『僕ならこう読む』 [☆☆]
・よりよい人生を送るために、読書はとても役に立つ。読書を通じてさまざまな代理経験ができるからだ。
・自分は今こういう所にいるんだということを知ること、それがインテリになるということだ。
・小説は自分の心理的な状態を明らかにしてくれるといってよいのではないでしょうか。読んでいて同感するということは、自分を見ることになるのではないでしょうか。
・僕は永遠に誰にもおもねることのできない人間で、神谷さんは、おもねる器量はあるが、それを選択しない人だったのだ。両者には絶対的な差があった。
・今つき合っている相手が自己愛型人間かどうかを見極めるにはどうしたらいいか? それは、自分が本当に困って助けが欲しくて相談したときに、相手がどのように反応するかを見ればわかります。自己愛型人間は自分の都合が最優先ですから、できるだけ面倒なことには巻き込まれないよう、逃げを打とうとします。
・彼らが自分を特別な人間だと思い込み、称賛を求める裏側には、それくらい強く思い込まなければならないほどの自己評価の低さがあります。ただし、これは無意識でのこと。意識上では、この人たちは本気で自分が特別な存在だと思い込んでいます。
・自分の自己像や自己認識を否定しようとする相手に対して、自己愛性パーソナリティ障害の人たちは手段を選びません。激しく抵抗し、非難し、相手の人格を否定しようと躍起になります。
・客観的事実に向き合うことで自分が傷つくくらいなら、その危険を与える対象を抹殺することのほうを選びます。たとえばあなたが別れ話を切り出したとき、突然人格が変わったように怒り狂い、暴力的になる。暴力や恫喝で屈服させようとする。
・クレーマーも自己愛性向の一つの表れだといえます。自分は真っ当なサービスを受ける権利があるのに、それが侵害されたとすぐにキレる。
・能力がなくてヤル気がある人間と、能力もヤル気もない人間のどちらかと仕事をしなければならないとしたら、私は迷わず後者を選択します。
・判断のポイントは、まっとうに職務をこなしながら、充実した生活が送れている上司や先輩がいるかどうか。そんな先輩が一人もいないなら、すぐに別の職場を探すことをおすすめします。
・仕事には足し算と掛け算の仕事があります。単純労働などの足し算の仕事では、ある人の仕事がマイナスだとその分が全体からマイナスされるだけで、その分の労働力を補充すれば埋め合わせることができます。一方、チーム全体が協力してプロジェクトを達成するような高度に集約的な仕事になると、一人の失敗で全体がゼロになってしまう可能性がある。これが掛け算の仕事です。
・戦後、日本人は三つの原則に立脚していると考えられます。一つが「生命至上主義」。命より大切なものはないという考え方です。二つ目が、物事を合理的に捉えて行動するという「合理主義」。三つ目が、個性や個人の生き方を尊重し、集団や組織の論理で個を犠牲にする生き方をよしとしない「個人主義」です。
・欧米などは学校は勉強するところ、学問を身につけるところだと明確に定義されており、それ以上のものは求められません。ところが日本の場合は学校教育に人格教育や生活指導などを求めるため、何か不祥事があると学校側の指導や教育が問題視されることもあります。
・欧米と比べると日本のマスコミやジャーナリズムは感情的な反応が先走り、理性的な判断や分析に乏しい。
・私は犯罪を未然に防ぎ、罪人をつくらずにすむ性悪説のほうが、人間性の本質を見極めているという点で、より現実的で優しいシステムだと考えます。
・ちょっとした自己犠牲というのは日常でも多々あるし、それを積み重ねることで大きな結果につながるのだと思われます。たとえば日頃の生活や仕事で、ちょっと自分が損することを実践してみるのです。
・インテリジェンスの世界に「相手の内在論理を知る」という言葉があります。国にしても組織にしても個人にしても、相手と対峙する時にはどのような価値観と判断基準を持っているか、どのような原則で行動しているかを知ることが大切です。
・内在論理を知らないと、相手の言動や態度に過剰に反応したり、逆に反応すべき時にふさわしい対応ができず、関係が不安定なものになってしまいます。
