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『素直に生きる100の講義』 [☆☆]

・抽象化できないから、リストをそのまま挙げてまとめてしまう。そういう人は、同じ作業を繰り返すことはできても、自分が置かれている状況を客観できていない場合が多く、それゆえに、次のステージへ進めないのだ。

・多くの人は、完璧なものを求めていなくて、辛口に批評できる対象を好む。つまり、悪口が言えるほど自分はよく知っている、という親密感が欲しいのだろう。

・なんとなく、これは使えるのではないか、というものを見つける作業が日常であって、そういうストックがあるほど、アイデアも思いつきやすい。

・町は発展し、道路も沢山できた。でも、いずれは「もう充分だ」というレベルになる。そうなったら、古くなったものを作り直す、新しい世代が新しいものを欲しがる、という需要しかなく、いわゆる定常状態になる。これは、「不況」ではなく、「定常」なのだ。

・社会が安定すれば、すべての仕事が定常になる。そうなると、まったく新しい価値を創出しないかぎり成長はありえない。

・八十歳を越えても矍鑠としている人は、例外なくいつも新しいものを創り出そうとしている。

・年齢的にまだ若いという人でも、もう何も作らなくなっている人が多い。ただ、毎日ルーチンワークをしているだけ、という安定感はあるかもしれないが、たぶん早い段階でボケてくるだろう。

・多くの人(特に老人)は、ボケないようにと文化教室に通ったり、本を読んだり、という「学び」を始めるのだが、その学びの過程に、「思考」があるかないか、が重要だと思う。それがなく、ただ覚えよう、身につけよう、としているとやはりボケる。

・算数や数学だけが、少し「考える」運動になる。でも、さらに良いのは、「図工」のような科目だ。国語でも、作文は良いかもしれない。ようするに、ものを創り出すことが一番「考える」に近い活動なのである。

・「何故○○なのか?」と問われたとき、どうしても「○○」が成り立つ理由を考えてしまう。これは、テストの問題ばかり解いている頭脳にありがちなことだ。つまり、問題には間違いがない、という前提がある。

・今の人は、「それ、見たことあるよ」が、「知っている」ことなのだ。

・「好き嫌いが分かれる」という表現は、好きと嫌いが「しっかりと」分かれるという部分に力点がある。すなわち、「好きでも嫌いでもない」という人が少ない、ということを表現しているのだ。

・「好きか嫌いかが分かれる」というのは、ほぼ全員が興味を示す、ということにほかならない。興味を示せば、だいたい好きか嫌いになる。あまり興味がなければ、「どっちでもいい」になりやすい。

・犬のようにすぐ欲しがり、もらえなければすぐに諦め、根に持たない、という方が清々しい性格にも感じる。これは、当然ながら思考力が不足しているからだ。ということは、思考力が人間の嫌らしさの元凶なのか、とも思うのである。

・建築と土木では、建築の方がアート寄りである。建築は芸術だという認識がある程度浸透している。これに対して、土木は工学であって、美しさは「機能美」なのだ。前者では、美は感覚的なものであり、後者では、美は理論になる。

・もし、貴方が文章を書いて、それを生業にしたいと思うならば、書きたいことばかりを書いていてはいけない。そうなると、書きたくないときには書けない人になってしまうからだ。書きたいことなんて、すぐになくなってしまうし。

・もし、反論ができないときは、理屈のあるものを素直に受け入れれば良い。感情的に耳を塞ぐ方が危険だ。

・豊かな自分は、貧しい自分に恵まなければならないのだ。金が入って嬉しいときに、使わないで我慢すると、貧しいときに、その金が活きる。

・「偉そうな」態度とは「偉くない」ことと同値なのである。威張りたい気持ちは、威張れない人間にしかない。

・スチュワーデスなんかも使えなくなった。それが、「性差別」だというのである。ならば、「彼女」とかも性差別ではないか。

・ある少数の人にだけ可能な作業というのは、つまりは技が洗練されていない、技術が遅れている分野だともいえる。

・最も大事なことは、誰がやっても同じ結果が出る方法だ。その技が編み出されれば、大勢で大量生産できる。そのうち人間がいなくても機械で作ることが可能になる。こうしたときに、その技術が成熟する。

