『「動かない」と人は病む 生活不活発病とは何か』 [☆☆]
・生活不活発病とは、その名の通り、「生活が不活発になった」ことが原因となり、あらゆる体や頭の働き(機能)が低下する病気です。
・書いてあると、多くの人が見ることができるので、正確に本人と家族の状態や意向が伝わります。現在は介護も医療も多くの人が関与するチームワークで行われますから、口頭で話しただけではそれ以外の人に正しく伝わらないおそれがあります。
・「外の世界にかかわる」ということは、ふつう「外に出て行く」ことであり、「外を歩く」機会を増やすことは自然に体や頭を働かせる機会を増やすことにつながるからです。
・外を歩くことは、単に足の筋肉を使うことだけではありません。歩くという生活動作は手や胴体などの全身の筋肉を使います。
・せっかくめでたく長生きしたのに、「外の世界とのかかわり」がなくなり、「すること」がなくなり、その結果生活不活発病におちいって、充実感を失うなんて、もったいないことです。
・外に出ない理由で最も多いのは「外ですることがない」ことでした。ですからただ「外に出るように」と言うのではなく、外に、楽しみや、やってみたいと思う具体的なことをみつけることが大事です。
・家庭内の仕事など、「日常のできごと」をすることは、「非日常のできごと」以上に生活の活発化には重要といえます。それは文字通り「毎日」行うものだからです。
・「リハビリテーション」という言葉は、もともと医学の専門用語ではなく、「権利・名誉・尊厳の回復」という意味で古くから使われてきた一般用語です。
・「ジャンヌ・ダルクのリハビリテーション」という言葉があるのをご存じでしょうか。彼女は1431年に宗教裁判で火あぶりの刑を受けましたが、25年後に「やりなおしの宗教裁判」があって、「異端」という無実の罪が取り消され、破門も取り消されました。フランスの歴史では、この裁判が「リハビリテーション裁判」(復権裁判)と呼ばれているのです。
・実は「安静」イコール「生活(全体)の不活発化」では必ずしもないのに、一般にこれが混同されています。この違いを知らずに、「食事の時以外は横になっていた」という人が結構多いのです。
・いったん車椅子を使ってしまうと、歩行自立にむけた働きかけ、特に日常生活や病棟や居住棟・自宅などでの介護歩行がなされなくなりがちなのも問題です。
・皮膚と皮下組織のなかの毛細血管は、自分自身の体重を受けるといった程度の少しの圧迫で血流が止まってしまいます。それが2~3時間続くと、その部分の組織は酸素不足になり、壊死を起こし、崩れてきます。
・腸の働きは全身の運動に連動する面があるので、生活が不活発になると便秘になりやすく、さらにそれが食欲不振を起こします。
・体を動かす時には、「どの筋肉がどう働いているか」という報告が脳に送られてきます。ですから体を使わなくなると、脳への刺激が少なくなります。
・不活発な生活では、精神的な刺激も少なく、頭を使うことも少なくなります。それによって知的活動が低下し、まるで認知症のような状態になることさえあるのです。
・「病気の時は安静第一」という、「誤った常識」が、欧米では一掃されたのに、日本では生き残ってしまったのです。
・宇宙空間での無重力状態では、血液でも何でも「重さ」というものがなくなっています。つまり、人体にとっては、血液の循環に関する限りは、脳による血圧調節がいらない状態、つまり徹底した「寝たきり」といっていい状態です。
・ボランティアを含めた支援者が、「やってあげるのがよいことだ」と思って、「上げ膳据え膳」で、本人のやれること、やりたいことまでやってあげてしまうことの影響も大きいのです。これはすべて「社会参加」の低下といえます。
・生活不活発病は本当にだれにでも起こることが分かってきました。病気やケガとは関係なく、単に徐々に生活が不活発になっただけでも起こるのです。若いからといって安心はできません。「こわい」病気です。
・真の健康とは、単に「病気やケガがない状態」ということではなく、「人が生きること」、特に「社会参加」と「生活動作」が高い水準にあるということだといってもいいでしょう。
・書いてあると、多くの人が見ることができるので、正確に本人と家族の状態や意向が伝わります。現在は介護も医療も多くの人が関与するチームワークで行われますから、口頭で話しただけではそれ以外の人に正しく伝わらないおそれがあります。
