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『怒る!日本文化論 よその子供とよその大人の叱りかた』 [☆☆]

・教育というものは、したことはなくても、された経験なら誰でもあるせいか、みなさん、一家言お持ちのようです。そんなわけで、ちまたには教育論と称するものがあふれているのです。

・効果を測れないのをいいことに、イメージ先行で根拠のない教育論を語る輩が後を絶ちません。

・史料を調べるたびに痛感させられるのです。世間でなかば常識として語られる過去のイメージのかなりの部分が、あとから厚化粧で美化されたデフォルメにすぎないということを。なかでも「昔はよかった」というイメージほど、史実とかけ離れていて信用できないものはありません。

・彼らにとって、よその子供を叱るおじさんは、老人が語る昔話でしか聞いたことのない、この世に存在するはずのない伝説の生き物なのです。だから自分の目の前にあらわれると、まさに天狗か河童を目撃したような奇妙な表情で、私を見るのです。

・その場で面と向かって相手に言えない人がほとんどなのも、今と同じ。その場で言えず、あとで新聞に投書してうっぷんを晴らす気弱な正義漢がたくさんいたのも、今と変わりません。

・頭でわかっているだけでなく、実行しないとね。思想や言葉を並べるだけじゃ、世の中は1ミリも動きません。

・自分が平気だから他人にも平気でいろと強要するのは、共感能力のない身勝手な人間です。

・法やルールや公衆道徳に反することであっても、一度やって黙認されると権利意識が芽生えてしまい、繰り返すことでさらに権威意識が強化され、ついに既得権となり、注意されてもなかなかやめようとしなくなる。

・些細なことすら目をつぶってやり過ごそうとする臆病者が、重大な問題に立ち向かう勇気など持ってるはずがありません。

・日本の政治や国際情勢みたいな大きい問題は、ニュースを見れば教えてもらえます。でも自分の身の回りで起きている小さな問題は、自分から積極的に関心を持たない限り、知ることはできません。

・叱る・注意すると考えず、交渉するというコミュニケーションを取るのだと、意識を変えてほしいんです。叱ろう、注意しようと考えるから、「コラ!」をいう、なんだか意味のわからない脅し文句を一方的に投げつけるだけに終わってしまうんです。

・人間関係が壊れるのは、怒るからではなく、怒り方がヘタだからです。バカモン、バカヤロウと余計な罵倒をするからです。

・正義に期待すると、裏切られたり失望したりすることもあるけれど、悪は最初から評判が地に落ちているから、どう転んでもそれ以上失望しないわけです。正義を揶揄してワルぶるのは、傷つくことを恐れる小心者にとっての失望保険なんです。

・ピュアな理想主義者は100と1を比べて悲観的になるのです。

・本物の完璧主義者とは、自分の不完全さと向き合った上で、完璧になるまで(100点になるまで)努力をし続ける人。本物の完璧主義者は、完璧などありえないとわかっています。承知の上で、より完璧に近づけよう、近づこうとするのです。

・エセ完璧主義者は100点満点の状態を夢見るだけで、100点を目指す努力をしません。

・マスコミが公表する世論調査には、未だに設問の立て方や結果の解釈にしばしば強引な点が見られるので注意が必要です。

・社会現象に関して「感じますか」「思いますか」なんて質問をしていたら、警報発令です。昔の人たちは太陽が地球の周りを回っていると感じてたけど、それは事実ではありませんでした。我々が感じていることは、必ずしも事実を反映しているとは限りません。

・静かな図書館の中に着メロが鳴り響き、周囲に人がいるにもかかわらず、平気でデカい声で通話をはじめる非常識な恥知らずは、9割がたが50代以上のおっさんです。一昔前までは、若者のケータイマナーの悪さが盛んに槍玉にあげられてたものです。今や、若い人たちはたいていの用件をメールで済ませてしまいます。静かなもんです。

・職員がマナー違反を見て見ぬふりする図書館では、置き引きや資料切り取りなどの犯罪被害も増える可能性がかなり高いです。

・報道は世界の精巧なミニチュアを作っているのではありません。あくまでダイジェストですから、報道から得たイメージをそのまま拡大しても現実世界を復元することはできません。いびつなデフォルメになるだけです。

・識者やコラムニストの皆さんは、マナー違反を目撃したその場では、皆さん何も言えずにおとなしくしていらっしゃる。相手に殴られる心配のない家や新聞社でコラムに書く段階になると、急に正義の論客やカミナリオヤジに変身するのです。

・あなたが注意したことで相手が迷惑行為をやめてくれたら、それで満足すべきです。やめたのになお、謝罪しろ、反省しろ、土下座して謝れなどと相手に求めたら、それはもはや正義ではありません。ヤクザです。

・バカは死ななきゃ治らないといいますが、もっとおそろしいことに、バカは死んでも遺伝子によって子孫に引き継がれるのかもしれません。

・日本のオトナたちは、欧米風に「○○禁止」と書かれているのを目にすると、ご機嫌を損ねてしまうのです。「何様のつもりだ!」「それが他人にものを頼む態度か!」と、掲示の表現に少しでも命令するニュアンスが混じっていると、侮辱されたと腹を立てるんです。

・「ダメッ!」と叱ると泣き出す幼児に、「いい子だからやめようねぇ」とやさしく諭すのと同じです。日本人はオトナになっても、そうされたいんです。ボクね、命令されてやめたんじゃないの。自分から自発的に辞めたんだヨ! オトナになってもそう思いたいんです。

・日本では「犬は家族の一員です」などという人がいます。でもドイツやイギリスの愛犬家からは違う言葉を聞きました。「犬は社会の一員です」。社会の一員とみなすからこそ、人間社会で他人を問題なく共生できるよう、吠えないように、噛まないように、きちんとしつけなきゃいけないという責任が生まれるのです。

・ことあるごとに、「ふれあい」なんて言葉を使って人間関係の大切さをほのめかしますけど、実態は、自分と意見を同じくする者同士とだけ「ふれあい」を求め、意見の合わない人とは極力ふれあわない。

・就職活動がうまくいかずに悩む大学生は多いのですが。私が思うに、それが生涯で初めて、知らないオトナと本気で交渉する機会だからじゃないのですか。だとしたら、うまくいかなくて当然ですよ。

・実は道徳というのは、効率最優先の方法論なんです。これはやめましょう! と大きな声でみんなに叫び、一斉に不道徳な行為をやめさせようとするマクロ的な手法、それが道徳です。最低限の労力で最高の効果を得ようとする、なんとも安易で虫のいい人たち、それが道徳家の正体です。





怒る! 日本文化論 ~よその子供とよその大人の叱りかた (生きる技術! 叢書)

怒る! 日本文化論 ~よその子供とよその大人の叱りかた (生きる技術! 叢書)

  • 作者: パオロ・マッツァリーノ
  • 出版社/メーカー: 技術評論社
  • 発売日: 2012/11/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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