『日本人にリベラリズムは必要ない。』 [☆☆]
・旧マルキストにとって、敵は「資本主義」、新マルキストにとって敵は「西洋文明」。勝利の大前提は、西洋人がキリスト教精神を捨て去ること。
・どうすれば疎外はなくなるのでしょうか。フランクフルト学派はまず、「社会をつくりあげてきた伝統的な文化を否定する」ということから始めました。文化を否定して破壊すれば、社会は壊滅します。社会が壊滅すれば、疎外の原因はなくなります。
・リベラルは、一見普遍的な思想のように見え、一般的には良いものとして考えられがちですが、実はユダヤ人にとっての「監視から逃れたい。追放されるという不安から解放されたい」という「願望」の表れにすぎません。
・「革命」という言葉を口にするのも憚れるくらい、資本主義社会は安定してしまいました。隠れマルクス主義にとっては、文化に対する批判のみが残された道です。
・リベラルは、「理想化された未来にのみ意味がある」とする思想であるために、常に現在と過去を否定し、私たちが常識として感じる伝統と文化は「無価値である」と言い募ります。
・「伝統文化」を研究しようとすると、「権威主義」あるいは「エリート主義」といった言い方で批判を受けます。
・いわゆる「言語」のことを、日本では「言葉」と言います。「言」の「葉」です。要するに、「葉っぱ」、葉っぱにすぎない――。言語を信用するのが西洋(欧米)で、基本的に言語を信用しないのが日本なのです。
・九条があることによって、日本国憲法は「左翼暴力革命」を遂行しやすくするための装置となっています。
・美術は思想を先駆します。美術に出てきたことが、次に言語の思想になって現れます。たとえば、印象派の絵画は「神は死んだ」というニーチェの言葉に先駆しています。
・印象派とは何かと言えば、「あらゆるキリスト教的主題や神話的主題、つまり伝統文化における主題の否定と削除」に特徴を持つ絵画の潮流です。結果として印象派が何を描くかというと「風景」を描きます。人物も「形だけ」になります。
・印象派が描くのは「意味のない」絵画のみです。同じような風景、雪景色、太陽……。『睡蓮』連作のクロード・モネなどはその代表格でしょう。
・ピカソは、「意味」だけではなく、遠近法や陰影法など、過去の絵画が積み上げてきたあらゆるトラディショナルな手法、描き方を拒否しました。
・リベラリストとは、姿を隠したマルキストのことです。単純にマルキストと言うと、あまりにも過去のものになりすぎたと思われるので、リベラリストと言い換えているに過ぎません。
・「つくる」が西洋の論理で、「なる」が日本の論理です。「いつのまにか、なる文化」が日本の文化であり、「主体性がない文化である」という考え方をするわけです。
・日本の思想の根本は、「自然道」です。なにごとも自然に「なる」、「なっていく」というのが最も正しいという理論です。
・革命軍の鎮圧軍となるべき軍隊は持たないとした日本国憲法だけは残りました。
・自由については「もともと備わっているのだから、それを野放しにして勝手なことをしてはいけない。わがままに振る舞って他人のことを考えない状態になるのはよくない」と日本人は考えてきたのです。
・カントやヘーゲルなど、啓蒙主義時代の頃の思想家が使った自由という言葉は、「キリスト教の考え方から解放される」ことを意味する自由です。
・宇宙についてのことなど、わからないことばかりです。日本人にとっては、「そのわからなさが神であり、神だからこそわからない」と考えます。その神を畏怖するのです。
・日本の思想は、西洋の思想とは全く異なる基軸の上に立っています。その違いを「遅れ」ととり、西洋の思想をただひたすら正しいと思い込むのは間違っています。
・皆、西洋が優れていると思ったり、中国がいいと言ったりします。なぜかと言えば、それらの国々は人工国家であるために、虚構を作り出すための言葉や思想が豊富に用意されているからです。
・20世紀は終わり、「否定の時代」は終わり、21世紀は伝統文化の「肯定の時代」です。これからすべきことは、明らかに、過去の文化の再確認と再評価と再発見です。これによって未来が生まれます。
