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『宇宙人のための せんりゅう入門』

・自分の考えを思った通りに書くことを自由だと考えるなら、たしかに音数の制限は不自由だと感じられるかもしれないね。でも自分の考えたことしか書けないなんて不自由だって考え方もあるじゃない?

・自由詩は、必ず行分けをしなくちゃいけないの? 行分けをしないで普通の文章みたいに書く詩は「散文詩」って呼ばれるよ。

・恋愛感情がない人のことを「アロマンティック」って言うんでしょ。

・社会の「普通」を書くのが「サラ川」、「普通から外れるあり方」を書くのが現代川柳。

・きれいになるのはいいけどさ、自分が「人の目を楽しませるための存在」になっちゃうのは怖くない?

・「兄弟は仲良く」「夕飯は父、母、子どもが揃って食べるもの」みたいな観念はそれに当てはまらない人たちを苦しめるものにもなり得るんだ。

・だめじゃないけど、川柳は基本的に「口語」で書くものなんだ。

・「人でないもの」が、「人間の自然な感情」以外のものを歌っている。ボーカロイドが持つある種の「不自然さ」がわたしにとっては魅力的だったんだよね。

・映画の冒頭に「われは傷口にして刃、いけにえにして刑吏」っていうボードレールの『悪の華』の一節が掲げられているのをみて、正反対の言葉を強引に結びつけてしまう「にして」の魅力に憑りつかれたんだ。

・新しい芸術は「前の時代への反発」を原動力として生まれる。川柳も例外ではなくて、今の現代川柳は時実的な「想い」を書く川柳への反発の上に成り立っているところがある。

・自分の作品のことは自分が一番よくわかってるって思いがちだけど、本当は全然そんなことないんだよね。他の人に読んでもらってはじめてわかることがたくさんあるから、そのためにも本のかたちにしておくことが大事だと思うんだ。

・「祭」という季語には「人が多い」とか「花火を見る」という情報があらかじめ入ってる。だから祭を詠む時に「人混み」とか「花火」について書く必要はない。この「あらかじめ入ってる」っていう感覚が季語の肝なんじゃないかな。

・句を耳で聞く方式の句会では、意外性のある言葉を最後に置く方がオーディエンスの驚きが大きい、つまりリアクションがいいってことになる。必然的に、オチが最後にくる句が好んで書かれるようになったんだって。

・頭痛や肩こりって、たぶん人によって感じ方が違うじゃない? 「自分と全く同じ頭痛や肩こりに悩まされている人」なんていない。言葉もそれと同じで、「自分と全く同じように言葉を体験している人」もいないんだよ。

・わたしが「自分の声」と思っているものは、もとは「一人前になるまで文句を言うな」「結果が伴わなければ負け犬の遠吠えだ」っていう「世間の声」だったのかもしれない。

・十七音書くのと、一音も書かないのとではその後に起こることが全く変わってくるからね。

・わたしが25点しか取れなかったテストで「ぜんぜん勉強してない」って言ってる子が90点を取るのを見て、「ぜんぜん勉強してない」という言葉はもうわたしのためには残されていないだ、わたしが使える言葉はもうないんだってショックを受けたんだ。

・絵はそれこそ努力と上達の世界だし、他の人が描いたすばらしい絵が何もしなくても視界に入ってくるから、「わたしがやっても無駄かも」って思っちゃったんだよね。

・自分ができるとわかっていることを続けるのはそんなに難しくなかったよ。



宇宙人のためのせんりゅう入門

宇宙人のためのせんりゅう入門

  • 作者: 暮田真名
  • 出版社/メーカー: 左右社
  • 発売日: 2023/12/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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