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『AIに負けない子どもを育てる』 [☆☆]

・近年あまりに理不尽かつ不可解な非難が多くて議論にならない。よほど悪意があるのかと思っていたが、「もしかするとそういう人たちは文章が読めていないのかもしれない」と思い始めた。

・上からは生産性を上げろと言われるが、現場はメールや仕様書の誤読による予期しないトラブル続きで働き方改革どころじゃない。すると能力の高い人材から転職してしまう。一度そのサイクルに陥ると、なかなか立ち直れない。

・「事実について淡々と書かれた短文」を正確に読むことは、実はそう簡単なことではなく、それが読めるかどうかで人生が大きく左右されることを実感することでしょう。

・部分的に切り取られた「○○ができた」という情報に日本人は飛びつき詳細を吟味することなく、本来AIが不得意な分野にまで投資を行ってしまうだろうとの嫌な予感がありました。

・AI万能をいう情報を鵜呑みにすれば、5000円の羽根布団を50万円で買うような羽目に陥ります。

・日本は200年前から際立って識字率が高い国です。けれども、字が読めるだけでは、文章を「読める」わけではありません。

・3歳に達するまでに、高学歴家庭と貧困家庭で育った子供が日常的に聞く語数の差はのべ3000万語に達するとの調査結果もあります。

・語彙の格差は学校教育ではなかなか埋まりません。小学校低学年では、学校よりも家庭で過ごす時間の方が長いので、どうしても家庭の語彙量の差をそのまま反映してしまうからでしょう。

・推論が苦手なのを別なことで無理に補おうとすると、経験値か「空気」(同調圧力)かネット等の情報に頼ることになるでしょう。

・4割の私立大学が定員割れしている中、早めに定員を確保するために、附属中高一貫校を増やすのが昨今の傾向です。

・私立大学にとって入試検定料は需要な収入源になっています。センター入試の結果を送付するだけで、複数の学部を受験することができるとか、1科目だけで受験できるとか多様な受験機会が用意されているのです。

・自分が書いた文章を誤読する人に対しては「読解力がない」と嘲笑し、自分が読めない文章は「読みにくい文章」と非難する。これでは、議論がかみ合うはずもありません。

・小学校には「1、2年生しか受け持ちたくない」と言い張る先生が相当数います。

・教員もRSTを受験したある自治体が結果を分析したところ、1、2年生しか受け持たない先生の能力値が低かったというのです。高学年の教科書や、教員用の指導書を正確に読めないので、高学年を受け持つ自信がないのでしょう。

・教員がよかれと思ってプリント作りに精を出した結果、プリントに頼り、ノートが取れず、教科書が読めない生徒を増やした可能性があります。

・「入試が暗記を求めるから、暗記をする」のではありません。「入試は読解力を求めているのに、読解力が不足している人は(AIと同じように)暗記に走らざるを得ない」というのが事の真相ではないでしょうか。

・日本の社会では、多数決が幅を利かせています。「みんながそう思うならそれが正しい」という考えです。

・1970年代には、2BやBは低学年が使うものでした。書く量が増え、筆圧が上がると、HBに変えます。高学年になるとHを使う生徒もいました。2BやBではすぐに鉛筆の先が丸くなってしまい、6時間の授業のノートを書ききることができないからです。

・「一人も置き去りにしない」ために、書く速度が遅い生徒に合わせたプリントやワークシート類、情報化を推進するための電子黒板が、ノートを取れないまま卒業する小学生を大量に生んでいたのです。そして、彼らはそのままノートを取れない高校生や大学生になったのです。

・テクノロジーによって人がある種のスキルを失うとき、その喪失は社会現象として一気に起こります。しかも元に戻すことができないので、テクノロジー導入前後の能力比較をすることが難しいのです。

・スマートフォンの普及は、幼児が接する大人たちがSNSやゲームに集中する時間を増やし、大人同士の会話を聞く時間や自分に話しかけてくれる時間を劇的に減らしました。それが子供たちから「何らかの力」を急速に奪いつつある、と考えるのが妥当でしょう。

・人間がコンピュータと本質的に異なり、そして優れている点は、「意味が(なぜか)わかること」と「欲求があること」と「全力で怠けようとする」というところではないかと思います。