・「外の世界にかかわる」ということは、ふつう「外に出て行く」ことであり、「外を歩く」機会を増やすことは自然に体や頭を働かせる機会を増やすことにつながるからです。
・外を歩くことは、単に足の筋肉を使うことだけではありません。歩くという生活動作は手や胴体などの全身の筋肉を使います。
・せっかくめでたく長生きしたのに、「外の世界とのかかわり」がなくなり、「すること」がなくなり、その結果生活不活発病におちいって、充実感を失うなんて、もったいないことです。
・外に出ない理由で最も多いのは「外ですることがない」ことでした。ですからただ「外に出るように」と言うのではなく、外に、楽しみや、やってみたいと思う具体的なことをみつけることが大事です。
・家庭内の仕事など、「日常のできごと」をすることは、「非日常のできごと」以上に生活の活発化には重要といえます。それは文字通り「毎日」行うものだからです。
・「リハビリテーション」という言葉は、もともと医学の専門用語ではなく、「権利・名誉・尊厳の回復」という意味で古くから使われてきた一般用語です。
・「ジャンヌ・ダルクのリハビリテーション」という言葉があるのをご存じでしょうか。彼女は1431年に宗教裁判で火あぶりの刑を受けましたが、25年後に「やりなおしの宗教裁判」があって、「異端」という無実の罪が取り消され、破門も取り消されました。フランスの歴史では、この裁判が「リハビリテーション裁判」(復権裁判)と呼ばれているのです。
・実は「安静」イコール「生活(全体)の不活発化」では必ずしもないのに、一般にこれが混同されています。この違いを知らずに、「食事の時以外は横になっていた」という人が結構多いのです。
・いったん車椅子を使ってしまうと、歩行自立にむけた働きかけ、特に日常生活や病棟や居住棟・自宅などでの介護歩行がなされなくなりがちなのも問題です。
・皮膚と皮下組織のなかの毛細血管は、自分自身の体重を受けるといった程度の少しの圧迫で血流が止まってしまいます。それが2~3時間続くと、その部分の組織は酸素不足になり、壊死を起こし、崩れてきます。
・腸の働きは全身の運動に連動する面があるので、生活が不活発になると便秘になりやすく、さらにそれが食欲不振を起こします。
・体を動かす時には、「どの筋肉がどう働いているか」という報告が脳に送られてきます。ですから体を使わなくなると、脳への刺激が少なくなります。
・不活発な生活では、精神的な刺激も少なく、頭を使うことも少なくなります。それによって知的活動が低下し、まるで認知症のような状態になることさえあるのです。
・「病気の時は安静第一」という、「誤った常識」が、欧米では一掃されたのに、日本では生き残ってしまったのです。
・宇宙空間での無重力状態では、血液でも何でも「重さ」というものがなくなっています。つまり、人体にとっては、血液の循環に関する限りは、脳による血圧調節がいらない状態、つまり徹底した「寝たきり」といっていい状態です。
・ボランティアを含めた支援者が、「やってあげるのがよいことだ」と思って、「上げ膳据え膳」で、本人のやれること、やりたいことまでやってあげてしまうことの影響も大きいのです。これはすべて「社会参加」の低下といえます。
・生活不活発病は本当にだれにでも起こることが分かってきました。病気やケガとは関係なく、単に徐々に生活が不活発になっただけでも起こるのです。若いからといって安心はできません。「こわい」病気です。
・真の健康とは、単に「病気やケガがない状態」ということではなく、「人が生きること」、特に「社会参加」と「生活動作」が高い水準にあるということだといってもいいでしょう。
「動かない」と人は病む――生活不活発病とは何か (講談社現代新書)
- 作者: 大川 弥生
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/05/17
- メディア: 新書
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- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/05/20
- メディア: Kindle版
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