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『ゼロ戦と日本刀 美しさに潜む「失敗の本質」』 [☆☆]

・一国が総力を挙げて戦う「戦争」は、しばしばその国(と国民)のもつ長所と短所が露骨な形で現れます。戦術、戦略、兵器、用兵──これらに、その国民性が如実に出るのです。

・日本刀がもつ美しさと表裏一体の脆さは、「盾」の思想がない日本そのものなのです。ゼロ戦を含めた日本の戦闘機はもちろん、空母も戦艦もすべてがそうです。

・日本の海軍では、被弾して火が噴いた際に、ポンプで海水をくみ上げて消火することを非常に嫌がったといいます。緊急事態においても、海水の塩分で装備や設備が使えなくなるのを躊躇したというのですから、ケチな根性というしかありません。これは東京電力福島第一原発事故ともつながる話でしょう。

・名刀であったはずのゼロ戦は、開戦二年目に入ると生産性に加えて質も落ちていきます。エンジン製造に不可欠な、100万分の1ミリ単位で金属を正確に削る工作機械の消耗が進んだことが理由の一つ。その工作機械はアメリカ製なので、新たに調達することは不可能でした。日本はあてもないまま戦争をしていたのです。

・日本海軍の思想は攻撃一辺倒で、敵軍に攻撃を受けたらどう対処するか、という発想がもともとなかったのです。これは現在の有事立法にも通じる問題ではないでしょうか。ネガティブな状況ははじめから想定しない、という空気があって、予防の議論に至らないのです。

・日本が勝つチャンス、少なくとも負けないチャンスは現実に何度もあったのです。ちなみに「勝つ」というのは有利な条件で終戦することであり、「負けない」というのはアメリカの譲歩を引き出す形で戦争を終結させることです。

・山本五十六は軍艦を大切にして、使うべきときに使わず、結局使い損ねてしまったわけです。

・株式投資で成功した実務経験豊富なビジネスマンが財務長官になって、ペーパーテストの世界で出世した大蔵省官僚とやり合う。カネの話になったら日本は絶対にかなわない。勝てるはずがないと思いました。

・太平洋の島に空港を造る場合の隊長は、海軍兵学校を出た中尉か大尉程度です。彼らにその知恵があると思いますか? アメリカはどうやるかというと、土木会社の社長を臨時で大佐にして送り込んだりするのです。プロはつくり方も人の使い方も違いますから、最短期間、最小コストで最善の飛行場を造ることができます。

・真珠湾攻撃の成功で、これからの戦争の主役は航空戦力であることを日本が証明したにもかかわらず、日本海軍は戦艦が主役という大艦巨砲主義から抜け出せませんでした。

・明治になって産業革命の時代に入っても、当時は幸いにして日本には石炭がありました。だからこそ日清、日露戦争に勝利することができたのです。ところが、日露戦争からわずか10年後の第一次世界大戦では、エネルギー革命によって事情が一変します。

・日露戦争と違って戦争の7、8割は機械同士の戦いで、人間の出る幕は少ない。しかも、その機械はすべて日本にはない石油で動いていました。この事実を目の当たりにした日本の軍人たちは、「日本は戦争では勝てない国になった」と悟りました。

・私たちは「もたざる国」の国民として、いま運転を停止している原発が再稼働できずにいることで、防衛費の総額にも匹敵する年間3兆円以上の金が無駄に消えていることを知らなければなりません。

・もし油田の発見がもう十年早ければ、ペリーの来航はなかったかもしれません。灯油ランプは明るかったうえに、鯨油に比べてはるかに安価でした。

・日比谷焼打事件以降、国民の多くは戦争賛美へと進んでいきました。そして1932年に5・15事件が起きます。多くの新聞社は彼らを英雄とたたえ、彼らの減刑を主張しました。新聞社の煽りで火がついた世論に引きずられるように、首謀者たちには非常に軽い刑が下されました。この異常な減刑が、1936年の2・26事件を引き起こしたといわれています。

・日露戦争以降の海軍にとって、最大の敵は何だったかというと、現実には陸軍です。

・ところが不思議なことに、その官僚が「働くな」といい始めたのです。働く人のいちばんの要望は「休みを増やせ」ではなく「賃上げ」だったにもかかわらずです。また、受験戦争が激しいからといって「勉強するな」といったのも官僚です。親たちの要望はむしろ、「もっと勉強させたい」でした。

