『MORI LOG ACADEMY 10』 [☆☆]
・たとえシステムが新しくなっても人間(あるいは体質)が古い。
・そうやって少しずついじっていくうちに本当に自分の機関車になる。自動車の改造なんかをする人も同じ感覚だろう。
・いつまでもこつこつ同じ作業を続けて、それで満足している。仕事をしているのだ、努力しているのだ、というつもりになっている。
・失敗というのは、世間では実は価値が認められていなかった(実は安物だった)という意味ではない。自分で選んで、自分が気に入っていれば、それは失敗ではない。自分の目が肥えて、その価値に幻滅した、というような場合のことである。
・形を把握するのも、思考のうちということ。どんな形も全体はけっして見えない。見えないものを、見たように人間は脳で処理し、把握する。現実とは、つまりそういうふうにして脳で作られるものだ。
・機が熟すというのは、絶好のチャンスが来るという意味ではなくて、もうこれ以上待ちきれない状態のことらしい。
・TVには、「どう感じれば良いのか」という見本を見せてくれる人たちがスタジオにいる。その人たちが「可愛い!」と叫べば、それは可愛いものとして視聴者に伝わる。「感動した!」と言えば、それで感動する人が多い。
・以下の4パターンがあったとしよう。A「凄いことを凄く描く」 B「凄いことをあっさり描く」 C「凄くないのに凄く描く」 D「凄くないことをあっさり描く」 自分で感じられない人は、AやCを凄いと思い、BやDをあっさりしていると思う。自分で感じられる人は、Bを凄いと思い、AとDを普通だと感じ、Cには眉を顰める。
・古い体質の組織というのは、どうしてそんなに頭の固い人間ばかりなのか、と不思議に思うけど、そういう人間でないと勤まらないのだ。
・夢を見るコツは、見たあと目を開けないことである。完全に起きてしまうと急速に忘れてしまう。まどろんだ状態をできるだけ持続して、目を瞑っているうちに、夢の復習をする。そうすると覚えていられる。
・芸術作品というのは、「よくここまでやったな」という「労力」を評価するものではない。労力をかければ誰にでもできることではなく、「これは、こいつにしかできない」と見た人に思わせるものでなくてはならない。
・「社会が混乱する」というのが抵抗勢力の主な理由だ。こうして、混乱したくない、今までどおりで良い、といつまでもだらだらと同じことを繰り返す。
・子供も犬も、小さいときほど叱らなくてはいけないのは同じだ。たとえば叩いたりするのは、未来に不利益があることを、目前の不利益で代用して教える行為だ。
・躾は、対外的(あるいは社会的)なルールを教える行為なのである。そして、それを学習すれば、外へ出ていったとき本人が受ける障害が減少する。別の言葉でいえば、「自由」が得られる。
・自分が何が好きかとか、今日は何を食べたとかではなく、世界に発信できる普遍的なコンテンツをネットにアップしてほしい。
・第一世代は、いろいろな人間がいたはずなのに、その組織が安定期に入ると、その仕事に憧れた人間しか入れないようになる。自分の好きな仕事をしたいと考えるのが自然だし、また就職の面接でも、どれだけその仕事がやりたいのかを問う。だから、当然仲間が集まる。これはつまり「ファンクラブ」みたいなものだと考えて良い。
・作るものがない、お金がかかる、と渋る人は、たとえば自分の部屋を徹底的に片づけてみよう。奇麗な部屋を「作る」のである。
・ものを作り上げるときの最大の難関は、作り始めること。最初の第一歩である。
・シリアスな絵やフィギュアの方が、デフォルメしたキャラよりも、ちょっとしたギャップが目立ったとき不愉快さを感じる。
・少しずつ、不可能を少なくしていきたい。不可能がなくなることが、つまり自由だと思う。
・高くなると客に逃げられる(買い控えがある)、というような商品の場合は影響があるわけだけれど、そこにしかないもので、どうしても買わなければならないものなら、為替相場は売る側には影響しないわけだ。
・頭の半分は、いかに表現するかを考え、もう半分は、それがどう伝わるのかを予想する、それが文章を書く作業だ。
・奇数をn個足していくと、その和は、n^2という一般解が求められる。
・思考は、「駄目だ、もう考えられない」と思うところまで、及ぶ。そこが思考の限界である。人は無意識のうちに、「それは自分にはできない」と諦め、自分の限界を決めている。
・既存の情報から選択することは機械でもできる。人間に求められている能力とは、想定外のときに、これまでの経験をどう応用できるか、ではないだろうか。
・コンクリートの比重は約2.3で、普通の石や岩よりも少しだけ軽い。アルミよりも軽い。
