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『余計な一言』 [☆☆]

・かつて古代ギリシャでは、相手と同じことを話すのは、礼儀に反するので、必ず上手に反論し合っていくことが求められていたのです。

・村の寄り合いなど狭い共同体での話し合いにおいて、参加者は誰に対しても絶対に反論をしません。そのため、ある議題を検討し始めてから、決まるのに何日も何週間もかかってしまうこともあります。いわゆる「阿吽の呼吸」で、なんとなく決まっていくという流れを皆が求めているからです。

・常に「他の人とは違う」と思っていて、「違う自分」をアピールしたいと考えている。そのため、ついつい「逆に言えば」といった言葉で独自路線をアピールするのです。問題は、そのわりには、本当に独自のアイデアなどをもち合わせていないという点なのです。

・そもそも政治家に求められる資質として、「話したくても話してはいけないことを、話さずに我慢できる」という精神的な強さも含まれているはずです。本音を言ってスッキリする職業ではなく、むしろ逆なのです。

・テレビでの発言は、いまや流れ去って消えるものではなく、ハードディスクに保存されるものになりました。それをネットで公開する人もいます。

・本来、利害関係者でも何でもない人たちが、「許せない」とネットで騒ぎ立てることが増えています。

・無神経な質問などは、聞くこと自体で人間関係を壊してしまうこともありえます。たとえば、子供がいない夫婦に、「お子さんはまだ?」と尋ねることには慎重にならなくてはなりません。

・前置きがくどい人は、次々に話を派生させ、場を盛り上がらせようとしているのですが、結局、時間を余計に取り、聞いている方がうんざりすることになってしまう。

・敬語は、相手との間に距離をつくる言葉です。だからこそ敬意が伝わるのですが、過剰につかうと、お客との距離が離れてしまうのです。

・「思ったことを率直に言うことが、相手に対して誠実である」というのは、間違った思い込みです。率直な質問や感情的な発言は極めて危険なのです。

・大人は、思ったことをすぐに発言しない、即答しない、という心構えや訓練が必要です。

・フロイトは、普通の人ならば「ついうっかり言い間違えたのだな」と聞き流すような言葉に着目しました。そして「いい間違えたところにこそ、その人の隠れた心が現れる」と、考えるようになったのです。

・ニーチェも、器の小さい人間というのは、妬みでできているという主旨のことを述べています。

・本当に指摘してもよいのか、自分には非がないのか、考えないままにクレームめいたことを言うのです。自分の理解力のなさ、思考力のなさを省みない人が多くなってきています。

・「わからないこと」に対する耐性のない人は、自己中心の観点のみで文句を言います。自分がわからないということは相手が悪い、という偏った考え方です。

・「学ぶ」ためには、わからない自分のほうがおかしいのではないかと、常に考えながら物事に臨んでいくことです。

・わかりやすく手取り足取り教えてもらうことと、自ら「学ぶ」こととはまったく異なる姿勢なのです。

・往々にして、日本では「一言言っておこう」という姿勢で批判的な物言いをすることを、「批評眼がある」とか「知性がある」とか「インテリっぽい」というようなイメージとして捉えられていることがあります。しかし、それこそ錯覚です。

・「頑張れ」というのは、日本語としては簡単な掛け声で、本当によくつかわれています。頑張った先に特に何もなくても、「頑張れ、頑張れ」と、つい言ってしまいます。

・「頑張れ」を無責任につかわない。指示や要望を具体的に伝えることで結果的に、「頑張らせる」。

・人はたいていのことについては素人です。会話の中で、「生半可な知識」でついつい言ってしまうことがあります。問題は、その場の状況や言い方です。

・性別に限らず、人は現在の状態よりも、これから向かっていく方向性や、将来の姿を褒められたほうが嬉しいものです。

・ネットでの反射的なコミュニケーション、安易なレッテル貼りに終始するような思考を繰り返していては、人生はおそろしく浅いものになってしまいます。




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