・西洋では、「労働者解放」のための、マルクス主義の本が、もっとも難解な書物となっています。インテリのためだけの書物として出版され、一般大衆は読めない。
・どうすれば疎外はなくなるのでしょうか。フランクフルト学派はまず、「社会をつくりあげてきた伝統的な文化を否定する」ということから始めました。文化を否定して破壊すれば、社会は壊滅します。社会が壊滅すれば、疎外の原因はなくなります。
・リベラルは、一見普遍的な思想のように見え、一般的には良いものとして考えられがちですが、実はユダヤ人にとっての「監視から逃れたい。追放されるという不安から解放されたい」という「願望」の表れにすぎません。
・「革命」という言葉を口にするのも憚れるくらい、資本主義社会は安定してしまいました。隠れマルクス主義にとっては、文化に対する批判のみが残された道です。
・リベラルは、「理想化された未来にのみ意味がある」とする思想であるために、常に現在と過去を否定し、私たちが常識として感じる伝統と文化は「無価値である」と言い募ります。
・「伝統文化」を研究しようとすると、「権威主義」あるいは「エリート主義」といった言い方で批判を受けます。
・いわゆる「言語」のことを、日本では「言葉」と言います。「言」の「葉」です。要するに、「葉っぱ」、葉っぱにすぎない――。言語を信用するのが西洋(欧米)で、基本的に言語を信用しないのが日本なのです。
・九条があることによって、日本国憲法は「左翼暴力革命」を遂行しやすくするための装置となっています。
・美術は思想を先駆します。美術に出てきたことが、次に言語の思想になって現れます。たとえば、印象派の絵画は「神は死んだ」というニーチェの言葉に先駆しています。
・印象派とは何かと言えば、「あらゆるキリスト教的主題や神話的主題、つまり伝統文化における主題の否定と削除」に特徴を持つ絵画の潮流です。結果として印象派が何を描くかというと「風景」を描きます。人物も「形だけ」になります。
・印象派が描くのは「意味のない」絵画のみです。同じような風景、雪景色、太陽……。『睡蓮』連作のクロード・モネなどはその代表格でしょう。
・ピカソは、「意味」だけではなく、遠近法や陰影法など、過去の絵画が積み上げてきたあらゆるトラディショナルな手法、描き方を拒否しました。
・リベラリストとは、姿を隠したマルキストのことです。単純にマルキストと言うと、あまりにも過去のものになりすぎたと思われるので、リベラリストと言い換えているに過ぎません。
・「つくる」が西洋の論理で、「なる」が日本の論理です。「いつのまにか、なる文化」が日本の文化であり、「主体性がない文化である」という考え方をするわけです。
・日本の思想の根本は、「自然道」です。なにごとも自然に「なる」、「なっていく」というのが最も正しいという理論です。
・革命軍の鎮圧軍となるべき軍隊は持たないとした日本国憲法だけは残りました。
・自由については「もともと備わっているのだから、それを野放しにして勝手なことをしてはいけない。わがままに振る舞って他人のことを考えない状態になるのはよくない」と日本人は考えてきたのです。
・カントやヘーゲルなど、啓蒙主義時代の頃の思想家が使った自由という言葉は、「キリスト教の考え方から解放される」ことを意味する自由です。
・宇宙についてのことなど、わからないことばかりです。日本人にとっては、「そのわからなさが神であり、神だからこそわからない」と考えます。その神を畏怖するのです。
・日本の思想は、西洋の思想とは全く異なる基軸の上に立っています。その違いを「遅れ」ととり、西洋の思想をただひたすら正しいと思い込むのは間違っています。
・皆、西洋が優れていると思ったり、中国がいいと言ったりします。なぜかと言えば、それらの国々は人工国家であるために、虚構を作り出すための言葉や思想が豊富に用意されているからです。
・20世紀は終わり、「否定の時代」は終わり、21世紀は伝統文化の「肯定の時代」です。これからすべきことは、明らかに、過去の文化の再確認と再評価と再発見です。これによって未来が生まれます。
