」という「気づき」を得ることができれば、その後の人生は大きく変わるでしょう。
・コツコツと階段を登って、建物の10階までたどり着く。ここで周囲に階段を登る姿まで見せてしまえば、その人は「努力家」と呼ばれるでしょう。しかし、階段を使ったことを隠して、突然10階に現れたように見せれば、世間は「天才だ!」と大騒ぎする。
・天才たちを「天才」のひと言で片づけてしまうと、なにも学ぶことができませんし、むしろ「どうせ自分には才能がないから」と諦めの材料にさえなってしまいます。
・天才とは特別な才能を持った人というより、純粋に人一倍の努力ができる人であり、その努力を他人に見せない人なのです。
・結局のところ天才とは、ただただ「生き方」が天才なのです。みんな(=凡人)と違った生き方を選べること。このひと言に尽きます。
・生き方が天才な人は、自分の人生をすべて動員・投入することができるんですね。
・「自分は運が悪い」と思っている人は、きっと落ちてきたぼた餅に気づいていないだけでしょう。
・印象深かったのが「能捨(のうしゃ)」という仏教用語です。それなりに優秀な人は、なにをやらせてもある程度のところまでいく。どんな分野に手を伸ばしても、一定以上の結果を出せる。でも、それだと「そこそこ」の結果で終わってしまう、もう一歩先に進みたかったら、なにかを捨てなきゃいけない。それが「能捨」だというんですね。
・結局のところ「なにを捨てるのか?」という問いは、「なにを残すのか?」を考えることなんですね。
・受験勉強以外のやり方を知らず、自由な発想ができない。勉強とは与えられた課題をこなすことだと思っているわけです。
・日本の将来を語るとき、多くの識者は「教育から変えていかなきゃダメだ」と言います。しかし、ただ教育システムを変えるだけではなんの意味もありません。変わるべきは子供や若者ではなく、まず大人なのです。
・日本では、官僚にしても国の研究所にしても、ハーバードを出たような人間はほとんどいません。
・経営トップがやりたいといって、現場のレベルでもやる気になっているのに、その間にいる管理職が「こんなもの無理に決まってるじゃないか」とストップをかけてしまう。いま大きな企業ほど元気がないのは、みんなそのせいだよ。
・企業の中で新しい動きにストップをかけてしまう人のマインドも理解できる気がします。要するに彼らは、これまでの会社員人生の中でリスクを選んだ経験がないのでしょう。「リスク」を乗り越えるべき課題だと考えず、回避すべき課題だと考える。
・人の幸せは、(1)誰かに愛されること、(2)誰かにほめられること、(3)誰かの役に立つこと、(4)誰かに必要とされることの4つによって、手に入れることができる。そしてこのうち(2)と(3)と(4)は、働くことを通じてのみ、得られるものだ。
・欧米では「みんながどうしているか」ではなく、もっと普遍的なルールを教えます。つまり、誰がどうしているといった話は抜きにして、「公共の場で騒ぐのは迷惑になるのだから、大人しくしていなさい」と教えるわけです。この育て方であれば、子供たちは「みんながどうしているか」など気にしません。
・結局、日本ではルールの代用品として「みんな」を持ち出しているんですね。ルールを守ることよりも「みんなと同じ」であることのほうが優先される。これではなかなか個性的な人材を育てることはできません。
・世界を変えていくのは、優等生の仕事ではありません。みんなから「バカ」と笑われる人たちが世界を変え、新しい常識をつくり、優等生はそのあとをついてくるのです。
・大勢の人が注目する分野には目もくれず、誰ひとり見向きもしないような場所で、伸び伸びと研究してきた。新しい「モノ」をつくるのではなく、新しい「ジャンル」をつくってきた。
・ブルー・オーシャンとは、「マイナーな競技に参加すること」ではありません。自らの手で「まったく新しい競技をつくること」です。
・アメリカ社会の「誰もやっていないから価値がある」「人と違うことに価値がある」という、ある意味日本とは正反対の考え方です。
・ほめることと甘やかすことは違います。そしてなにより、ほめるのはタダです。相手に少しでもほめるべき点があったら、ためらうことなくほめていきましょう。
・いまの日本はあらゆる業界が飽和状態を迎えていて、従来的な改善・改良型のアイデアでは見向きもされない時代になっている。これから求められるのは、「新しいモノ」ではなく「新しいジャンル」をつくる意識だということ。
・既存の市場に新商品を投入するのではなく、「新しい市場を開拓する」という視点で商品開発をおこなう。
・サイエンスにおける「発見」は、想定外に「遭遇」することからはじまります。
・「いい質問」とはマニアックな指摘をすることではありません。「このポイント押さえておけば、対象への理解度が何倍にも深まる」というポイントを突くことが「いい質問」なのです。
・思考パターンを変えるためには、生活パターンを変えるのです。
