『危機の時代 伝説の投資家が語る経済とマネーの未来』 [☆☆]
・インドの金融システムにはたくさんの問題があるが、世界の多くの人が注意を払っているわけではない。
・危機が起きる前に身近なところでは、どのような変化が起きるのか。これまで予約が取れなかったような高級レストランが、急に予約できるようになる。
・外国人を非難するという安易な手段に頼る政府が愚かな戦争を引き起こすことを、歴史は証明している。
・企業が倒産すれば、賢い人々がやって来て、不良資産を引き継ぎ、それを再編成し、会社を健全な状態にして再建する。しかし日本はそうしなかった。むしろ資産を賢い人々に与えず、無能な人々に与えた。その結果が日本経済の長期的な低迷につながり、失われた30年とまで言われる不振にあえぐことになった。
・他人と同じことをすると、他人と同じ結果しか得られない。
・「今回こそは違う」という言葉は、最もコストが高い過ちだ。
・最も悲観的な時が買い時であり、最も楽観的な時が売り時だ。
・経済危機が起きると、多くの国で大学教授や政治家が、「不況で中流階級が減少している」と指摘する。すると中流階級の怒りに火が付き、政府や金持ちに対する大規模な抗議運動へと発展する。
・彼らはなぜ自分たちが不幸になったのかという理由は知らないかもしれないが、自分たちが実際に不幸であることは知っている。
・危機は山火事のようなものだ。山火事自体は恐ろしい。しかし、古い木々を一掃し、新しい森がより良く成長することができる素晴らしい機会を提供する。山火事は、世界のために森を再生している。
・世界で最高のステーキハウスが米国ではなく東京にあるように、日本人の品質へのこだわりは群を抜いている。
・例えば、1991年にソビエト連邦は消滅した。その10年前の1981年には誰もが想像できなかったことだ。
・私たちが今常識だと考えているすべてのことは間違っている。成功した投資家になりたければ、それを理解する必要がある。
・危機の最初の段階で、金はしばしば下落する。資金不足に陥った人々が金を売って、現金を手に入れる必要があるからだ。
・通貨が下落すると、金と銀を買おうとするものだ。多くの学者は、「それはおかしい。金や銀を買っても仕方がない。役に立たない」と言うだろう。だが、気にする必要はない。多くの人が学者ではない一般の人々だ。問題が発生したら、彼らは金と銀を買う。
・良い投資家になりたいなら、バランスシート(貸借対照表)を読むことを学ぶ必要がある。損益計算書よりもバランスシートに企業の経営の本質は現れる。
・考えのない学びは、無駄である。学ばずに考えてばかりいては、危険である。
・さまざまな国に異なるバージョンの歴史がある。1つの歴史というものはそもそも存在しないことを理解した方がいい。
・英国にはもう海外に輸出できるような多くの製品がない。英語という言語があるだけで、かつて製造していたクルマやオートバイもほとんどなくなっている。英語という言語のおかげで教育だけは残っているが、産業という意味ではほかに見るべきものは少ない。
・独裁という政治体制であっても、リーダーが優れた人物であれば、シンガポールのように成功し、そうでなければコンゴのような災害が起きかねない。
・インド政府は農民を保護することが大事だと考えている。しかし最大で5ヘクタールしか所有できないインドの農民が、10万ヘクタールの広大な農地を持つオーストラリアの農民と競争できるのか。極めて難しいと言わざるを得ない。
・インドでは、2ヘクタール未満の農地しか持たない小規模農家が全体の85%を占めている。農業経営体1件あたりの農地面積は全国平均で1.08ヘクタールしかなく、日本の2.98ヘクタールをも下回っている。
・インドの農民は多くの借金を抱えている。彼らは農業でお金を稼ぐことができないので、銀行からお金を借りて、来年は良くなると言い続ける。すると借金はより膨らんでいき、ますます返済が難しくなって、生きるのが大変になる。それが高い自殺率につながっており、それがインドの現実だ。
・新しいテクノロジーはそれが何であれ、世界を変える可能性がある。今では固定電話は技術とも思われていないが、100~150年前は固定電話ほどイノベーティブな技術はなかった。
・ブロックチェーンとは、全員がすべての取引履歴を共有し、改ざんができないようにする「分散型の取引台帳技術」だ。医療でも、小売業でも、不動産の契約でも、既存のシステムがブロックチェーンに置き換えられる可能性がある。今は違って入れも、きっと将来はそうなるだろう。
