『人間にとって成熟とは何か』 [☆☆]
・失われてみなければ、その大切さがわからないというのは、人間として想像力が貧しい証拠だと言わねばならない。
・自分が将来、被災者になった時、あらゆる面で自分を助けてくれる人がいないと困るということで、絆が大切だと思いついたとしたら、それはずいぶんと身勝手な話だ。
・絆とは与えられることでもあるが、与える覚悟でもあるからだ。相手のために時間を割き、金を出し、労働し、不便を忍び、痛みを分かち、損をすることなのである。
・同志の資格ははっきりしている。それは趣旨に賛成するなどという生ぬるいものではなく、共通の目的にために「血か、金を差し出す人」という条件がついている。
・死は誰にもやって来る。それを引き延ばすだけが生の目的ではない。死の前の生が充実することだけが、意味あることなのだ。
・困っている人を助けるのは、マスコミなどというものもない社会の中で「そのこと」を偶然知る狭い範囲にいる知人だけだった。
・手をさしのべる方も控え目なら、受ける方も充分に遠慮して受けるのが当時の人情であり礼儀だったのだ。それが人間の権利だから、堂々と受けた方がいい、などという言葉も信条もなかったのだ。
・多くの現代人は、加齢と共に皺になることは恐れても、言葉を駆使できない人になることをあまり恐れない。
・人は自分の病気を語るのが好きだ。病気は、誰にとっても「私小説」なのだ。「私小説」というものは、たいていの人に書ける。
・常識というものは、常に相手の存在を意識するところにある。相手はどうでもいい、と思うから非常識が発生する。
・威張る人は言葉遣いでわかる。初対面の私に「ああ、そう」「ご苦労さんだね」などと言う。初対面の人に対しては、ごく普通の日本語を使っておけばいいのである。つまり「ああそうですか」「ご苦労さんでしたね」と言えばいい。
・「です」「でした」の代わりに「だね」「だったね」しか使えない人というのが世間にいて、田舎暮らしの高齢者ならいざ知らず、私はどこか無知で威張っているような感じを受ける。
・「どなたの前でも、誠実に礼儀正しく、怯まずにお話しできるように」と母は言っていた。相手の年や地位を聞くと、急に言葉遣いを変えるような人を、母はもっとも嫌っていた。
・戦後の教育は、「皆、平等」で「為せば成る」なのだから、その道に適さない人も、希望があればその道に進んでいいということになる。自分に向かない道に入ったら自他共にうまくいかなくて、当人も不幸、社会も迷惑を蒙る、というふうには教えない。意図がよければすべてよし、とされてしまうからだ。
・日本のマスコミは昔から総理や大臣に対してそうじて非常識に無礼なのをもって、反権力の証などと考えているのである。
・不幸を自分の中で消化しきれないと、すぐそれを社会的理由に帰し、社会全体に報復するという形で解消しようとする人もいる。
・私は昔、初めて身体障害者たちと外国を旅行するようになった時、その指導司祭を務めてくださった日本人のカトリックの神父に言われた。「曽野さん、僕たちがこの仕事が楽しくてたまらなくなったら、やめた方がいいな」 それは自己満足のためにしていることになるのだから、ということである。
・世間からどう思われてもいい。人間は、確実に他人を正しく評価などできないのだから、と思えることが、たぶん成熟の証なのである。
・老齢の故に過大評価される風潮が、成熟した大人ではなく、退化した人間を如実に見せつけるようになったの最近である。「アンヨはおじょうず」とはやされるのは幼児ならいいが、老人にはそういう甘やかされ方を許してはいけない。
・貧困の条件はたった一つしかない。貧困とは「今夜食べるものがない」ことを言う。その条件に当てはまる人は間違いなく「貧しい人」である。
・家のローンが払えない、子供を大学にやる費用の捻出がむずかしい、新車を買えない、などという理由は、世界的に見て全く貧困の条件にはならない。
・人間、現状を客観的に見て笑えれば、たいていの窮地から脱出できるのである。
・もし人生を空しく感じるとしたら、それは目的を持たない状況だからだと言うことができる。
・収容所では比較的小さな時間間隔は──たとえば一日は──ほとんど限りなく続くように囚人には思われるのである。しかしより大きな時間間隔は──たとえば週は──気味悪い程早く過ぎ去って行くように思われるのである。
・災害を風化させることは、まるでそのために死んでしまった人たちへの裏切りのような口ぶりである。
・ものごとを軽く見ることができるという点が、高邁な人の特徴であるように思われる。「ことに自分に関する物事を……」と付け加えられれば完璧だ。