・西洋では、「労働者解放」のための、マルクス主義の本が、もっとも難解な書物となっています。インテリのためだけの書物として出版され、一般大衆は読めない。
日本人にリベラリズムは必要ない。 「リベラル」という破壊思想 (ワニの本)
- 出版社/メーカー: ベストセラーズ
- 発売日: 2017/04/26
- メディア: Kindle版
タグ:田中英道
『鬼谷子 100%安全圏から、自分より強い者を言葉で動かす技術』 [☆☆]
・相手の言い分を完膚なきまでに論破しておいて、その後でその言い分のある部分について、肯定して持ち上げれば、相手はその褒められたものに執着し始めます。
・人の欲しないことを人に強いてはいけない、人の知らないことで人に教えてはいけない。人は好むところがあれば、学んでこれに従うし、嫌うところがあれば、避けてこれを遠ざけるようになるものである。
・いつの時代も、道徳は言葉で人を動かす際の原動力として、非常に便利なのです。
・自分の心の反応パターンをしっかりと把握できていなければ、他人の心はわからない。
・言葉から他人の心をどれだけはかれるかは、自分の心を把握する緻密さによるのです。
・人の欲しないことを人に強いてはいけない、人の知らないことで人に教えてはいけない。人は好むところがあれば、学んでこれに従うし、嫌うところがあれば、避けてこれを遠ざけるようになるものである。
・いつの時代も、道徳は言葉で人を動かす際の原動力として、非常に便利なのです。
・自分の心の反応パターンをしっかりと把握できていなければ、他人の心はわからない。
・言葉から他人の心をどれだけはかれるかは、自分の心を把握する緻密さによるのです。
鬼谷子: 100%安全圏から、自分より強い者を言葉で動かす技術
- 作者: 高橋 健太郎
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2016/01/15
- メディア: 単行本
鬼谷子:100%安全圏から、自分より強い者を言葉で動かす技術
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2016/01/15
- メディア: Kindle版
タグ:高橋健太郎
『「文系バカ」が、日本をダメにする』 [☆☆]
・彼らは専門バカにもなれない単なるバカだと思っていた。
・これからの時代は、知的に見える仕事でも、定型的な業務は、どんどんAIに置き換わっていく。
・数学の世界では、本を読まなければ考えられない人は数学者にはなれない、と言われている。先生から教えてもらわなければいけない人も数学者にはなれない。
・AI、ビットコイン、保険、年金、マクロ経済など、世の中には、数学が基盤になって動いている分野は多い。ところが、マスコミの人たちのほとんどは文系出身者ばかりで、数学的思考や数理的発想や技術的なことを理解していないから、そうした事象についてきちんと一般大衆に伝えられない。そのために、あまりにもレベルの低い報道が多すぎる。
・数学オリンピックは大学レベルの以上の問題だ。中学生にその存在を教えると、飛び級を認めるような格好になるから、「悪平等」教育が好きな日教組全盛の時代には、学校の先生が参加を勧めることはできなかったのだろう。
・「半日、この問題を考えていろ」と言われたら、普通の人はみなギブアップしてしまうだろうが、数学好きの人間には、それが面白い。長時間ズーッと考え続けるのが、数学の醍醐味だ。
・一生懸命に勉強して、いい大学に入ったという人は「神童」と言うより普通の「秀才」ではないかと思う。
・社会や国語など文系科目は、あまり差がつかない科目だ。平均点に近いところに得点が集中している。それに対して、理系科目はできる人とできない人では大きく点数が開く。
・単なるバカより専門バカの方がいい。
・法学部出身の人たちは、なぜ郵貯シフトが起こっているのか理解できていないので、「こんな変な現象が起こるのは、郵貯というものの存在自体がおかしいんだ」と言って、郵貯を廃止すべきとまで単細胞的に主張していた。
