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『月夜のサラサーテ』 [☆☆]

・「馬鹿とハサミは使いよう」などというが、ハサミほど使えるなら、馬鹿ではない。

・欲しいものを買えば、欲しくないものが店に残るわけで、店はその客にとっては売れ残り品を飾っている場所になる。

・誰も聞いていない。一番聞いているのは、AIである。AIがデータとして蓄積し、今も学んでいるし、今後も学び続けるだろう。

・なにも無理に新作を出さなくても、過去にある膨大な作品群から、再度選ぶことができる。

・「自分だけが楽しむ」では、現代の若者には「本当の楽しみ」とはならない。みんなで楽しまなければ駄目なのだ。感動を広く共有しなければ、自分が楽しいかどうかもわからない。

・具体的に希望し、抽象的に悲観するのが最悪である。失敗する人、人生が思い通りにいかない人というのは、だいたいこのタイプだ。期待するものが具体的すぎるから、少しずれた時にチャンスが掴めない。抽象的に悲観するから、心配しているわりに、具体的な対処をなにもしていない。

・乗り物を人間が運転する時代は、終わろうとしている。なにしろ、人間という部品が最も信頼性が低い。

・将来的には、乗り物は、誰も乗らないものになる。単なる運搬車として、荷物を運ぶだけの道具になるだろう。

・自分で見つけたものは、それだけで価値を有するということである。感動も同じだ。人から与えられたもの、金で購入した製品、用意されたイベントなどではなく、自身で見つけたものは何倍も大きな感動を生む。

・彼は、自分の意見に合う先生に巡り合うまで、先生たちを次々と訪れることになるかもしれない。適切な助言を求めているのではなく、応援してくれる人を求めているのだ。

・人権というものが認められるようになったのは、つい最近のことで、人間以外のエネルギィを使って生産できるようになったから。

・社会が成り立っているのは、人がそれぞれに違っていて、得意不得意もばらついているためで、個人によって欲しいものと得意な作業が異なっているから、「交換」した方が平均的にみんなが得をする、という原則があるからだ。

・「知識」と「教養」の違いは、量の問題だけではなく、体系化しているか、応用が利くか、そこから生まれるものがあるか、などのアクティビティの差がある。

・「教養」は「資産」と同様に、活用されていれば減ることがない。集めるものではなく、築くものだともいえる。

・友人が亡くなった場合の葬式に、僕は行かない。葬式には、死者がいないからだ。もし、親友の奥さんが亡くなられたら、行くことがあるだろう。葬式は、生者のイベントなのである。

・若さって初めてのことがたくさんあることなんだなあ。



月夜のサラサーテ The cream of the notes 7 (講談社文庫)

月夜のサラサーテ The cream of the notes 7 (講談社文庫)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/12/14
  • メディア: 文庫






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