・みんながラーメンを食べていたら、自分だけはカレーを食べる。はじまりはこれくらい些細な行動でもかまいません。日常の中に、ひとつでも多くの「みんなと違う行動」を増やしていくのです。
・椅子のデザインでもなくてもかまいません。対象はみなさんの身近にあるものなんでもいいのです。考え尽くして思考回路を一変させるためのトレーニングとして、ぜひ一度「一晩で100個」を試してみてください。一流の人たちにとっての「考える」が、どれほど厳しいものであるか理解できるはずです。
・日本人は、新しいことにチャレンジしようとする人に対して「減速発言」をしてしまう。その人の勇気をくじくような言葉を投げてしまう。
・まず、スタートにあたって出てくる言葉は、次の2つ。「絶対にできない」「成功してから見せなさい」 そして成功してから出てくる言葉が、次の2つ。「どこかで見たことある」「別に新しくない」 これは必ず出てくる「減速発言」だから、まったく気にする必要はありませんよ。
・世間から簡単に受け入れられ、誰からもすんなりと認められるような研究は、しょせん「その程度」の研究なのです。研究のコンセプトが斬新であるほど、世間は認めようとしません。世間がその斬新さや先見性に気づいてくれるのは、ジャンルが確立したあとの話になります。
・なにかに失敗したときに「運が悪かった」とか「状況が悪かった」と言い訳せず、「自分のイマジネーション能力が足りなかったのだ」という「気づき」を得ることができれば、その後の人生は大きく変わるでしょう。
・コツコツと階段を登って、建物の10階までたどり着く。ここで周囲に階段を登る姿まで見せてしまえば、その人は「努力家」と呼ばれるでしょう。しかし、階段を使ったことを隠して、突然10階に現れたように見せれば、世間は「天才だ!」と大騒ぎする。
・天才たちを「天才」のひと言で片づけてしまうと、なにも学ぶことができませんし、むしろ「どうせ自分には才能がないから」と諦めの材料にさえなってしまいます。
・天才とは特別な才能を持った人というより、純粋に人一倍の努力ができる人であり、その努力を他人に見せない人なのです。
・結局のところ天才とは、ただただ「生き方」が天才なのです。みんな(=凡人)と違った生き方を選べること。このひと言に尽きます。
・生き方が天才な人は、自分の人生をすべて動員・投入することができるんですね。
・「自分は運が悪い」と思っている人は、きっと落ちてきたぼた餅に気づいていないだけでしょう。
・印象深かったのが「能捨(のうしゃ)」という仏教用語です。それなりに優秀な人は、なにをやらせてもある程度のところまでいく。どんな分野に手を伸ばしても、一定以上の結果を出せる。でも、それだと「そこそこ」の結果で終わってしまう、もう一歩先に進みたかったら、なにかを捨てなきゃいけない。それが「能捨」だというんですね。
・結局のところ「なにを捨てるのか?」という問いは、「なにを残すのか?」を考えることなんですね。
・受験勉強以外のやり方を知らず、自由な発想ができない。勉強とは与えられた課題をこなすことだと思っているわけです。
・日本の将来を語るとき、多くの識者は「教育から変えていかなきゃダメだ」と言います。しかし、ただ教育システムを変えるだけではなんの意味もありません。変わるべきは子供や若者ではなく、まず大人なのです。
・日本では、官僚にしても国の研究所にしても、ハーバードを出たような人間はほとんどいません。
・経営トップがやりたいといって、現場のレベルでもやる気になっているのに、その間にいる管理職が「こんなもの無理に決まってるじゃないか」とストップをかけてしまう。いま大きな企業ほど元気がないのは、みんなそのせいだよ。
・企業の中で新しい動きにストップをかけてしまう人のマインドも理解できる気がします。要するに彼らは、これまでの会社員人生の中でリスクを選んだ経験がないのでしょう。「リスク」を乗り越えるべき課題だと考えず、回避すべき課題だと考える。
・人の幸せは、(1)誰かに愛されること、(2)誰かにほめられること、(3)誰かの役に立つこと、(4)誰かに必要とされることの4つによって、手に入れることができる。そしてこのうち(2)と(3)と(4)は、働くことを通じてのみ、得られるものだ。
・欧米では「みんながどうしているか」ではなく、もっと普遍的なルールを教えます。つまり、誰がどうしているといった話は抜きにして、「公共の場で騒ぐのは迷惑になるのだから、大人しくしていなさい」と教えるわけです。この育て方であれば、子供たちは「みんながどうしているか」など気にしません。
・結局、日本ではルールの代用品として「みんな」を持ち出しているんですね。ルールを守ることよりも「みんなと同じ」であることのほうが優先される。これではなかなか個性的な人材を育てることはできません。
・世界を変えていくのは、優等生の仕事ではありません。みんなから「バカ」と笑われる人たちが世界を変え、新しい常識をつくり、優等生はそのあとをついてくるのです。
タグ:生田幸士