『サブカルで食う 就職せず好きなことだけやって生きていく方法』 [☆☆]
・サブカルの人たちっていうのは結局、「○○になりたい」というのが明確じゃないまま表現意欲だけが全面に出て、色々と球を投げていたらたまたま当たったという人なんじゃないかとも考えられます。
・「何かができない」って、逆に人生においてチャンスとなり得るものなんですよね。「何かができない」というコンプレックスがあったからこそ「色々やってみる」という選択ができたわけですから。何かを明確に「できる人」はサブカルにならないですよ。技巧派ボーカリストや天才絵師はあんまり『タモリ倶楽部』に出ないもの。
・才能や運がなかったとしても、ずーっと継続してさえいれば、誰でも、どんなジャンルでも、まあ中の下くらいにはなれるんじゃないかと思います。
・勉強できない、運動できない、ちゃんとした社会生活が送れない……そういう「できないこと」があるからこそ遭遇できる面白いエピソードっていっぱいありますからね。「人間万事塞翁がコラムネタ」って考えましょう。
・透明な下敷きに自分の好きなものを入れて、誰かに気付かれるのをひたすら待つ。もしくは机に落書きをする。言うなれば机がブログだったんですよ。机SNS。
・「ギャランドゥ」とは「GAL and do」つまり、活動的な女の子というような意味で作られた言葉らしい。
・バカだったんですね、火炎瓶の中身をサラダ油にしちゃってたの。それじゃ燃えないよ。バカは身を助けますねぇ。「狂うな、バカになれ」これ重要です。
・学校の外にもうひとつ学校を作ろうとするんですよね。言うなれば「自分学校」です。学校の授業についていけない分、そこで自らに何らかの宿題を課すわけです。「俺は数学ができないけど映画は山ほど観ている」「物理とかも分からないけど、本はこれだけ読んだ」そういった自分に対する宿題。
・そこで「ふざけんじゃねぇよ!」って暴れる方向に反骨精神を発揮するんじゃなくて、機転をきかせて逆境をチャンスに変えてみせる。しかも、そこでちょっとユーモアを入れて相手を苦笑いさせながら、みんなも納得させてしまうという機転。
・そういうのを「プロのお客さん」というんです。色んなライブを観ました、色んな映画を観ました、でも「じゃあその結果、君はどうしたの?」と聞かれると「え? いっぱい観たんですけど……何か?」で終わっちゃう。
・「人気が出る」ということは「ある日突然、いわれのない愛と憎しみを一身に受けるようになること」です。
・「人間は根本的に悪である」でも、それだけでは、あまりにもさみしいので、「人間とは根本的には悪である、けれども善であろうと努める生き物でもあるのだ」と思うようにするといいかもしれません。そうすれば人気のいい面も悪い面も受け入れられるようになるのかなと思います。
・否定しつつもいい面を見ることです。「人気はやがてなくなる、でも今はある。ならば今、応援してくださっている方には感謝しよう」そう思うといいです。
・今は「自分に関することはネットで一字一句検索しない」ということも大事だと思います。そんなことをしても、神経を磨り減らしてイヤな気持ちになるだけですから。
・「できるか分からないけど、とりあえずやってみる」というのは決してムダにはならないと思いますよね。
・外に出て色んなことを経験するっていうのはいいネタになりますよね。DVDやパソコンで観るんじゃなく、映画館に行って映画を観るだけで、映画1本の知識を得るのはもちろん、さらに2、3本くらいは面白エッセイが書けそうなネタをゲットできるかと思います。
・意外に誰かに制約を作ってもらった方がやりやすかったりしますよ。「自由に書いていい」って言われたら何も書きたいものがないけれど、「○○っていう商品の紹介記事を書いてくれ」って言われたら、それなら書けますよっていう場合もあるし、何よりとりあえず「書く」という仕事をはじめられるじゃないですか。
・過去の知識の蓄積と継承っていうことを、それなりにリスペクトしているのがサブカルの人っていう感じはしますよね。今の即物的なオタクの人たちって「好きなものが好き」というだけでしょ。
・映画にしろ音楽にしろ、好きなジャンルがあったら過去にさかのぼって歴史をたどるっていう文化が綿々とあったはずなんだけど、それがどこかのタイミングで「今、面白ければいいじゃないですか」になっちゃった。
・単に懐かしい話をしているだけですからね。懐かし話や世代論がサブカルだと思っているバカっていますよね。
