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『創作の極意と掟』 [☆☆]

・宮沢賢治「やまなし」の冒頭など、「クラムボン」という名前の、正体がまったくわからぬ動物の噂で始まる。そしてこのクラムボン、そのまま最後まで出てこないし、どんな動物なのかも結局不明のままだ。

・日本一のクォリティ・ペーパーの購読者たるあなたが何を言ってるんですか。森鴎外の「渋江抽斎」という難解な史伝は、その昔、毎日新聞に連載されている。新聞とはそういうメディアでもあるのだ。

・岩崎夏海の長いタイトルの作品も今や「もしドラ」の短縮形で語られることが多い。もしあなたの小説が短縮形で呼ばれるようになったら、それは名作の仲間入りをしたことになるので自慢してよい。憚りながら小生の作品では「時かけ」(「時をかける少女」)があります。

・多いのは、面倒なので省略してしまった部分を「実はこんなことがあって」などと会話でもって補填しようというものだ。

・それを含む単語をなくせばフランス語の三分の二が消えるといわれている「e」の字のリポグラムはまさにホロコーストの象徴だとも批評されているのである。

・薬物のせいで傑作が書けたとしても、それは作家が書いたものではない。薬物が書いたものだ。

・昔、煙草の煙が濛濛と立ちこめていた新聞雑誌の編集室や会議室から紫煙が追放されて以来、どうも記事そのものから重みが失われ、やたらに軽くて表面的な文章ばかりになってしまったと感じられる。

・アルコール類と睡眠剤の併用はやめた方がよい。星新一はこれがきっかけで倒れ、以後寝たきりになってしまった。

・作家なのだから毎日きちんと寝る必要はなく、眠くなければ起きて仕事をするか、本を読んでもよい。そしてたまには「眠れぬ夜」も楽しむべきですよ。

・連作はまた、長篇小説の形式に縛られることなく、ひとつのテーマを追究することのできる形式である。テーマがばらばらであっては短篇集になってしまう。

・まったく別の話であっても、連作は必ずメイン・テーマのもとに書かれなければならないだろう。

・それが不快な出来事であっても、本人が無意識的にそれを呼び寄せてしまう場合があり、精神分析的には「事故多発者」という事例で証明されているように、これも本人の願望によるものとすれば、やはりそれも負のセレンディピティだと言うしかない。

・活動的でなくなると、人は日常の瑣事にこだわりはじめ、習慣に囚われてしまう。そうした日常を乱すような不快な出来事や侵入者が許せなくなる。そして愚行に及ぶわけなのだ。

・ゲーム的小説で消費されるのはもう直線的な物語ではない。読者参加型のメタ物語であり、こうした小説を読むゲームおたくがより感情移入できるのは物語よりも自分が参加できるメタ物語なのである。





創作の極意と掟

創作の極意と掟

  • 作者: 筒井 康隆
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/02/26
  • メディア: 単行本



創作の極意と掟

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  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/02/28
  • メディア: Kindle版



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