・本当に気をつけなければならないのは、表面上はにこやかで人当たりがよく、自分の話をよく聞いてくれる人だったりします。こちらが気を許して話したさまざまなことが、全部筒抜けになっていた。そんなことが往々にしてあるのです。
・ネズミ講が商品の実体がなく、あったとしても粗悪なまがい物でした。それに対して、ネットワークビジネスには実際の商品があり、その品質も高い。ねずみ講が無限連鎖講であるのに対して、ネットワークビジネスは有限連鎖講です。ねずみ講では入会料が必要なのに対して、ネットワークビジネスに入会料はありません。このような法的な縛りがあるがゆえに、ネットワークビジネスは合法です。
・世の中には、実際に体験して知った時にはもう遅い、アウトだということがいくつかあります。極端な例としては覚醒剤や麻薬。ネットワークビジネスもしかり。その恐ろしさは、実体験ではなく小説や映画などで疑似体験するのが得策です。
・むしろ戦争中の礼儀正しく自己犠牲をいとわない美しい生き方こそ空しい幻影だと喝破する。
・投資で大損するのはどういう人でしょうか? 簡単にいうと「負けを認められない人」です。
・素人が投資でなかなか成果を上げられないのも、精神面の脆弱さがあるからだといわれます。投資では負けを素直に認めて損切りし、仕切り直しをする必要がありますが、それがなかなかできないのです。
・客観性や実証性を無視もしくは軽視して、自分が欲するように世界を認識するような思考を「反知性主義」と呼びますが、今は日本の社会全体がこの「反知性主義」に覆われています。
・一つひとつの選択そのものに、最初から明確な正解や不正解があるわけではありません。問題は、選択した後でそれが正解だったといえるように行動することであり、自分なりの解釈ができるかどうか。つまり、「正解にしてしまう力」があるかどうかが問題なのです。
・正解を求めて選択するのではなく、選択することに意義がある。その選択を正解にする、つまり運命イコール必然と感じられるようにすることが人生である。
・本当に好きなことをやっている人で、食べていけない人は一人もいません。ただし、本当に好きなことに限られます。
・自分は今こういう所にいるんだということを知ること、それがインテリになるということだ。
・小説は自分の心理的な状態を明らかにしてくれるといってよいのではないでしょうか。読んでいて同感するということは、自分を見ることになるのではないでしょうか。
・僕は永遠に誰にもおもねることのできない人間で、神谷さんは、おもねる器量はあるが、それを選択しない人だったのだ。両者には絶対的な差があった。
・今つき合っている相手が自己愛型人間かどうかを見極めるにはどうしたらいいか? それは、自分が本当に困って助けが欲しくて相談したときに、相手がどのように反応するかを見ればわかります。自己愛型人間は自分の都合が最優先ですから、できるだけ面倒なことには巻き込まれないよう、逃げを打とうとします。
・彼らが自分を特別な人間だと思い込み、称賛を求める裏側には、それくらい強く思い込まなければならないほどの自己評価の低さがあります。ただし、これは無意識でのこと。意識上では、この人たちは本気で自分が特別な存在だと思い込んでいます。
・自分の自己像や自己認識を否定しようとする相手に対して、自己愛性パーソナリティ障害の人たちは手段を選びません。激しく抵抗し、非難し、相手の人格を否定しようと躍起になります。
・客観的事実に向き合うことで自分が傷つくくらいなら、その危険を与える対象を抹殺することのほうを選びます。たとえばあなたが別れ話を切り出したとき、突然人格が変わったように怒り狂い、暴力的になる。暴力や恫喝で屈服させようとする。
・クレーマーも自己愛性向の一つの表れだといえます。自分は真っ当なサービスを受ける権利があるのに、それが侵害されたとすぐにキレる。
・能力がなくてヤル気がある人間と、能力もヤル気もない人間のどちらかと仕事をしなければならないとしたら、私は迷わず後者を選択します。
・判断のポイントは、まっとうに職務をこなしながら、充実した生活が送れている上司や先輩がいるかどうか。そんな先輩が一人もいないなら、すぐに別の職場を探すことをおすすめします。
