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『学び続ける力』 [☆☆]

・少しでも時間があるときに関連の専門書や古典的な基本書をきちんと読んでみると、自分が何がわからないのかがわかるはずです。「わからない」とわかったことを勉強するということです。

・いろんなタイプの大学で教えた経験からいえば、偏差値の違いは集中力の違いでもあるような気がします。

・あの頃バブルがはじけたり、阪神大震災が起きたり、あるいはノストラダムスの大予言が大きな話題になったり、一種異様な世紀末の状況の中で人々の不安感が増していた。オウムは、そこに何らかの解答を与えたことによって、信者を集めるようになったのだ。

・歴史を学ぶというのは、ものごとの因果関係をきちんと知ることです。それを知ることで、これからの時代についても、推測したり、自分なりの考えが持てるようになったりします。

・その昔、大学生がエリートだった時代には、そのほとんどがアカデミックな世界に進むことが前提でしたから、大学は、教えることには力を入れていませんでした。研究者である教授の「後ろ姿」を見て、研究方法を会得するものだと考えられていました。

・現代の日本では、研究を主とする大学と教育を主とする大学に二極化しています。東京大学や京都大学に代表されるような研究を重視した大学と、学生の就職の面倒をみてくれて、教育に力を入れている大学です。

・はっきりとした答えなどないのですが、目の前のケースからどういう教訓を導き出すことができるだろうかという問題意識を持ちながら、歴史を学んではどうでしょう。そうすれば、見出せるものも、より豊かになるのではないでしょうか。

・論理的に説明されて何となくわかるけれどもいまひとつ腑に落ちないときには、ビジュアル化したもので説明されると納得できる。言い換えれば「左脳と右脳」の両方があいまって、「なるほどよくわかった」という気になるのだ。

・テレビのアナウンサーは、見えているものを説明する必要がないぶん、それ以外の情報を話さなければいけません。だから、この選手は過去にこのような挫折を経験したとか、お母さんが会場に来ているとかいったプライベートな話を一生懸命にせざるを得なくなります。

・表現はやさしく、扱う内容は高度なものに。これがポイントです。

・読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。自分で思索する仕事をやめて読書に移る時、ほっとした気持ちになるのも、そのためである。だが読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない。

・これこそ大多数の学者の実状である。彼らは多読の結果、愚者となった人間である。

・読書がなければ教養は身につかないけれども、読書しただけで教養が身につくわけではない。

・リベラル=自由、とは与えられた問題の解を出すのではなく、自ら自由に問題を設定し、新しい解を探していくことである。

・アメリカのリベラルアーツ教育では、既存のシステムを組み替える発想のトレーニングを教えている。このため、社会に出た後も、大卒のエリートたちはシステムやフレームワークを変えることができる。

・「できる人間」とは、「決められた枠組み」の中で「できる人間」のことである。価値観が多様化して、「枠組み」そのものをどう決めるかが問われる時代には、「決められた枠組み」の中だけで「できる人間」や「専門家」は、新しい時代には対応できない。

・「決められた枠組みで、決められた問題を、いかにエレガントに解くか」という力だけでは、「いまの社会では何が問題か?」と、問題そのものを自分で設定しその答えを自ら探していく、という状況には対応できない。

・農業というのは、リスクを減らそうとしますが、漁業はリスクを追いかけるところがあります。第一次産業とひとくくりにせず、農業と漁業の根本的な違いを比較できる力も、教養です。





学び続ける力 (講談社現代新書)

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