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『静かに生きて考える』

・「人並み」とは他者の目を気にした結果だ。他者を気にする人は、人並みになる。

・手を入れて、修理をして、機械が自分の思い通りに機能することが、人に喜びを感じさせるのは、やはり、「自分の思い通り」という「自由」の定義と一致している。

・飛行機や自動車のボディの色や模様を変えても、性能に影響はない。そういったものは「デザイン」ではない。機能を改善する試みこそがデザインなのだ。人生デザイン(つまり人生設計)でも同様、色や模様を変えるようなファッションではない。

・意味は通じても、気持ちは通じない。

・過去を語る人たちには、「で、今は何をしているの?」と尋ねたくなってしまう。

・誰にも理由はわからない。今のところ解決策がない。そういう状況こそが、人間の能力を投じる対象であって、それこそが、毎日の楽しみである。

・ついこの前まで、誰もが意識せずに使っていた沢山の表現が、公の場では発言できない。このような「言葉狩り」は、いうなれば簡単で安上がりな手法だ。言葉を制限すれば、人々の意識が変わる。

・一所懸命写真を撮って、この日時に、この場所に私はいました。誰某と一緒でした、といった作られた思い出というのは、ずばりいうと、「アリバイ」だ。「あなたは孤独なのではありませんか?」と刑事に追及されたときに、「そんなはずはない、この写真を見て下さい」と提示するためのアリバイである。

・言葉を覚えて知ったつもりになる

・ちなみに、「探偵」という英語がないのをご存じだろうか? ディテクティブもインスペクタも、警察の役職(つまり刑事)である。

・知るとは、知らないことを増やすこと

・知らないことが馬鹿なのではない。知ろうとしないことが本当の馬鹿である。

・人々は貧しいし、力がないから、働かざるをえない立場だった。労働は貧しさと非力の象徴だったのだ。労働者が偉いという思想は、つい最近になって生まれたもので、社会主義や共産主義の要といえる。それでもやはり一番偉いのは、統治する者であることは、共産主義の国々を見れば歴然だろう。

・発想というのは、「着眼」から生まれる。どこに目をつけるのか。何を見るのか。できるだけ広く見回し、なるべき沢山のものを見る。関係のないものでも目をつける。そうするうちに、ふと気づくことができる。これが「発想」である。

・自分の視点しか持っていない人、自分の気持ちしか考えない人は、新たな「発想」ができない。他者の視点、他者の気持ちを想定すること、つまり、より高い視点に立つことで、新しいものに着眼できる。

・腹が立つような体験も、誰かに教えて、その人たちにも怒ってもらいたい。みんなで一緒に怒ってほしい。そうしないと、自分が怒って良いのかどうか不安だ。「皆さんはどう思いますか?」と問いかけないと、怒るべきなのか、それとも、我慢をしなければならないのか、判断できない。このような思考、行動をする人が、最近増えているように観察できる。

・音楽だって、ダンスだって、馬鹿馬鹿しいな、つまらないことをしているな、と感じる人がいる。でも、そういうものが存在することを否定することは正しくない。「好きな人はやれば」と微笑むのが正しい。

・ただ会話がしたいというだけで質問しているのだろう。ネットでも、このような意味のない問いかけが散見される。個人もそうだし、記事を書く人たちも、マスコミも、新聞も、本気で疑問を投げかけているのではなく、ただ、話題を提供している程度の意味しかない「問い」でいっぱいだ。



静かに生きて考える Thinking in Calm Life

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