・Oリングの「O」は、リングの形のことではない。ゴムの部分の断面が円形であるため、この名前がついている。
・壊れないことがまず大切であるけれど、万が一壊れるときには、どこがどう壊れるのか、どの順で崩壊するのか、ということが予測できることが「安全」である。
・科学というのは、現象を説明する仮説である。その仮説に例外が発見されるまでは、それが法則となり、つまり真実として扱われる。
・欲しいものは高くても買う。そうでないものは、いくら同じメーカのものでも、いくら安くても絶対に欲しくない。だから、福袋を買う神経が信じられないのだ。
・C57はそのスマートなフォルムから、マニアの間では「貴婦人」と呼ばれている。また、C56は「高原のポニィ」と呼ばれている。
・新しい建物がどんどん建つわりに、古い建物の修復には予算がつかず、ずっと放置されている。日本では、どこにでも見られる光景だ。
・子供に「勉強しろ」と言うまえに、大人がもっと勉強すべきなのだ。
・サザエさんを見ると、現代の年齢層とかなりかけ離れていることに気づくはずだ。アナゴさんは20代の設定である。キャラクタが今の年齢よりも上に見えるのは、寿命に関する相対的な感覚の差によるものかもしれない。
・人はノウハウを蓄積する器だ。
・社会の問題というのは、起こって初めて気づく、というようなものはほとんどなく、必ず何年もまえにそうなることが予見されている。少数の人が予兆から未来を予測して警告する。大多数は「今と過去」しか見ていないので、警告は聞き入れられず、したがって予見のとおりになる。
・悪いのは加害者だ。そんな人間に誰がしたのかって? ほとんどは自分でなったのだ。本人に最も責任がある。どうして、周辺へさらなる理由を求め、原因を拡散しようとするのだろうか?
・渡辺式記憶術では、「チャップリンが一里塚で綿菓子を作った」と覚えます。どういうことか、ご説明しましょう。チャップリンは「チ」で始まります。これは五十音で17番目なので、17世紀=1600年代を表わします。「綿菓子」の「わ・た」あ、ワ行とタ行の音なので、五十音表の10行目と4行目。だから0と4を表す。1600と合体させると、1604という数字ができあがり、それは何かというと「一里塚」に関係している。よって「1604年、一里塚設置」となるわけです。
・そうやって少しずついじっていくうちに本当に自分の機関車になる。自動車の改造なんかをする人も同じ感覚だろう。
・いつまでもこつこつ同じ作業を続けて、それで満足している。仕事をしているのだ、努力しているのだ、というつもりになっている。
・失敗というのは、世間では実は価値が認められていなかった(実は安物だった)という意味ではない。自分で選んで、自分が気に入っていれば、それは失敗ではない。自分の目が肥えて、その価値に幻滅した、というような場合のことである。
・形を把握するのも、思考のうちということ。どんな形も全体はけっして見えない。見えないものを、見たように人間は脳で処理し、把握する。現実とは、つまりそういうふうにして脳で作られるものだ。
・機が熟すというのは、絶好のチャンスが来るという意味ではなくて、もうこれ以上待ちきれない状態のことらしい。
・TVには、「どう感じれば良いのか」という見本を見せてくれる人たちがスタジオにいる。その人たちが「可愛い!」と叫べば、それは可愛いものとして視聴者に伝わる。「感動した!」と言えば、それで感動する人が多い。
・以下の4パターンがあったとしよう。A「凄いことを凄く描く」 B「凄いことをあっさり描く」 C「凄くないのに凄く描く」 D「凄くないことをあっさり描く」 自分で感じられない人は、AやCを凄いと思い、BやDをあっさりしていると思う。自分で感じられる人は、Bを凄いと思い、AとDを普通だと感じ、Cには眉を顰める。
・古い体質の組織というのは、どうしてそんなに頭の固い人間ばかりなのか、と不思議に思うけど、そういう人間でないと勤まらないのだ。
・夢を見るコツは、見たあと目を開けないことである。完全に起きてしまうと急速に忘れてしまう。まどろんだ状態をできるだけ持続して、目を瞑っているうちに、夢の復習をする。そうすると覚えていられる。
・芸術作品というのは、「よくここまでやったな」という「労力」を評価するものではない。労力をかければ誰にでもできることではなく、「これは、こいつにしかできない」と見た人に思わせるものでなくてはならない。
・「社会が混乱する」というのが抵抗勢力の主な理由だ。こうして、混乱したくない、今までどおりで良い、といつまでもだらだらと同じことを繰り返す。
・子供も犬も、小さいときほど叱らなくてはいけないのは同じだ。たとえば叩いたりするのは、未来に不利益があることを、目前の不利益で代用して教える行為だ。