・そもそも放射線による被害を考えるなら、広島や長崎の原爆被害を参考にすべきではないでしょうか。当時の放射線量率は福島原発事故の1800万倍にも達したといわれます。ところが死亡者の大半は、原爆のものすごい高熱で焼け死んだ焼死、あるいは建物の倒壊によるもので、これらに比べると、放射線で亡くなった人の数は非常に少ないのです。

・ビキニ環礁での第五福竜丸の事件も同様です。「水爆の灰を浴びて大変だ」と大騒ぎになりましたが、船長の久保山愛吉さんが亡くなったことで、騒動がエスカレートして各方面に拡大しました。ところが久保山愛吉さんは、放射線によって亡くなったのではなかったのです。本当の死因は売血の輸血による急性肝炎でした。しかしその事実は隠され「放射能の灰で死んだ」と、日本中が騒いでいたのです。

・何がわかったかといえば、日本の原発はマグニチュード9の地震にも耐えうるということです。巨大な地震で壊れた原発は一つもありませんでした。福島第一では不幸にも津波で、しかも電源がやられました。原発の安全証明を見た世界はどう動いたでしょうか。まずアメリカは30数年ぶりに原発をつくる決定をしました。ベトナムもトルコも増設を計画しています。

・石油の値段は輸送費がほとんどですから、中東に近い国ほど石油が安く手に入ることになります。中東から石油を運ぶのに、日本はとても近かった。アメリカは喜望峰を通って、大西洋を渡って運ばなければならず、はるかに遠い距離を運ばなければならなかった。ヨーロッパも、喜望峰を通る航路でした。スエズ運河は巨大タンカーが通れませんでした。ですから、高度成長期の日本は世界の主要国の中で、一番安い石油を使っていました。そういう運にも恵まれていたのです。

・テレビに出てくるのは、いたずらに原子力の危険を煽る人ばかりです。どうやら放射線学者はテレビに出られないようで、出演しているのはみな原子力の専門家です。原子力の専門家ですから、原発のことは解説できるけれど、人体に対する影響は専門外だから知らないはずです。それを専門家と称して出演させているテレビ局も問題だと思います。

・「日本が侵略戦争を行なった」というのは、東京裁判の検察側プロパガンダ以外の何ものでもありません。東京裁判関係以外に、日本を正式に批判した公文書は存在しないのです。マッカーサーもアメリカ上院の公聴会で、「日本が行なったのは自衛戦争だった」と証言しています。東京裁判史観をいまだに尊重していることが、いかに意味のないことかがわかります。

・歴史を振り返れば、アメリカがベトナムから撤退した翌年の1973年、中国は武力で西沙諸島を奪っています。1995年にもフィリピンからアメリカが撤退するや否や、南沙諸島の一部を占領しました。中国はアメリカの影響力が少しでも減ったら攻めてくるということです。

・世界中のどの国も、憲法改正はごく普通に行なっています。アメリカは18回、フランスは24回、ドイツは58回憲法を改正しています。メキシコに至っては408回も改正しており、世界最多の回数といわれています。

・国民の生活、文化、思想あるいは国際情勢によって憲法を変えていくのは当然のことです。67年も変化していない日本国憲法は、すでに「世界最古」の憲法です。

・ネガティブリスト、ポジティブリストという考え方があります。自衛隊はポジティブリストの考え方で、やっていいこととして列挙された行動しか取れません。ところが軍隊は本来、やってはいけないこと以外は何をしてもいいのです。

・ドイツも日本と同様、占領時には連合国軍に憲法を押しつけられました。けれどもドイツ人は、それを「憲法」と見なしませんでした。占領が解けてから条文を50回以上も改正し、自分たちの憲法をつくっていったのです。

・朝日新聞は、受験戦争や学歴主義に批判的な記事を書きつつ、大学入試に合格したいのなら「天声人語」が載っている朝日新聞を読みましょうと自社の宣伝に利用してさえいました。

・メディアの声はたんなる「大きな声」にすぎなかったのです。メディアが大多数の声を代表しているとは限らないということです。





ゼロ戦と日本刀 美しさに潜む「失敗の本質」

ゼロ戦と日本刀 美しさに潜む「失敗の本質」

  • 作者: 百田 尚樹
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2013/12/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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