・第一世界大戦では、多くの人が聞いたことがなく、どこにあるかも知らない国で起きた事件が発端になり、世界はあっという間に戦争状態に陥った。
・誰もがオリンピックを知っている。みんなが知っていることに投資すれば、おそらく成功することはないだろう。あなたが成功したいと願うならば、誰も知らない何かを見つける方がいい。
・ブロックチェーンは私たちが知っているすべてを変える技術だろう。その動きはすでに始まっている。しかし、どこに投資すればよいかはまだ分からない。
・「米国の大学卒業生の50%が新聞の社説を理解することができない」という調査結果を目にした。社説が読めない人は、クレジットカードの申請書を読むことができない可能性がある。
・16世紀には、今ほとんどの人が聞いたことがないポルトガルの大学が最高レベルの優れた大学だった。それがコインブラ大学だ。
・会計を学ぶために大学に行く必要もない。パソコンはおろか、スマートフォンでも学ぶことができる。
・ほとんどのテーマについてオンライン経由で学ぶことができるようになっている。大学はおそらく18歳くらいで入学する若者たちが集まって交流するだけの場所になるだろう。
・米国の大学は、スペイン語の教員を2万人も必要としないはずだ。優秀なスペイン語の先生1人がオンラインで教えればいい。
・ほとんどの人は自分の頭で考えることができていない。多くの人はテレビやインターネットを見て、物事がこうだと信じ込んでいる。
・中国は世界で唯一の、偉大な時代を繰り返し経験した国だと私は考えている。英国はかつて偉大だった。エジプトもそうで、ローマ帝国もかつて栄華を極めた。だが、その後は復活していない。しかし中国は3、4回も復活を遂げている。
・国家体制は、独裁から、寡頭政治、民主政治、カオス状態に移行し、そして独裁に戻る。
・日本は、事実上、1つの政党が支配する国家として大成功を収めた。日本人はそう言われるのが好きではない。自分たちは民主主義の国だと思っているが、実質的には一党独裁の状態にある。
・民主主義であることは、経済成長とほとんど関係ない。歴史的に、民主主義であるか独裁であるかは、経済にそれほど大きな違いを生み出していない。
・多くの人は、自分の国が言論の自由と報道の自由を持ち、民主主義の社会であってほしいと思っている。しかし、それは民主主義であれば経済的に成功するということを意味するわけではない。
・マリファナには中毒性があるとされ、多くの国が法律で禁じているのはなぜなのか。その起源は、100年ほど前にさかのぼる。当時、米国にウィリアム・ランドルフ・ハーストという新聞王がいた。彼は新聞を売るために、マリファナの糾弾に力を入れた。ハーストは、新聞を売るのと同時に林業の権益や製紙工場を所有していた。木材ではなく、大麻からも紙を作ることができるので、産業が大きくなるのは脅威だと考えたのかもしれない。
・マリファナの栽培地として有名なメデリンは気温が一定で降雨もあり、土壌も栽培に適している。それが、メデリンがマリファナの栽培地になった理由だ。邪悪な人々が多かったからではなく、マリファナの成長に有利な地域だったことが大きい。
・危機が起きる前に身近なところでは、どのような変化が起きるのか。これまで予約が取れなかったような高級レストランが、急に予約できるようになる。
・外国人を非難するという安易な手段に頼る政府が愚かな戦争を引き起こすことを、歴史は証明している。
・企業が倒産すれば、賢い人々がやって来て、不良資産を引き継ぎ、それを再編成し、会社を健全な状態にして再建する。しかし日本はそうしなかった。むしろ資産を賢い人々に与えず、無能な人々に与えた。その結果が日本経済の長期的な低迷につながり、失われた30年とまで言われる不振にあえぐことになった。
・他人と同じことをすると、他人と同じ結果しか得られない。
・「今回こそは違う」という言葉は、最もコストが高い過ちだ。
・最も悲観的な時が買い時であり、最も楽観的な時が売り時だ。
・経済危機が起きると、多くの国で大学教授や政治家が、「不況で中流階級が減少している」と指摘する。すると中流階級の怒りに火が付き、政府や金持ちに対する大規模な抗議運動へと発展する。
・彼らはなぜ自分たちが不幸になったのかという理由は知らないかもしれないが、自分たちが実際に不幸であることは知っている。
・危機は山火事のようなものだ。山火事自体は恐ろしい。しかし、古い木々を一掃し、新しい森がより良く成長することができる素晴らしい機会を提供する。山火事は、世界のために森を再生している。
・世界で最高のステーキハウスが米国ではなく東京にあるように、日本人の品質へのこだわりは群を抜いている。
