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『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』 [☆☆]

・203高地を攻撃する決死隊の白襷隊の一員だった。夜間、白い襷を肩からかけて、高地の斜面を登り、敵陣地を強襲しようという部隊だった。だが、白い襷は、夜の闇の中でかえって目標になった。決死隊の白襷隊は全滅に近い悲劇にあった。

・特攻隊は神様なんだ。その神様を人間扱いにしヒボウするとはけしからん。それが分からんとは、貴様は非国民だぞ!

・特攻隊の全員が志願なら、自分たち上官の責任は免除されます。が、命令ならば、戦後、おめおめと生き延びていたことを責められてしまいます。戦後自刃しなかった司令官たちは、「すべての特攻は志願だった」と証言します。

・敗戦の責任に対するいわゆる「一億総懺悔」と呼ばれるものです。「命令した側」と「命令を受けた側」をごちゃ混ぜにした、あきれるほどの暴論です。どんな集団にも、リーダーと部下がいて、責任を取るのは、「その指示を出したリーダー」です。その指示に従った部下まで責任を取るのなら、「責任」というものは実質的には無意味になります。

・昭和天皇は好戦主義者ではなかったが、平和主義者だったということもできない。昭和天皇が何より大切にしていたのは「皇統の継続」で、それがあらゆる判断に優先した。

・特攻が続いたのは、「戦争継続のため」に有効だったから。戦術としては、アメリカに対して有効ではなくなっていても、日本国民と日本軍人に対しては有効だったから、続けられた。

・ダメな人ほど、「心構え」しか語りません。それしか語れないということは、リーダーとして中身がないのです。

・「精神」だけを語るのはとても簡単なのです。けれど、自分たちを分析し、相手を分析し、必要なことを見つけ出すことがリーダーの仕事なのです。

・勝ち戦の功績は自分のものとし、悲劇の責任は「異常」といってすむなら、軍人くらい気楽な職業は世の中にあるまい。

・「世間」とは「現在、および将来においてなんらかの利害・人間関係がある、または生まれる可能性のある人たち」のことです。現在も将来も関係のない場合は、「社会」です。

・大損もせず、持ちつ持たれつの関係を続けるのが「世間」です。

・知らない相手と協同活動を成立させるためには、「社会」という「自分を関係のない人」を交渉相手にすることを当たり前にしなければなりませんでした。

・自我は集団我をふくんで拡大強化される。そうして集団の持つ決定力を、自己の決定力と思い込み、集団の実行力を自分の実行力とみなすようになり、自我は集団我によって強化されることで、個人の決定不足を一応解消することができる。

・「集団我」が効果的に発動すると、例えば「駅伝」で、自分一人のマラソンでは想像もつかない頑張りができて、自分で自分の結果に驚くなんてことが起こります。

・「集団我」が悪く働くと、大勢だと威勢がいいが、一人になると何もできない人間になります。

・何人死ねば、この真夏の大会は変わるのだろう。こう書くと、「甲子園大会を冒涜するのか!」と叫ぶ人がいます。ですが、怒る人は、「命令した側」と「命令された側」を混同するのです。「命令した側」への批判を、「命令された側」への攻撃だと思うのです。

・どんな社会的な運動も「当事者」よりも「傍観者」の方が饒舌になります。思い入れを熱く語るのは、当事者になれなかった傍観者、または当事者になりたかった傍観者です。



不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか (講談社現代新書)

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  • 作者: 鴻上 尚史
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