・怠ける天才だからこそ、人類は遠い川から水を運ぶのではなく、井戸を掘る技術を発明し、それでも飽きたらず水道を引きました。怠けたいから文明は発達したのです。

・抽象概念を理解し、操作(推論)することは、多くの生徒にとって暗記やキーワード検索よりも面倒くさく、難しいものです。だからこそ、抽象概念を操作することから彼らが逃避しないように、中学卒業まで心がけてやる必要があります。

・「走れメロス」に感動させる前に、ふつうの文章を正確に読めるようにしてほしい。

・1987年から2004年生まれの若者は「ゆとり世代」と呼ばれたりします。

・ジェンダー論には「隠れたカリキュラム」という概念があります。正規のカリキュラムのどこにも書かれていないのに、既存の制度や教師の行動などを通して暗黙のうちに教え込まれるものがあるという議論です。

・自分が「わかった」「できる」ところまでは、まだ半わかりに過ぎません。わからない人がわかるように説明できたときに、初めて「わかった」なのです。

・繰り返し読み聞かせをしてあげてほしい。大人にとって繰り返しは往々にして苦痛だが、幼児にとっては繰り返しが楽しい。

・スーパーサイエンスハイスクールの生徒や有名大学の理系学生でも、科学のレポートで「~と思いました」を平気で連発することは珍しくない。まず小学校で「見たことを正確に文章にする」ことを指導することが大切だ。

・前提条件を共有している他社に対して甘えや反抗が出始める時期。たとえば、「先生、紙」「あり得ないし」など、わざと説明を省いて相手(教員や保護者)を自分の要求通りに動かそうとすることがある。

・4年生に入るころになると、学力に差が生じやすくなります。それは、主観から客観へ、絶対から相対へ、具体から抽象へとジャンプが必要になるためです。これらは日常生活ではなかなか身につかず、「言葉」と「論理」を通じて獲得する以外にはありません。ここで、ドリル・暗記型になるか、論理で考えられえるかで、中学受験や中学入学後に、後から縮めることが難しい学力差が生じます。

・都内で「私立御三家」と呼ばれている開成、麻布、武蔵出身のノーベル賞受賞者は、いません。

・基礎的・汎用的読解力があれば、自学自習することができます。言い換えれば、「進学したい」と願い、経済状態または奨学金がそれを許すならば、教科書と代表的な問題集と参考書、そして5年分の過去問題集だけを手に入れれば、予備校などに通わなくても旧帝大程度は入れるように学校教育は設計されているのです。

・親の年収が1500万円を超え、「就学援助」とか「無母語児」に接したことがなく、最も近いコンビニまで10キロ以上あり、過疎のため鉄道が廃止された地域など見たことも聞いたこともないようなエリート集団に、この国の複雑な課題を解決できる気がしません。

・「自学自習することができる基礎的・汎用読解力」さえ中学卒業までに身につければ、あとはまさに生徒一人ひとりの自由意思で進路を決めることができます。それこそが達成されるべき、フェアで民主的な教育です。

・読解力が高い人は、物心ついたときにはすでに読解力が高いので、「読めない状態」がどういうものか、実はよくわかっていません。どうしてそうなっているかもわかりません。加えて、「なぜ自分は読めるのか」という理由もわからないのです。

・読解力向上セミナーは、「読めない状態がどういう状態かわからない」講師が、「読める状態がどのような状態かわからない」受講者に対して、「どうすれば読めるようになるのか」の明確な記憶がないままに、行われることになります。だから効果がないのです。

・私は、彼がどうして「うまく読めないのか、うまく発表できないのか」の原因を取り除くことを考えずに、自分の「読む・書く・発表する」を彼に開陳して、感心させていたに過ぎなかった。

・ある高校生は「中学3年生のときに、教科書をノートに要約する、ということを毎日やったら、偏差値が10上がった」という経験を教えてくれました。

・人間の脳は不思議で、あることができるようになると、できなかったときになぜできなかったかを正確に思い出すことができません。



AIに負けない子どもを育てる

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  • 作者: 紀子, 新井
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2019/09/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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