・例えば、1991年にソビエト連邦は消滅した。その10年前の1981年には誰もが想像できなかったことだ。
・私たちが今常識だと考えているすべてのことは間違っている。成功した投資家になりたければ、それを理解する必要がある。
・危機の最初の段階で、金はしばしば下落する。資金不足に陥った人々が金を売って、現金を手に入れる必要があるからだ。
・通貨が下落すると、金と銀を買おうとするものだ。多くの学者は、「それはおかしい。金や銀を買っても仕方がない。役に立たない」と言うだろう。だが、気にする必要はない。多くの人が学者ではない一般の人々だ。問題が発生したら、彼らは金と銀を買う。
・良い投資家になりたいなら、バランスシート(貸借対照表)を読むことを学ぶ必要がある。損益計算書よりもバランスシートに企業の経営の本質は現れる。
・考えのない学びは、無駄である。学ばずに考えてばかりいては、危険である。
・さまざまな国に異なるバージョンの歴史がある。1つの歴史というものはそもそも存在しないことを理解した方がいい。
・英国にはもう海外に輸出できるような多くの製品がない。英語という言語があるだけで、かつて製造していたクルマやオートバイもほとんどなくなっている。英語という言語のおかげで教育だけは残っているが、産業という意味ではほかに見るべきものは少ない。
・独裁という政治体制であっても、リーダーが優れた人物であれば、シンガポールのように成功し、そうでなければコンゴのような災害が起きかねない。
・インド政府は農民を保護することが大事だと考えている。しかし最大で5ヘクタールしか所有できないインドの農民が、10万ヘクタールの広大な農地を持つオーストラリアの農民と競争できるのか。極めて難しいと言わざるを得ない。
・インドでは、2ヘクタール未満の農地しか持たない小規模農家が全体の85%を占めている。農業経営体1件あたりの農地面積は全国平均で1.08ヘクタールしかなく、日本の2.98ヘクタールをも下回っている。
・インドの農民は多くの借金を抱えている。彼らは農業でお金を稼ぐことができないので、銀行からお金を借りて、来年は良くなると言い続ける。すると借金はより膨らんでいき、ますます返済が難しくなって、生きるのが大変になる。それが高い自殺率につながっており、それがインドの現実だ。
・新しいテクノロジーはそれが何であれ、世界を変える可能性がある。今では固定電話は技術とも思われていないが、100~150年前は固定電話ほどイノベーティブな技術はなかった。
・ブロックチェーンとは、全員がすべての取引履歴を共有し、改ざんができないようにする「分散型の取引台帳技術」だ。医療でも、小売業でも、不動産の契約でも、既存のシステムがブロックチェーンに置き換えられる可能性がある。今は違って入れも、きっと将来はそうなるだろう。
・第一世界大戦では、多くの人が聞いたことがなく、どこにあるかも知らない国で起きた事件が発端になり、世界はあっという間に戦争状態に陥った。
・誰もがオリンピックを知っている。みんなが知っていることに投資すれば、おそらく成功することはないだろう。あなたが成功したいと願うならば、誰も知らない何かを見つける方がいい。
・ブロックチェーンは私たちが知っているすべてを変える技術だろう。その動きはすでに始まっている。しかし、どこに投資すればよいかはまだ分からない。
・「米国の大学卒業生の50%が新聞の社説を理解することができない」という調査結果を目にした。社説が読めない人は、クレジットカードの申請書を読むことができない可能性がある。
・16世紀には、今ほとんどの人が聞いたことがないポルトガルの大学が最高レベルの優れた大学だった。それがコインブラ大学だ。
・会計を学ぶために大学に行く必要もない。パソコンはおろか、スマートフォンでも学ぶことができる。
・ほとんどのテーマについてオンライン経由で学ぶことができるようになっている。大学はおそらく18歳くらいで入学する若者たちが集まって交流するだけの場所になるだろう。
・米国の大学は、スペイン語の教員を2万人も必要としないはずだ。優秀なスペイン語の先生1人がオンラインで教えればいい。
・ほとんどの人は自分の頭で考えることができていない。多くの人はテレビやインターネットを見て、物事がこうだと信じ込んでいる。
・中国は世界で唯一の、偉大な時代を繰り返し経験した国だと私は考えている。英国はかつて偉大だった。エジプトもそうで、ローマ帝国もかつて栄華を極めた。だが、その後は復活していない。しかし中国は3、4回も復活を遂げている。