・躾は、対外的(あるいは社会的)なルールを教える行為なのである。そして、それを学習すれば、外へ出ていったとき本人が受ける障害が減少する。別の言葉でいえば、「自由」が得られる。
・自分が何が好きかとか、今日は何を食べたとかではなく、世界に発信できる普遍的なコンテンツをネットにアップしてほしい。
・第一世代は、いろいろな人間がいたはずなのに、その組織が安定期に入ると、その仕事に憧れた人間しか入れないようになる。自分の好きな仕事をしたいと考えるのが自然だし、また就職の面接でも、どれだけその仕事がやりたいのかを問う。だから、当然仲間が集まる。これはつまり「ファンクラブ」みたいなものだと考えて良い。
・作るものがない、お金がかかる、と渋る人は、たとえば自分の部屋を徹底的に片づけてみよう。奇麗な部屋を「作る」のである。
・ものを作り上げるときの最大の難関は、作り始めること。最初の第一歩である。
・シリアスな絵やフィギュアの方が、デフォルメしたキャラよりも、ちょっとしたギャップが目立ったとき不愉快さを感じる。
・少しずつ、不可能を少なくしていきたい。不可能がなくなることが、つまり自由だと思う。
・高くなると客に逃げられる(買い控えがある)、というような商品の場合は影響があるわけだけれど、そこにしかないもので、どうしても買わなければならないものなら、為替相場は売る側には影響しないわけだ。
・頭の半分は、いかに表現するかを考え、もう半分は、それがどう伝わるのかを予想する、それが文章を書く作業だ。
・奇数をn個足していくと、その和は、n^2という一般解が求められる。
・思考は、「駄目だ、もう考えられない」と思うところまで、及ぶ。そこが思考の限界である。人は無意識のうちに、「それは自分にはできない」と諦め、自分の限界を決めている。
・既存の情報から選択することは機械でもできる。人間に求められている能力とは、想定外のときに、これまでの経験をどう応用できるか、ではないだろうか。
・コンクリートの比重は約2.3で、普通の石や岩よりも少しだけ軽い。アルミよりも軽い。
・Oリングの「O」は、リングの形のことではない。ゴムの部分の断面が円形であるため、この名前がついている。
・壊れないことがまず大切であるけれど、万が一壊れるときには、どこがどう壊れるのか、どの順で崩壊するのか、ということが予測できることが「安全」である。
・科学というのは、現象を説明する仮説である。その仮説に例外が発見されるまでは、それが法則となり、つまり真実として扱われる。
・欲しいものは高くても買う。そうでないものは、いくら同じメーカのものでも、いくら安くても絶対に欲しくない。だから、福袋を買う神経が信じられないのだ。
・C57はそのスマートなフォルムから、マニアの間では「貴婦人」と呼ばれている。また、C56は「高原のポニィ」と呼ばれている。
・新しい建物がどんどん建つわりに、古い建物の修復には予算がつかず、ずっと放置されている。日本では、どこにでも見られる光景だ。
・子供に「勉強しろ」と言うまえに、大人がもっと勉強すべきなのだ。
・サザエさんを見ると、現代の年齢層とかなりかけ離れていることに気づくはずだ。アナゴさんは20代の設定である。キャラクタが今の年齢よりも上に見えるのは、寿命に関する相対的な感覚の差によるものかもしれない。
・人はノウハウを蓄積する器だ。
・社会の問題というのは、起こって初めて気づく、というようなものはほとんどなく、必ず何年もまえにそうなることが予見されている。少数の人が予兆から未来を予測して警告する。大多数は「今と過去」しか見ていないので、警告は聞き入れられず、したがって予見のとおりになる。
・悪いのは加害者だ。そんな人間に誰がしたのかって? ほとんどは自分でなったのだ。本人に最も責任がある。どうして、周辺へさらなる理由を求め、原因を拡散しようとするのだろうか?
・渡辺式記憶術では、「チャップリンが一里塚で綿菓子を作った」と覚えます。どういうことか、ご説明しましょう。チャップリンは「チ」で始まります。これは五十音で17番目なので、17世紀=1600年代を表わします。「綿菓子」の「わ・た」あ、ワ行とタ行の音なので、五十音表の10行目と4行目。だから0と4を表す。1600と合体させると、1604という数字ができあがり、それは何かというと「一里塚」に関係している。よって「1604年、一里塚設置」となるわけです。
MORI LOG ACADEMY 10 (モリログ・アカデミィ 10) (ダ・ヴィンチブックス)
- 作者: 森 博嗣
- 出版社/メーカー: メディアファクトリー
- 発売日: 2008/06/18
- メディア: 文庫
タグ:森博嗣