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『部活で俳句』 [☆☆]

・おたまじゃくしには蝌蚪(かと)という別名があるのでこちらを使うと音が節約できる。俳句はそんなことも考えなきゃならない。

・季語がどうしても俳句に必要だとは俺は思わないが、俳句が日常の空間や思いを表現する文学形式であると思っているので季節感が空間を表す有効な手段であるとは思う。

・どう書いても自分が感じたことの真実を書くかぎり自分が出るんだ。自分に関係のないこと、心にもない嘘なら書く意味がない。

・いまどき舞なんていうか、ふつう。お前たちならどうして蝶のラップっていわない。蝶は「舞う」ものだって思うところがもう先入観だな。

・模範的小論文とは、世俗的な意見を熟知した上でそれにちょいと程よいオリジナルを盛ることが肝要。

・一般的に誰でも口にする正論のようなところを言っても高い評価は得られないが、かといって社会的規範や倫理に抵触するようなことを書くとまず不可とされるだろう。「若者」には程よい「異論」が期待されているのである。

・芭蕉が打ちたてた蕉風と呼ばれる文学性は、東洋的、禅的な死生観を根に置いたもので、それは「わび、さび」の名で呼ばれました。

・左手を下に右手を上にして、左手の力だけで振り、右手は添えるだけ。それというのも左で相手を引いて効果的に「切る」という目的を徹底するためである。考えてみれば剣道とは相手を切るための方法なのです。

・事実は小説より奇なりと言いますが、この「奇」なる事実は日常のあらゆる時間空間の中に起こっています。それに気づくことが実は至難のわざです。

・血は赤くない。青信号は青いかというのと同じである。採血の黒さを言っただけで「詩」になるのは、血が赤いという「常識」があまりにはびこっているから。

・破調とは意味の切れとリズムの切れが異なる場合を言います。つまり意味が五七五では切れないということ。

・読み下してリズムがない俳句は、韻文ではなく散文の一行と同じになってしまい俳句形式の特性が生かせないということになります。

・一般的に知られている「切字」というのは、「や」「かな」「けり」の三つです。

・上句が四音の名詞なら「や」をつけてみる。下句が三音の名詞なら「かな」を付けてみる。下句が二音または三音の動詞で終わりそうなら、その動詞を連用形にして「にけり」または「けり」を付けてみる。

・映画やテレビドラマを観て、笑い、泣き、感動をしている人が、こと俳句を作る段になると急に抹香臭い情趣にこだわり出し、寺だの墓だの遍路だのを描くことになります。これは不思議なことです。

・優れた映画はディテール(細部の克明さ)、すなわち1カット1カットの印象度を積み上げて行くもので、そのカット自体に感動がないと全体を通しての感動に結びつきません。1カットがそれ自体でひとつの完結を示しているのです。

・優れた「物語」はかならずひとつひとつのシーンに完結性がある。筋とは別に1シーンそのものに感動があるのです。

・サザンオールスターズの曲をカラオケで歌うのは、同じ情緒に皆で酔い痴れる安堵感があるから。感動というよりは衆の中に自分が紛れる安心感が中心です。





部活で俳句 (岩波ジュニア新書)

部活で俳句 (岩波ジュニア新書)

  • 作者: 今井 聖
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2012/08/22
  • メディア: 新書



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