・国家体制は、独裁から、寡頭政治、民主政治、カオス状態に移行し、そして独裁に戻る。
・日本は、事実上、1つの政党が支配する国家として大成功を収めた。日本人はそう言われるのが好きではない。自分たちは民主主義の国だと思っているが、実質的には一党独裁の状態にある。
・民主主義であることは、経済成長とほとんど関係ない。歴史的に、民主主義であるか独裁であるかは、経済にそれほど大きな違いを生み出していない。
・多くの人は、自分の国が言論の自由と報道の自由を持ち、民主主義の社会であってほしいと思っている。しかし、それは民主主義であれば経済的に成功するということを意味するわけではない。
・マリファナには中毒性があるとされ、多くの国が法律で禁じているのはなぜなのか。その起源は、100年ほど前にさかのぼる。当時、米国にウィリアム・ランドルフ・ハーストという新聞王がいた。彼は新聞を売るために、マリファナの糾弾に力を入れた。ハーストは、新聞を売るのと同時に林業の権益や製紙工場を所有していた。木材ではなく、大麻からも紙を作ることができるので、産業が大きくなるのは脅威だと考えたのかもしれない。
・マリファナの栽培地として有名なメデリンは気温が一定で降雨もあり、土壌も栽培に適している。それが、メデリンがマリファナの栽培地になった理由だ。邪悪な人々が多かったからではなく、マリファナの成長に有利な地域だったことが大きい。
タグ:ジム・ロジャーズ
『面白いとは何か? 面白く生きるには?』 [☆☆]
・アートというのは、基本的に個人の「面白さ」を形にする行為であり、それを評価するスポンサを一人見つければ、その作品が売れる。これが、アーティストの仕事の成立条件だ。
・売れていない本ほど、熱心なファンが割合として多く買っているから、評価が高くなる。売れる本は、好意的でない人にまで広く知られる結果になるので、マイナスの評価をする人の割合が増える。
・評判が良いものが「面白い」と感じられる指標になるのだから、作る側は、「面白い」ものよりも、「評判を良く」する工夫を優先するようになる。
・「意外性」とは、その人が思い描いていない未来が訪れることだ。
・自由とは、「思った通りになること」「希望したことが現実になること」なのだ。
・自由は、仕事がなくて、ごろごろと寝ている「暇」のことではないし、いつまでも起きなくても良い休日のことでもない。自由は、自分が計画した通り、自分が予定した通りに生きることであり、それが人間の満足の根源である。
・日本のお笑いには、このユーモアが感じられるものが少ないように思う。つまり、日本には古来なかったセンスなのかもしれない。そもそも、「ユーモア」に相当する日本語がないことが、それを示しているだろう。
・洗練されたユーモアというのは、一部の人がくすっと笑い、それ以外の人には「難解」と受け取られる。
・やがて、歌っている様子が動画として広まるようになり、それが普通のこととなった。そうなると、ただ歌うだけではなく、振り付けやダンスが伴うのが当たり前になる。「歌」や「音楽」という概念自体が、そちらへシフトしている。
・動きが凄い、撮影が凄いといった技術的な洗練で、ある程度は「新しさ」が作り出せるものの、あくまでも専門的な変化であり、見ている側にすれば、それらはわかりにくい。
・「もっと知りたい」「もっと考えたい」という欲求が、「面白い」のである。
・知るために重要な条件は、それまで「知らない」状態であることだ。自分が知らないことに気づくのが、「知る」という体験だといえる。
・「知る」と「気づく」はどう違うのか。「知る」のは新しい情報だが、「気づく」のは、これまで自分が知っていたことと「関連づける」行為が伴う点が異なる。
・井戸端会議というか、本来はローカルな情報伝達であったものだ。少数で情報交換するから、役に立つし、得した気分になれた。それがテレビになって、大勢が知ることになると、役に立っても、自分だけが得をするわけではない。有利さが薄まってしまう気がする。
・今どきの人たち(特にテレビを見るような人たち)は、得をしたいというよりは、知らなくて「損をしたくない」という強迫観念に取り憑かれているのではないか。
・「面白くないな」と感じるのは、面白いことを知っているからです。面白いことを知らない人だったら、面白くないとも感じないはずです。
・「生き辛さ」は、現在収穫がない畑に立っている人が感じるものです。その「生き辛さ」は、その人が長い時間をかけて作り出した結果です。目の前にあるのは、「生き辛さ」が現れるまで、放っておいた畑なのです。