・自分が将来、被災者になった時、あらゆる面で自分を助けてくれる人がいないと困るということで、絆が大切だと思いついたとしたら、それはずいぶんと身勝手な話だ。
・絆とは与えられることでもあるが、与える覚悟でもあるからだ。相手のために時間を割き、金を出し、労働し、不便を忍び、痛みを分かち、損をすることなのである。
・同志の資格ははっきりしている。それは趣旨に賛成するなどという生ぬるいものではなく、共通の目的にために「血か、金を差し出す人」という条件がついている。
・死は誰にもやって来る。それを引き延ばすだけが生の目的ではない。死の前の生が充実することだけが、意味あることなのだ。
・困っている人を助けるのは、マスコミなどというものもない社会の中で「そのこと」を偶然知る狭い範囲にいる知人だけだった。
・手をさしのべる方も控え目なら、受ける方も充分に遠慮して受けるのが当時の人情であり礼儀だったのだ。それが人間の権利だから、堂々と受けた方がいい、などという言葉も信条もなかったのだ。
・多くの現代人は、加齢と共に皺になることは恐れても、言葉を駆使できない人になることをあまり恐れない。
・人は自分の病気を語るのが好きだ。病気は、誰にとっても「私小説」なのだ。「私小説」というものは、たいていの人に書ける。
・常識というものは、常に相手の存在を意識するところにある。相手はどうでもいい、と思うから非常識が発生する。
・威張る人は言葉遣いでわかる。初対面の私に「ああ、そう」「ご苦労さんだね」などと言う。初対面の人に対しては、ごく普通の日本語を使っておけばいいのである。つまり「ああそうですか」「ご苦労さんでしたね」と言えばいい。
・「です」「でした」の代わりに「だね」「だったね」しか使えない人というのが世間にいて、田舎暮らしの高齢者ならいざ知らず、私はどこか無知で威張っているような感じを受ける。
・「どなたの前でも、誠実に礼儀正しく、怯まずにお話しできるように」と母は言っていた。相手の年や地位を聞くと、急に言葉遣いを変えるような人を、母はもっとも嫌っていた。
・戦後の教育は、「皆、平等」で「為せば成る」なのだから、その道に適さない人も、希望があればその道に進んでいいということになる。自分に向かない道に入ったら自他共にうまくいかなくて、当人も不幸、社会も迷惑を蒙る、というふうには教えない。意図がよければすべてよし、とされてしまうからだ。
・日本のマスコミは昔から総理や大臣に対してそうじて非常識に無礼なのをもって、反権力の証などと考えているのである。
・不幸を自分の中で消化しきれないと、すぐそれを社会的理由に帰し、社会全体に報復するという形で解消しようとする人もいる。
・私は昔、初めて身体障害者たちと外国を旅行するようになった時、その指導司祭を務めてくださった日本人のカトリックの神父に言われた。「曽野さん、僕たちがこの仕事が楽しくてたまらなくなったら、やめた方がいいな」 それは自己満足のためにしていることになるのだから、ということである。
・世間からどう思われてもいい。人間は、確実に他人を正しく評価などできないのだから、と思えることが、たぶん成熟の証なのである。
・老齢の故に過大評価される風潮が、成熟した大人ではなく、退化した人間を如実に見せつけるようになったの最近である。「アンヨはおじょうず」とはやされるのは幼児ならいいが、老人にはそういう甘やかされ方を許してはいけない。
・貧困の条件はたった一つしかない。貧困とは「今夜食べるものがない」ことを言う。その条件に当てはまる人は間違いなく「貧しい人」である。
・家のローンが払えない、子供を大学にやる費用の捻出がむずかしい、新車を買えない、などという理由は、世界的に見て全く貧困の条件にはならない。
・人間、現状を客観的に見て笑えれば、たいていの窮地から脱出できるのである。
・もし人生を空しく感じるとしたら、それは目的を持たない状況だからだと言うことができる。
・収容所では比較的小さな時間間隔は──たとえば一日は──ほとんど限りなく続くように囚人には思われるのである。しかしより大きな時間間隔は──たとえば週は──気味悪い程早く過ぎ去って行くように思われるのである。
・災害を風化させることは、まるでそのために死んでしまった人たちへの裏切りのような口ぶりである。
・ものごとを軽く見ることができるという点が、高邁な人の特徴であるように思われる。「ことに自分に関する物事を……」と付け加えられれば完璧だ。
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