・「AIで起こりうること」というのは、すべて「プログラム化できるかどうか」という点に還元することができる。プログラム化できることは、AIによって起こりうる。プログラム化できないものは、AIを使っても起こりえない。
・失業率の下限(NAIRU)は計算することができる。国によって違いはあるが、日本の場合は、失業率の下限は2.5%くらいだ。失業率が2.5%になったときに一番低いインフレ率を計算すると2%となる。日本のインフレ目標が2%になっているのは、NAIRUのときのインフレ率が2%だからだ。
・登記、戸籍・住民票、年金記録など、役所には台帳で管理するものが多々ある。ブロックチェーン技術を役所の台帳に使えばメリットは計り知れないほど大きい。
・そもそも、脂ののった60歳までに数千万しか貯められなかった人が、その後の人生で何千万円も増やせると思うほうがおかしい。
・日本の保険分野になぜ外資がたくさん入ってきているかと言えば、日本人はカモだと思っているからだ。日本人は、保険の手数料にパーセンテージすらセールスレディに聞こうとしない。何十パーセントも手数料を取れて儲かるので、外資が参入してくるのだ。
・本来、財政というのはバランスシートで考えないといけない。負債と資産のバランスで見なければ財政のことはわからない。だが、財務省は、国の財政を語る時に、資産の話をせずに借金の話ばかりする。日経の記者は、財務省の言いなりに借金のことしか報道しない。
・マスコミの記者たちは「誰がこう言った」という話をつないでいってストーリーを作るのが好きだ。だが、そもそも本当のことを知らない人に取材しているのだから、そんなつぎはぎだらけのストーリーには何の信憑性もない。
・豊洲の地下水が「環境基準」を満たしていない、と騒がれた。「環境基準」と「安全基準」は違うものだ。本来はこの違いをマスコミが指摘すべきだったが、化学物質の話だったから、経済問題同様、文系記者はお手上げだった。
・左派の人たちは「株価が上がると、資本家が儲かって、労働者が損をする」と信じ込んでいる。「資本家と労働者の利害が対立する」というマルクス経済学のイデオロギーから抜け出せないのだ。
・理系人間は、どんなときでも、与えられた条件の中で一番いい解をみつけようとしてしまう。
・文系発想の人は、白紙に描くことは得意だと思うが、それにこだわってしまう。条件が変わっているのに、条件を考慮しないで、白紙に描いた絵しか見ない。
・文系発想の人は、条件を無視して「こうすべきだ」と主張したり、「増税反対」「金融緩和」などと一方的に主張し続けることがある。
・社会の中では、学歴は決定的な要因ではないということである。大学入学時点のちょっとした差などは、人生の中では「誤差」みたいなものだ。
・誰にでも、得手不得手があるのだから、それを一々「平等に」などと言っていたら、わけのわからない話になる。
・スポーツの分野でも、オリンピックに出るような子は、学校の外の専門的なところで能力を伸ばしている。と競争で手をつないで一緒にゴールさせるような世界に閉じ込めておいては、せっかくの能力をつぶしてしまう。
・これからの時代は、知的に見える仕事でも、定型的な業務は、どんどんAIに置き換わっていく。
・数学の世界では、本を読まなければ考えられない人は数学者にはなれない、と言われている。先生から教えてもらわなければいけない人も数学者にはなれない。
・AI、ビットコイン、保険、年金、マクロ経済など、世の中には、数学が基盤になって動いている分野は多い。ところが、マスコミの人たちのほとんどは文系出身者ばかりで、数学的思考や数理的発想や技術的なことを理解していないから、そうした事象についてきちんと一般大衆に伝えられない。そのために、あまりにもレベルの低い報道が多すぎる。
・数学オリンピックは大学レベルの以上の問題だ。中学生にその存在を教えると、飛び級を認めるような格好になるから、「悪平等」教育が好きな日教組全盛の時代には、学校の先生が参加を勧めることはできなかったのだろう。
・「半日、この問題を考えていろ」と言われたら、普通の人はみなギブアップしてしまうだろうが、数学好きの人間には、それが面白い。長時間ズーッと考え続けるのが、数学の醍醐味だ。