・「バカは軽蔑されるよ」っていうことをみんなもっと分かっていた方がいいと思う。
・「何かができない」って、逆に人生においてチャンスとなり得るものなんですよね。「何かができない」というコンプレックスがあったからこそ「色々やってみる」という選択ができたわけですから。何かを明確に「できる人」はサブカルにならないですよ。技巧派ボーカリストや天才絵師はあんまり『タモリ倶楽部』に出ないもの。
・才能や運がなかったとしても、ずーっと継続してさえいれば、誰でも、どんなジャンルでも、まあ中の下くらいにはなれるんじゃないかと思います。
・勉強できない、運動できない、ちゃんとした社会生活が送れない……そういう「できないこと」があるからこそ遭遇できる面白いエピソードっていっぱいありますからね。「人間万事塞翁がコラムネタ」って考えましょう。
・透明な下敷きに自分の好きなものを入れて、誰かに気付かれるのをひたすら待つ。もしくは机に落書きをする。言うなれば机がブログだったんですよ。机SNS。
・「ギャランドゥ」とは「GAL and do」つまり、活動的な女の子というような意味で作られた言葉らしい。
・バカだったんですね、火炎瓶の中身をサラダ油にしちゃってたの。それじゃ燃えないよ。バカは身を助けますねぇ。「狂うな、バカになれ」これ重要です。
・学校の外にもうひとつ学校を作ろうとするんですよね。言うなれば「自分学校」です。学校の授業についていけない分、そこで自らに何らかの宿題を課すわけです。「俺は数学ができないけど映画は山ほど観ている」「物理とかも分からないけど、本はこれだけ読んだ」そういった自分に対する宿題。
・そこで「ふざけんじゃねぇよ!」って暴れる方向に反骨精神を発揮するんじゃなくて、機転をきかせて逆境をチャンスに変えてみせる。しかも、そこでちょっとユーモアを入れて相手を苦笑いさせながら、みんなも納得させてしまうという機転。
・そういうのを「プロのお客さん」というんです。色んなライブを観ました、色んな映画を観ました、でも「じゃあその結果、君はどうしたの?」と聞かれると「え? いっぱい観たんですけど……何か?」で終わっちゃう。
・「人気が出る」ということは「ある日突然、いわれのない愛と憎しみを一身に受けるようになること」です。
・「人間は根本的に悪である」でも、それだけでは、あまりにもさみしいので、「人間とは根本的には悪である、けれども善であろうと努める生き物でもあるのだ」と思うようにするといいかもしれません。そうすれば人気のいい面も悪い面も受け入れられるようになるのかなと思います。
・否定しつつもいい面を見ることです。「人気はやがてなくなる、でも今はある。ならば今、応援してくださっている方には感謝しよう」そう思うといいです。
・今は「自分に関することはネットで一字一句検索しない」ということも大事だと思います。そんなことをしても、神経を磨り減らしてイヤな気持ちになるだけですから。
・「できるか分からないけど、とりあえずやってみる」というのは決してムダにはならないと思いますよね。
・外に出て色んなことを経験するっていうのはいいネタになりますよね。DVDやパソコンで観るんじゃなく、映画館に行って映画を観るだけで、映画1本の知識を得るのはもちろん、さらに2、3本くらいは面白エッセイが書けそうなネタをゲットできるかと思います。
・意外に誰かに制約を作ってもらった方がやりやすかったりしますよ。「自由に書いていい」って言われたら何も書きたいものがないけれど、「○○っていう商品の紹介記事を書いてくれ」って言われたら、それなら書けますよっていう場合もあるし、何よりとりあえず「書く」という仕事をはじめられるじゃないですか。
・過去の知識の蓄積と継承っていうことを、それなりにリスペクトしているのがサブカルの人っていう感じはしますよね。今の即物的なオタクの人たちって「好きなものが好き」というだけでしょ。
・映画にしろ音楽にしろ、好きなジャンルがあったら過去にさかのぼって歴史をたどるっていう文化が綿々とあったはずなんだけど、それがどこかのタイミングで「今、面白ければいいじゃないですか」になっちゃった。
・単に懐かしい話をしているだけですからね。懐かし話や世代論がサブカルだと思っているバカっていますよね。
・「バカは軽蔑されるよ」っていうことをみんなもっと分かっていた方がいいと思う。
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