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『人間関係』 [☆☆]

・相手に差別感情を持つことで自分の自信の構築の理由にしている人は結構いる。

・生き方は法を犯さない範囲で、それぞれの勝手なのだ。

・それとなく付き合いを断った人がいたが、その人たちは、決して悪人ではなかった。ただ会話を交わすと、私が言ったことを平気で間違って、と言うより、むしろ正反対の意味に書く人だったから恐れをなしたのである。

・私の言葉を理解してくれない耳の悪そうな人に出会ったら、私は自然に遠のくことにしたのだ。

・たいていの噂話は、その底に相手の不幸を望む要素が含まれている。噂は相手を陥れたい気分の変形であることが多い。

・階級制度とは、愚かな偏見というか、場合によっては、自分が所属している階級でしか自分の存在意義を証明できない人たちの「自身のなさ」の表れ。

・伝記小説というものは、信じられないから書かないし読めない。当人が生きていたら、これはでたらめです、と言うにちがいないと思うからだ。

・「反権力」という言葉が、最近一種のポピュラリティ(大衆性、通俗性)を持って喝采を受けるようになってから、人間の複雑性を認めるためらいや疑いが極度に少なくなった。つまり陰影がなくなり、人を見る眼が幼児化したのである。

・運よく(というか運悪くと言うべきか)災難に遭わなかった人間は、汚濁や混乱の場から遠く離れて、どんなにでもおきれいごとを言っていられるのである。

・自分は人に優しいから、今手にしているお握りの半分は、常に人に分けてやれるだろう、と言い切れる人は勇気がある。戦争中の厳しい食料難、貧困の中では、普通の人間は、持っているお握りは決して他人に取られないように隠して食べたのである。

・考えてみれば、他人は自分を正確に理解してくれるだろう、などといい年をして思うことこそ、甘いのかもしれない。むしろ他人には自分をわかるわけはないのだ、という覚悟か自負のようなものがある方が無難なのだろう。

・そもそも商行為、雇用関係にない限り、普通の友人知人の間には金銭の授受はない。金のやり取りがあるということは、そこに必ず、実質的な見返りの期待があるというのが普通の状態である。

・金は人間を、必ず現実的な、即効性のある従属関係に陥れる。

・私は、同じ町や村の出身者が、仮に津波の恐れのない高台に新しい町や村を作る場合、「また近所同士で寄れたらいい」と言っているのに驚いた。これだけの災害の後、そんなぜいたくを言っていられる場合だろうか、とも思った。戦争中もその後も、私の母たちの世代はちりぢりに逃げて、やっと暮らすほかなかった姿を知っていたからである。

・そうじて言えるのは、教養や語るべき強烈な自己がない人が、「関係」の世界にしゃしゃり出てはいけない、ということなのだ。それは悲劇に近いことなのだが、当人だけは気がつかない場合が実に多い。

・世の中では、もう文学は廃れた、という人がいる。しかし身の上相談の種がなくなったという話は聞いたことがない。私の若い頃からもう半世紀以上も、身の上相談は、静かなブーム、ベストセラーである。

・人間が生きるということは、多くの場合善とも悪とも抱き合わせなのである。しかし世の中には自分は「いい人」だと信じ切っている人もまたかなりいるらしいのである。

・いや僕は冷たいんですよ。人に全く期待していないんです。たいていの人が最初から、僕の期待しているようにはできないだろう、と思っているから、失敗しても、そんなもんだろう、と思う。

・人間関係は、複雑なものばかりではない。むしろ普通の場合、他人との接触は、「××駅はどっちですか?」というふうに道を尋ねるとか、「大根はありますか?」というような簡単な質問とそれに対する返答のやりとりの範囲に留まる。

・格差があると言う方が現在の先進国では、人道主義者に聞こえるから、多分そういう人が多いのだろう。

・今のところ、格差がひどいという人は、世界を知らないか、人道主義者ぶりたい人かどちらかということ。

・だめだと言われて素直に引き返すような気の弱いことでは、日本以外の土地では、外交から庶民生活まで必ず後れを取るのである。

・人間は誰でも多かれ少なかれ、他人だか家族だかのお荷物になっているものである。

・最近のテレビでは、ドラマの筋も会話もあまりにも幼稚になってきて、典型的すぎる「悪人」以外は、皆が善良な人物ばかりになってしまった。

・いい人のお話さえ放送しておけば、社会から文句を言われることがないからテレビ局も安心なのである。その、いい人がいい人であることを証明するためだけに悪い人も登場させている。だから退屈なのだ。

・大人というものは、もっと会話にも心理にも、時には行動にも、悪の要素を含むものだ。ドラマというドラマが、すべて子供向きのウエハースか胃腸の弱い人向きのお麩の煮物みたいな無難な歯応えのものになると、全く面白みがない。

・ちゃんと聞いているように見えるのに、まともな返事をしていない。返事に失敗することはよくあることだから、その時は、それを糊塗するくらいの大人の配慮があってもいいものだろうに、それもできない。

・八十歳、九十歳になると、ほとんどの老人が何も喋らない。会話という形で新しい驚きや発見を語り合う種もないのと、社会生活がなくなっているから改めて打ち合わせしておかねばならないようなこともなくなったからだ。

・くだらなくても興味を持ち、くだらないと認識しつつしゃべることが大切だと感じている。それができなければ、老いぼれなのである。

・年寄り風に見えたくなかったら、背中を伸ばして歩けばいいのだ。それが一番お金がかからなくて、年寄りに見えない方法である。

・一般的に言って、自分がお金を出して買わなかったものは、たいていの人が大切に使わないものなのである。自分が要らなくなったからあげた品物を、「相手が長く大切に使うこと」を期待する方がおかしいとも言える。

・愚痴をこぼすことは、世界平和ならぬ「世間平和」のためにはかなり役立っている。人は他人の愚痴も時には好きなのだ。それによって自分の幸福を確かめる。

・人間は原則として、陰々滅々たる空間の中にはいたくないのだ。だからそういう人の傍らには、結果的に人が寄りつかなくなる。するとこの人は、世間はみんな自分に冷たくて、放置するのだと言うのである。

・したいことがない人ほど、つまらなく、危険な存在はない。彼らはたやすく他人に動かされて、モブ(暴徒)になる素質を持っているからだ。





人間関係 (新潮新書)

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  • 作者: 曽野 綾子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2013/04/17
  • メディア: 単行本



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