・一生懸命に勉強して、いい大学に入ったという人は「神童」と言うより普通の「秀才」ではないかと思う。
・社会や国語など文系科目は、あまり差がつかない科目だ。平均点に近いところに得点が集中している。それに対して、理系科目はできる人とできない人では大きく点数が開く。
・単なるバカより専門バカの方がいい。
・法学部出身の人たちは、なぜ郵貯シフトが起こっているのか理解できていないので、「こんな変な現象が起こるのは、郵貯というものの存在自体がおかしいんだ」と言って、郵貯を廃止すべきとまで単細胞的に主張していた。
・「AIで起こりうること」というのは、すべて「プログラム化できるかどうか」という点に還元することができる。プログラム化できることは、AIによって起こりうる。プログラム化できないものは、AIを使っても起こりえない。
・失業率の下限(NAIRU)は計算することができる。国によって違いはあるが、日本の場合は、失業率の下限は2.5%くらいだ。失業率が2.5%になったときに一番低いインフレ率を計算すると2%となる。日本のインフレ目標が2%になっているのは、NAIRUのときのインフレ率が2%だからだ。
・登記、戸籍・住民票、年金記録など、役所には台帳で管理するものが多々ある。ブロックチェーン技術を役所の台帳に使えばメリットは計り知れないほど大きい。
・そもそも、脂ののった60歳までに数千万しか貯められなかった人が、その後の人生で何千万円も増やせると思うほうがおかしい。
・日本の保険分野になぜ外資がたくさん入ってきているかと言えば、日本人はカモだと思っているからだ。日本人は、保険の手数料にパーセンテージすらセールスレディに聞こうとしない。何十パーセントも手数料を取れて儲かるので、外資が参入してくるのだ。
・本来、財政というのはバランスシートで考えないといけない。負債と資産のバランスで見なければ財政のことはわからない。だが、財務省は、国の財政を語る時に、資産の話をせずに借金の話ばかりする。日経の記者は、財務省の言いなりに借金のことしか報道しない。
・マスコミの記者たちは「誰がこう言った」という話をつないでいってストーリーを作るのが好きだ。だが、そもそも本当のことを知らない人に取材しているのだから、そんなつぎはぎだらけのストーリーには何の信憑性もない。
・豊洲の地下水が「環境基準」を満たしていない、と騒がれた。「環境基準」と「安全基準」は違うものだ。本来はこの違いをマスコミが指摘すべきだったが、化学物質の話だったから、経済問題同様、文系記者はお手上げだった。
・左派の人たちは「株価が上がると、資本家が儲かって、労働者が損をする」と信じ込んでいる。「資本家と労働者の利害が対立する」というマルクス経済学のイデオロギーから抜け出せないのだ。
・理系人間は、どんなときでも、与えられた条件の中で一番いい解をみつけようとしてしまう。
・文系発想の人は、白紙に描くことは得意だと思うが、それにこだわってしまう。条件が変わっているのに、条件を考慮しないで、白紙に描いた絵しか見ない。
・文系発想の人は、条件を無視して「こうすべきだ」と主張したり、「増税反対」「金融緩和」などと一方的に主張し続けることがある。
・社会の中では、学歴は決定的な要因ではないということである。大学入学時点のちょっとした差などは、人生の中では「誤差」みたいなものだ。
・誰にでも、得手不得手があるのだから、それを一々「平等に」などと言っていたら、わけのわからない話になる。
・スポーツの分野でも、オリンピックに出るような子は、学校の外の専門的なところで能力を伸ばしている。と競争で手をつないで一緒にゴールさせるような世界に閉じ込めておいては、せっかくの能力をつぶしてしまう。
「文系バカ」が、日本をダメにする -なれど"数学バカ"が国難を救うか (WAC BUNKO)
- 作者: 高橋 洋一
- 出版社/メーカー: ワック
- 発売日: 2018/05/19
- メディア: 新書
「文系バカ」が、日本をダメにする -なれど“数学バカ”が国難を救うか
- 出版社/メーカー: ワック
- 発売日: 2018/05/17
- メディア: Kindle版
タグ:高橋洋一