・仕事には足し算と掛け算の仕事があります。単純労働などの足し算の仕事では、ある人の仕事がマイナスだとその分が全体からマイナスされるだけで、その分の労働力を補充すれば埋め合わせることができます。一方、チーム全体が協力してプロジェクトを達成するような高度に集約的な仕事になると、一人の失敗で全体がゼロになってしまう可能性がある。これが掛け算の仕事です。
・戦後、日本人は三つの原則に立脚していると考えられます。一つが「生命至上主義」。命より大切なものはないという考え方です。二つ目が、物事を合理的に捉えて行動するという「合理主義」。三つ目が、個性や個人の生き方を尊重し、集団や組織の論理で個を犠牲にする生き方をよしとしない「個人主義」です。
・欧米などは学校は勉強するところ、学問を身につけるところだと明確に定義されており、それ以上のものは求められません。ところが日本の場合は学校教育に人格教育や生活指導などを求めるため、何か不祥事があると学校側の指導や教育が問題視されることもあります。
・欧米と比べると日本のマスコミやジャーナリズムは感情的な反応が先走り、理性的な判断や分析に乏しい。
・私は犯罪を未然に防ぎ、罪人をつくらずにすむ性悪説のほうが、人間性の本質を見極めているという点で、より現実的で優しいシステムだと考えます。
・ちょっとした自己犠牲というのは日常でも多々あるし、それを積み重ねることで大きな結果につながるのだと思われます。たとえば日頃の生活や仕事で、ちょっと自分が損することを実践してみるのです。
・インテリジェンスの世界に「相手の内在論理を知る」という言葉があります。国にしても組織にしても個人にしても、相手と対峙する時にはどのような価値観と判断基準を持っているか、どのような原則で行動しているかを知ることが大切です。
・内在論理を知らないと、相手の言動や態度に過剰に反応したり、逆に反応すべき時にふさわしい対応ができず、関係が不安定なものになってしまいます。
・本当に気をつけなければならないのは、表面上はにこやかで人当たりがよく、自分の話をよく聞いてくれる人だったりします。こちらが気を許して話したさまざまなことが、全部筒抜けになっていた。そんなことが往々にしてあるのです。
・ネズミ講が商品の実体がなく、あったとしても粗悪なまがい物でした。それに対して、ネットワークビジネスには実際の商品があり、その品質も高い。ねずみ講が無限連鎖講であるのに対して、ネットワークビジネスは有限連鎖講です。ねずみ講では入会料が必要なのに対して、ネットワークビジネスに入会料はありません。このような法的な縛りがあるがゆえに、ネットワークビジネスは合法です。
・世の中には、実際に体験して知った時にはもう遅い、アウトだということがいくつかあります。極端な例としては覚醒剤や麻薬。ネットワークビジネスもしかり。その恐ろしさは、実体験ではなく小説や映画などで疑似体験するのが得策です。
・むしろ戦争中の礼儀正しく自己犠牲をいとわない美しい生き方こそ空しい幻影だと喝破する。
・投資で大損するのはどういう人でしょうか? 簡単にいうと「負けを認められない人」です。
・素人が投資でなかなか成果を上げられないのも、精神面の脆弱さがあるからだといわれます。投資では負けを素直に認めて損切りし、仕切り直しをする必要がありますが、それがなかなかできないのです。
・客観性や実証性を無視もしくは軽視して、自分が欲するように世界を認識するような思考を「反知性主義」と呼びますが、今は日本の社会全体がこの「反知性主義」に覆われています。
・一つひとつの選択そのものに、最初から明確な正解や不正解があるわけではありません。問題は、選択した後でそれが正解だったといえるように行動することであり、自分なりの解釈ができるかどうか。つまり、「正解にしてしまう力」があるかどうかが問題なのです。
・正解を求めて選択するのではなく、選択することに意義がある。その選択を正解にする、つまり運命イコール必然と感じられるようにすることが人生である。
・本当に好きなことをやっている人で、食べていけない人は一人もいません。ただし、本当に好きなことに限られます。
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