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『真昼のプリニウス』 [☆☆]

・その漱石にしても、ついに冥王星の存在は知りませんでした。その理由は簡単で、冥王星が発見されたのは1930年、すなわち漱石の死後14年目のことだったからです。同じように、未来の人々はわれわれが何を知らなかったかを知って、あるいは驚くことでしょう。

・人は意味や意義や目的や効率に飽きているんですよ。すべてを秩序づけて最小の努力で最大の効果をという経済原理に飽きている。一度それをひっくりかえして、無秩序に戻してみたいと思っている。人の心のどこかにそういう衝動がある。

・あのNHKに対してさえ人は金を払っているんだから、習慣として定着したら、誰も金のことは考えない。

・全体の意味を考えず、適合性を検討することなく、言葉と意想をつないでゆく。その過程もまた偶然に操られているはずなのに、最後には意味のありそうなものができる。

・月がまた満月に近づいているので、そろそろきみに手紙を書くことだと思い出して、ボールペンを見つけて書き始めた。

・うっかり寝そびれるとジャングルがさまざまな音をたてているのが聞える。それが耳を満たすのは平気なのだが、そのうちその背後に音をたてない何かがいるような気がしはじめる。

・遺跡には昔からいろいろなものが住んでいて、それらの全部が人を無視してくれるわけではないと言うのだ。

・隠れた因果関係とか、何かのしるしとか、見えざる意志とか、変な言葉を持ち出さずにすませるためには、偶然という一語で片づけてしまうのが一番いいだろう。

・一か月でも一年でも、時間という空の容器に何かを詰めることはできる。しかし、その手応えに騙されてはいけないと思う。うかつな者はそれだけで何かをやりとげたような気になるが、次々に飛来する球をとりあえず相手のコートに返しているだけで全然得点していないということだってあるのだ。

・地震計というのは、いかに新しい感度の高い機械ができても古いものと取り替えてしまうわけにはいかない。記録の一貫性のためには、古い機械も新型機と並行して使ってゆかなくてはならない。

・わたしたちはどんな時でも地面だけは動かないから安心していられるのです。その地面までぐらぐらと動くと、もう何を頼りにしていいのかわからなくなります。

・ハワイで真珠湾攻撃のすぐ後で起こった噴火が秘密にされた一件がある。アメリカ側は火山の噴煙や夜空に照り映える溶岩を日本軍の爆撃や砲撃の目標にされてはたまらないと考えて、学術的な報告までも抑えたのだった。

・教科書にあるのは、既知のことだけで組み立てた世界でしょ。いわば、プラモデル。部品の一つずつはわかっている知識だし、他の部品ともしっくりと合う。整合性がいい。でも、現実の世界ではわかっていることはほんの少し、広い風景のあちこちに点々と部品が散らばっているばかりで、残りはわからないものでできている。

・われわれは何かにつけてお話を作ってしまうでしょう。それがいかん。スポーツでも勝負ごととなると、精神とか、気力とか、いろいろ言う。単純な過程をついつい神秘化して、物質世界の外の理屈を持ち込む。

・後になってから言葉にすれば、それは目の前にあって、掌に乗せることもできます。とても恐ろしかったけれども、そこに書かれた以上には恐ろしくなかった。そういうことが言えると思います。

・本当はそれは単に恐ろしさを知ったのではなく、むしろ恐ろしさの天井の方を確かめて、怖かったけれどもここに書かれた以上には怖くなかった。死んだ者はたくさんいたけれど生き延びた者もいたのだと知って、安心したいのだと思います。

・自分はどちらかの方向へ、今まで試みたこともない方向へ、一歩踏み出さなくてはならない。やり方を変えなくてはいけない。

・易とは本来迷いを絶つためのもの、一事を二度も三度も占ったら、それは迷いを絶つことにならん。

・あんたの見ている世界とわしが見ている世界はまるで違うかもしれん。あんたにとって大事なのはあんたに見えている世界だ。他人の見ている世界と共通するものだけを見てはいかん。少なくともそれだけではいかん。

・ウサギってのは変な奴で、かならず罠のまわりを一遍まわる。いっさんに走ってきて気づかずに罠に首をつっこむほど馬鹿なわけじゃない。

・ウサギは罠などというものが世の中にあることを知らないから、ただ好奇心のままに輪に首を入れてみる。そして、何が起こったのかよくわからないうちに、一瞬の苦しみと共に死んでゆく。





真昼のプリニウス (中公文庫)

真昼のプリニウス (中公文庫)

  • 作者: 池澤 夏樹
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1993/10
  • メディア: 文庫



タグ:池澤夏樹
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