・ちょっと気を許すと失敗してしまう、精神統一し、息を止めてやらないとできない、といった作業、これは技術ではなく、芸術の世界になる。機械に数値では教えられないもの、それは技ではなく芸である。

・機械というのは、つまり歯車で動くような絡繰りである。これが、今はすべてデジタルになって、コンピュータが肩代わりしている。多くのメカが淘汰され消えてしまった。

・かつては幾何学的な発想から生まれたアイデアが、今ではすべて代数的に解決するようになったかに見える。

・空気が読めないのでは話にならないが、読めてもただ流されるだけならば、ほとんど読んでいないのと同じ結果に見える。

・著名人の格言の類がいつもいつも、そして何度も何度も引用され、みんなが同じフレーズを繰り返している。これをまたコピィし、まるで輪唱のようだ。

・売れない画家の描いた絵が、最初は見向きもされないのに、その画家が有名になると、初期の作品まで高い値がつく、というのと同じ現象だ。言葉や意見の場合も同じで、人を見て意見を評価するのは、意見の意味がわかっていない、ということを証明しているのである。

・この頃の良心は「寄って集って」クレームをつけ、謝るまでバッシングする。

・そもそもは、「良心」なのだ。社会にとって自分は良いことをしたい、という気持ちが基本にある。これが、「なにもそこまで目くじらを立てなくても」という域を大きく踏み越えて、新たな「社会の迷惑」にまで増幅されてしまう。

・どんなに悪そうに見えるものでも、絶対に駄目だということはそうそうあるものではない。たとえば、核ミサイルは絶対にいらない、と言われるかもしれないが、この技術を持っていないと、小惑星が地球に衝突するような大災害を防ぐことができないかもせれない。

・理屈で反論できない人は、人格の中傷で反撃するしかない。

・専門家の意見を根拠もなく一蹴し、それよりも、一人の音楽家の意見を信じたりする。

・閉塞が起こるのは、流れようとする力が働いているためで、閉塞を解除するには、一旦は流れを止めるとか、逆に流す(負圧をかける)というような対処が必要だ。そうすることで、詰まっているものが崩れて、また流れるようになる。日本の経済が閉塞している原因も、同じように見受けられる。つまり、「あのバブルをもう一度」「好景気待望」というみんなの気持ちが圧力をかけている。その力が閉塞を起こしている主原因だろう、と思える。

・年金などは、明らかに「ねずみ講」である。国がやっていることだし、国民がみんな参加しているし、利回りがそれほどでもないので、破綻するまでに時間がかかった、というだけだ。

・原爆は原発とは関係がない。それはダイナマイトと火力発電くらい別のものだ。

・誰か近くの人間が言ったこと、あるいはたまたま本で読んだことに感化されて、そうなったのだろう。

・世間の目は、事故があったものにしか向けられない。しかし、次に起こるものは、今は注目されていないところなのである。

・そろそろ、通信関係で大きな事故が起こりそうな気もする。もともとは分散系だったから障害に強かったのに、この頃は、プラットフォームなど、集中しているものが散見される。

・保険は、大まかに言えば「人助け」だと思って入る方が良い。大勢が加入すれば、不運にも事故に遭遇した人、病気になった人を助けることができる。

・大衆の大多数は、フィクションを読まない人たちである。「田舎だな」と主人公が呟くだけで、その地の人が頭に来てクレームをつけたりする。登場人物が煙草を吸っているだけでクレームをつける団体もある。





素直に生きる100の講義

素直に生きる100の講義

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2014/08/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



素直に生きる100の講義

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  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2014/08/07
  • メディア: Kindle版



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