・「面白さ」は、発見するものというと、少し違っている気がします。発見できるのは、既に存在するものだからです。
・この頃の若者に多く見られる傾向として、誰かから「感謝されたい」という欲求がある。人から「ありがとう」と言われるような仕事をしたい、と考えている人が多いのだ。おそらく、ネットで育った世代だから、「いいね」の多さが価値だと認識しているのではないか、と思われる。
・他者がいないと生じない「面白さ」しか知らない人は、一人になったときが地獄のように苦しく感じられるらしい。
・大勢で集まって酒を飲み、わいわいがやがやと騒ぐ人たちは、実のところは「面白さ」を知らない「寂しい」人たちである。
・社会への貢献を量で測るとしたら、それは納めた税金の額ではないだろうか。客観的に見て、これが一番直接的な指標である。
・あまりにも、自己アピールする「面白さ」ばかりに囲まれ、どれも胡散臭く見えてしまう。
・大勢に買わせようと、と考えるよりも、少数が絶対買ってくれるものを作った方が有効なビジネスになる、安定した商品になる可能性が高い、ということがわかってきた。
・受け取るもの、インプットするものでは、「面白さ」は長続きしない。では本物の「面白さ」とは、どういったものか、といえば、それは「アウトプットする」ものだ。
・そもそも、ネットは、初期の頃にはインプットのためのメディアだった。世界中の情報が得られ、検索でき、非常に使いやすく、また有意義なツールだった。しかし、ここ十年ほどは、ネットは個人がアウトプットするメディアになった。
・大事なことは、どれだけ売れたか、どれだけ金が集まったか、という金額だ。「面白い」の手応えは、この数字でしか測ることができない。
・よく「家族の理解」などという人がいるけれど、「理解」なんていらない。それぞれが好きなことをすれば良い、というだけ。迷惑をかけない程度の配慮と、協力を求められたときに笑顔で応じることくらいで良い、と考えている。

・売れていない本ほど、熱心なファンが割合として多く買っているから、評価が高くなる。売れる本は、好意的でない人にまで広く知られる結果になるので、マイナスの評価をする人の割合が増える。
・評判が良いものが「面白い」と感じられる指標になるのだから、作る側は、「面白い」ものよりも、「評判を良く」する工夫を優先するようになる。
・「意外性」とは、その人が思い描いていない未来が訪れることだ。
・自由とは、「思った通りになること」「希望したことが現実になること」なのだ。
・自由は、仕事がなくて、ごろごろと寝ている「暇」のことではないし、いつまでも起きなくても良い休日のことでもない。自由は、自分が計画した通り、自分が予定した通りに生きることであり、それが人間の満足の根源である。
・日本のお笑いには、このユーモアが感じられるものが少ないように思う。つまり、日本には古来なかったセンスなのかもしれない。そもそも、「ユーモア」に相当する日本語がないことが、それを示しているだろう。
・洗練されたユーモアというのは、一部の人がくすっと笑い、それ以外の人には「難解」と受け取られる。
・やがて、歌っている様子が動画として広まるようになり、それが普通のこととなった。そうなると、ただ歌うだけではなく、振り付けやダンスが伴うのが当たり前になる。「歌」や「音楽」という概念自体が、そちらへシフトしている。
・動きが凄い、撮影が凄いといった技術的な洗練で、ある程度は「新しさ」が作り出せるものの、あくまでも専門的な変化であり、見ている側にすれば、それらはわかりにくい。
・「もっと知りたい」「もっと考えたい」という欲求が、「面白い」のである。
・知るために重要な条件は、それまで「知らない」状態であることだ。自分が知らないことに気づくのが、「知る」という体験だといえる。
・「知る」と「気づく」はどう違うのか。「知る」のは新しい情報だが、「気づく」のは、これまで自分が知っていたことと「関連づける」行為が伴う点が異なる。
・井戸端会議というか、本来はローカルな情報伝達であったものだ。少数で情報交換するから、役に立つし、得した気分になれた。それがテレビになって、大勢が知ることになると、役に立っても、自分だけが得をするわけではない。有利さが薄まってしまう気がする。
・今どきの人たち(特にテレビを見るような人たち)は、得をしたいというよりは、知らなくて「損をしたくない」という強迫観念に取り憑かれているのではないか。
・「面白くないな」と感じるのは、面白いことを知っているからです。面白いことを知らない人だったら、面白くないとも感じないはずです。
