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『勝負論 ウメハラの流儀』 [☆☆]

・自分の中に良い変化、つまり成長があれば、それは勝ち続けられている状態にある。

・自分が耐えられない、嫌で嫌で仕方がない欠点は、徹底して修正すること。そして、それに当てはまらない小さな欠点は、どうでもいいと思うことだ。

・勝ち続けることは、同じメニューを食べ続けないこと。

・現時点で不幸だと感じている人の根本的な問題は、何をどう頑張ればいいのかが、よくわからないことなのではないだろうか。そんな人に、ただ「頑張れ!」と励ましてみても、きっと辛くなるだけだろう。

・自分の好きなことをやろうと思えば、それが不幸にしてみんなが平均的に好きなものではない時点で、孤独を必然的に招くことになる。

・変化がどうしても嫌なら、そして対応できないのなら、この世界から去るしかない。

・変化する世の中に文句をつけても、何も起こらない。問題は変化していくことを前提に、どうその中で勝ち続けていくかなのだ。

・大切なのは「自分は何ができないから結果が出せないのか?」という考え方である。

・意識すればできるが、意識しないとできなくなる、という対象が、ちょうどいい負荷のかけ方だ。適度な難易度だといえる。

・俺は、頭の良し悪しを種類に分けている。ひとつは頭の回転の「速さ」、もうひとつは頭の回転の「強さ」だ。

・どこかで見たようなセオリー通りのプレーばかりで、意外感がなく、面白くない。機械が勝手にプレーしているようで、受ける印象も、「ああ、強いですね。すごいですね」という平板なもので終わってしまうのだ。

・時々街の景観や構造を変えるような大変化もある。多くの人はそうしたレベルの話だけを捉えて「この街も変わってしまった」とため息をつく。でも本当は、たまたまその変化が大きいから気づけただけで、小さな変化はいつでも起きている。

・小さな変化、小さな成長は実は毎日起きているし、起さなければならないのだ。

・敗者になったことをいつまでも悔いている人は、将来他人が、自分の大切な人が同じように敗れた場合も、かつての自分と同じように「敗者」と決めつけるのだろうか。

・ポーカーフェースを装っているうちに、どうしたものか、本当に感情そのものが穏やかになり、いちいち腹が立たなくなったのだ。

・「○○になりたい」という思考は、誰にも、何回でもできる割に、いくら頭の中だけで繰り返してもそのことによって直接自分が変わるわけではない。しかし行動は、それを繰り返すことによって、自分の思考回路そのものを、必ずといっていいほど変えることができてしまう。

・優しくなりたい、穏やかになりたいと願うなら、取りあえず優しい人、穏やかな人がする行動を、とにかく繰り返し実践する。

・ある集団で仲間で居続けることを優先し、成長をやめることは、結局全員揃ってゆるやかに自分たちの価値を落とし続けていることにほかならない。

・その中でやり取りされるコミュニケーションが、結局仲間内での群れの確認、仲間外れになっていないことの確認作業のための、ほとんど意味のない、思考の伴わないじゃれ合いなのだとしたら、結局は成長のない、そして逸脱を許さない「群れ」の状態を、ただネット上で再現しているだけではないだろうか。





勝負論 ウメハラの流儀 (小学館新書)

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