SSブログ

『東京ディストピア日記』 [☆☆]

・歴史には、正史(国家による歴史)と、稗史(我々庶民の日々の歴史)があるという。

・小泉進次郎環境相は、感染リスクの高いゴミ清掃員を元気づけるため、ゴミ袋に「ありがとう」などの感謝メッセージを書くことを推奨している。……わたしは、フェイクニュースかと思って確認し、本当のことで、驚いた。

・「他者の困窮を自分の幸福として語ることができる」のは、「自分さえ無事なら他の人のことはいい」ということであり、これは失言ではなく、人間という存在への考え方そのものの問題だったと思う。

・自分は、ときどきくる客というモブの一人に過ぎない。

・エタノール99%の消毒液をみつけた。「えっ、99%……? それもう火炎瓶じゃね?」と一瞬思った。

・コロナに感染したのは「本人の責任」と考える人は、欧米などと比べ、日本で突出して多いらしい。そもそも日本では、不運は自業自得だと判断する傾向がやけに強いのだという。

・沈黙は差別への加担と同じ。

・コロナ前は、季節ごとのテーマによって色が変わって楽しかったのに、ここしばらくはパターンが同じなので、「まるで昨日と同じ今日を繰りかえしてるみたい。明日がこないみたい……」と、見るたびに追い詰められる気持ちになっていた。だから、昨夜、ツリーが見慣れぬ赤紫色に光っているのを見て、「いやっほーう!」と思った。

・「信じたいことを、証拠なしに強引に信じ、大声で言い張り続ける」精神……つまりトランプイズムじゃないだろうか?

・「世界は二分されていくが、わたしは理性の側にいるはずだ」という自負が、揺らいでいく。

・世界各国で、感染者も、犠牲となられた方も、男性の方が多いのに対し、インドでは、感染者は男性が多いのに、犠牲となられる方は女性の方が多い。約百年前のスペイン風邪大流行のときも同様だった。これには根深いジェンダーの問題があると考えられている。

・マスクをするかどうかは、やはり、世界の「分断」の象徴のように、私には思えている。「自分さえよければ他の人のことはまぁいい」「個人の自由や利益の方が大事」であればマスクをしない。一方「公共の利益を考える」なら、誰かの命を守るためにマスクをするのだ。

・大人である自分に今できるのはもう「平気なふり」をし続けることだけだったから。

・迷彩柄のキャップ、サングラス、黒マスクの完全防備で外に出かけている。不思議なことに、この扮装だと、男性の通行人は、こちらが意外に思うほどしっかり避けていく。電車内でも、いままでみたいにやけに近くに立ったりしなくなった。

・世界全体が「自分と身内さえよければ他の人のことはどうでもいい」という考えの人と、「いや皆のことを考えよう。社会正義が大切だ」と信じ続ける人とに、ますます二分されていっているように思った。

・世の中にゃ、変えていかなきゃいけない問題がたくさんあるが、他に選択肢がなくなり、もう変わるしかなくなっちまうまで、人間ってのはなかなか変われないもんだよなぁ。

・分断されていく世界で、いま、わたしたちは、どちら側の、どんな人間なんですか……?

・年齢も多様性の一つで、どっちがどうということはないのに。生きてきた時間の長さではなく、個人の経験、知性、戦ってきた歴史にこそ、お互いリスペクトするべきなのだ。

・トランプ大統領が「負けていない」「選挙に不正があった」と証拠を提示しないまま支持者を扇動し続けるという衝撃的な報道が続いているところなので、大阪府の都構想住民投票や愛知県の知事リコール署名運動も、「信じたいものを信じる。時に結果を捏造せんとすることもある」という部分で、わたしには重なって感じられた。

・町を歩き、テナント募集の張り紙をみつけるたび、ふと立ち止まるが、ここになんの店があったのかもう思い出せない。

・付けっ放しのテレビからふいに耳に飛びこむ、イジリや、人の尊厳を地の落として嗤う言葉が辛くなってきて、テレビをクローゼットの奥にしまい、やがて友達にあげたのだ。

・私は旧東ドイツで生まれ育ち、物理学を専攻した。社会主義国がいかに事実を捻じ曲げようと、重力や光の速度などの法則を変えることは決してできないからだ。

・さっきのは、被害者の訴えを根拠なく否定する「二次加害」だったのでは。



東京ディストピア日記

東京ディストピア日記

  • 作者: 桜庭一樹
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2021/04/24
  • メディア: 単行本



タグ:桜庭一樹
nice!(0) 
共通テーマ:

nice! 0