・「生き辛さ」は、現在収穫がない畑に立っている人が感じるものです。その「生き辛さ」は、その人が長い時間をかけて作り出した結果です。目の前にあるのは、「生き辛さ」が現れるまで、放っておいた畑なのです。
・「面白さ」は、発見するものというと、少し違っている気がします。発見できるのは、既に存在するものだからです。
・この頃の若者に多く見られる傾向として、誰かから「感謝されたい」という欲求がある。人から「ありがとう」と言われるような仕事をしたい、と考えている人が多いのだ。おそらく、ネットで育った世代だから、「いいね」の多さが価値だと認識しているのではないか、と思われる。
・他者がいないと生じない「面白さ」しか知らない人は、一人になったときが地獄のように苦しく感じられるらしい。
・大勢で集まって酒を飲み、わいわいがやがやと騒ぐ人たちは、実のところは「面白さ」を知らない「寂しい」人たちである。
・社会への貢献を量で測るとしたら、それは納めた税金の額ではないだろうか。客観的に見て、これが一番直接的な指標である。
・あまりにも、自己アピールする「面白さ」ばかりに囲まれ、どれも胡散臭く見えてしまう。
・大勢に買わせようと、と考えるよりも、少数が絶対買ってくれるものを作った方が有効なビジネスになる、安定した商品になる可能性が高い、ということがわかってきた。
・受け取るもの、インプットするものでは、「面白さ」は長続きしない。では本物の「面白さ」とは、どういったものか、といえば、それは「アウトプットする」ものだ。
・そもそも、ネットは、初期の頃にはインプットのためのメディアだった。世界中の情報が得られ、検索でき、非常に使いやすく、また有意義なツールだった。しかし、ここ十年ほどは、ネットは個人がアウトプットするメディアになった。
・大事なことは、どれだけ売れたか、どれだけ金が集まったか、という金額だ。「面白い」の手応えは、この数字でしか測ることができない。
・よく「家族の理解」などという人がいるけれど、「理解」なんていらない。それぞれが好きなことをすれば良い、というだけ。迷惑をかけない程度の配慮と、協力を求められたときに笑顔で応じることくらいで良い、と考えている。

面白いとは何か? 面白く生きるには? (ワニブックスPLUS新書)
- 作者: 森 博嗣
- 出版社/メーカー: ワニブックス
- 発売日: 2019/09/10
- メディア: Kindle版
タグ:森博嗣
『まなの本棚』 [☆☆]
・私は「自分とは違う誰かの人生や心の中を知ること」に、すごく興味があるんだと思います。
・古くからの日本語大好きな私にとって「言えないコトバ」とまではいかないけれども、同じ意味の日本語があるなら、カタカナ言葉は「言いづらいコトバ」なのかもしれません。
・どれだけ一生懸命働いても、三食食べられないくらい貧しい生活を送っていたお兄さんは、「島流しになれば、きちんと仕事も食事ももらえるのがうれしい」と言うのです。
・誰かに対して「うらやましい」という気持ちを持ってしまたら、それを素直に受け入れて、「あの人はうらやましいけれども、私は私」って、思えるようになれればいいなって思います。
・悪魔を遠ざけるためにはどうしたらいいのか主人公の女の子が質問すると、おばあちゃんは「まず早寝早起き。食事をしっかりとり、よく運動し、規則正しい生活をする」と答えます。
・「結末がわかってるからもうつまらない」んじゃなくて、「結末がわかっているからこそのおもしろさ」が出てくるので、ミステリーこそもう一度読み直してみるのがおすすめです!
・古くからの日本語大好きな私にとって「言えないコトバ」とまではいかないけれども、同じ意味の日本語があるなら、カタカナ言葉は「言いづらいコトバ」なのかもしれません。
・どれだけ一生懸命働いても、三食食べられないくらい貧しい生活を送っていたお兄さんは、「島流しになれば、きちんと仕事も食事ももらえるのがうれしい」と言うのです。
・誰かに対して「うらやましい」という気持ちを持ってしまたら、それを素直に受け入れて、「あの人はうらやましいけれども、私は私」って、思えるようになれればいいなって思います。
・悪魔を遠ざけるためにはどうしたらいいのか主人公の女の子が質問すると、おばあちゃんは「まず早寝早起き。食事をしっかりとり、よく運動し、規則正しい生活をする」と答えます。
・「結末がわかってるからもうつまらない」んじゃなくて、「結末がわかっているからこそのおもしろさ」が出てくるので、ミステリーこそもう一度読み直してみるのがおすすめです!
タグ:芦田愛菜