『面白いとは何か? 面白く生きるには?』 [☆☆]
・アートというのは、基本的に個人の「面白さ」を形にする行為であり、それを評価するスポンサを一人見つければ、その作品が売れる。これが、アーティストの仕事の成立条件だ。
・売れていない本ほど、熱心なファンが割合として多く買っているから、評価が高くなる。売れる本は、好意的でない人にまで広く知られる結果になるので、マイナスの評価をする人の割合が増える。
・評判が良いものが「面白い」と感じられる指標になるのだから、作る側は、「面白い」ものよりも、「評判を良く」する工夫を優先するようになる。
・「意外性」とは、その人が思い描いていない未来が訪れることだ。
・自由とは、「思った通りになること」「希望したことが現実になること」なのだ。
・自由は、仕事がなくて、ごろごろと寝ている「暇」のことではないし、いつまでも起きなくても良い休日のことでもない。自由は、自分が計画した通り、自分が予定した通りに生きることであり、それが人間の満足の根源である。
・日本のお笑いには、このユーモアが感じられるものが少ないように思う。つまり、日本には古来なかったセンスなのかもしれない。そもそも、「ユーモア」に相当する日本語がないことが、それを示しているだろう。
・洗練されたユーモアというのは、一部の人がくすっと笑い、それ以外の人には「難解」と受け取られる。
・やがて、歌っている様子が動画として広まるようになり、それが普通のこととなった。そうなると、ただ歌うだけではなく、振り付けやダンスが伴うのが当たり前になる。「歌」や「音楽」という概念自体が、そちらへシフトしている。
・動きが凄い、撮影が凄いといった技術的な洗練で、ある程度は「新しさ」が作り出せるものの、あくまでも専門的な変化であり、見ている側にすれば、それらはわかりにくい。
・「もっと知りたい」「もっと考えたい」という欲求が、「面白い」のである。
・知るために重要な条件は、それまで「知らない」状態であることだ。自分が知らないことに気づくのが、「知る」という体験だといえる。
・「知る」と「気づく」はどう違うのか。「知る」のは新しい情報だが、「気づく」のは、これまで自分が知っていたことと「関連づける」行為が伴う点が異なる。
・井戸端会議というか、本来はローカルな情報伝達であったものだ。少数で情報交換するから、役に立つし、得した気分になれた。それがテレビになって、大勢が知ることになると、役に立っても、自分だけが得をするわけではない。有利さが薄まってしまう気がする。
・今どきの人たち(特にテレビを見るような人たち)は、得をしたいというよりは、知らなくて「損をしたくない」という強迫観念に取り憑かれているのではないか。
・「面白くないな」と感じるのは、面白いことを知っているからです。面白いことを知らない人だったら、面白くないとも感じないはずです。
・「生き辛さ」は、現在収穫がない畑に立っている人が感じるものです。その「生き辛さ」は、その人が長い時間をかけて作り出した結果です。目の前にあるのは、「生き辛さ」が現れるまで、放っておいた畑なのです。
・「面白さ」は、発見するものというと、少し違っている気がします。発見できるのは、既に存在するものだからです。
・この頃の若者に多く見られる傾向として、誰かから「感謝されたい」という欲求がある。人から「ありがとう」と言われるような仕事をしたい、と考えている人が多いのだ。おそらく、ネットで育った世代だから、「いいね」の多さが価値だと認識しているのではないか、と思われる。
・他者がいないと生じない「面白さ」しか知らない人は、一人になったときが地獄のように苦しく感じられるらしい。
・大勢で集まって酒を飲み、わいわいがやがやと騒ぐ人たちは、実のところは「面白さ」を知らない「寂しい」人たちである。
・社会への貢献を量で測るとしたら、それは納めた税金の額ではないだろうか。客観的に見て、これが一番直接的な指標である。
・あまりにも、自己アピールする「面白さ」ばかりに囲まれ、どれも胡散臭く見えてしまう。
・大勢に買わせようと、と考えるよりも、少数が絶対買ってくれるものを作った方が有効なビジネスになる、安定した商品になる可能性が高い、ということがわかってきた。
・受け取るもの、インプットするものでは、「面白さ」は長続きしない。では本物の「面白さ」とは、どういったものか、といえば、それは「アウトプットする」ものだ。
・そもそも、ネットは、初期の頃にはインプットのためのメディアだった。世界中の情報が得られ、検索でき、非常に使いやすく、また有意義なツールだった。しかし、ここ十年ほどは、ネットは個人がアウトプットするメディアになった。
・大事なことは、どれだけ売れたか、どれだけ金が集まったか、という金額だ。「面白い」の手応えは、この数字でしか測ることができない。
・よく「家族の理解」などという人がいるけれど、「理解」なんていらない。それぞれが好きなことをすれば良い、というだけ。迷惑をかけない程度の配慮と、協力を求められたときに笑顔で応じることくらいで良い、と考えている。

・売れていない本ほど、熱心なファンが割合として多く買っているから、評価が高くなる。売れる本は、好意的でない人にまで広く知られる結果になるので、マイナスの評価をする人の割合が増える。
・評判が良いものが「面白い」と感じられる指標になるのだから、作る側は、「面白い」ものよりも、「評判を良く」する工夫を優先するようになる。
・「意外性」とは、その人が思い描いていない未来が訪れることだ。
・自由とは、「思った通りになること」「希望したことが現実になること」なのだ。
・自由は、仕事がなくて、ごろごろと寝ている「暇」のことではないし、いつまでも起きなくても良い休日のことでもない。自由は、自分が計画した通り、自分が予定した通りに生きることであり、それが人間の満足の根源である。
・日本のお笑いには、このユーモアが感じられるものが少ないように思う。つまり、日本には古来なかったセンスなのかもしれない。そもそも、「ユーモア」に相当する日本語がないことが、それを示しているだろう。
・洗練されたユーモアというのは、一部の人がくすっと笑い、それ以外の人には「難解」と受け取られる。
・やがて、歌っている様子が動画として広まるようになり、それが普通のこととなった。そうなると、ただ歌うだけではなく、振り付けやダンスが伴うのが当たり前になる。「歌」や「音楽」という概念自体が、そちらへシフトしている。
・動きが凄い、撮影が凄いといった技術的な洗練で、ある程度は「新しさ」が作り出せるものの、あくまでも専門的な変化であり、見ている側にすれば、それらはわかりにくい。
・「もっと知りたい」「もっと考えたい」という欲求が、「面白い」のである。
・知るために重要な条件は、それまで「知らない」状態であることだ。自分が知らないことに気づくのが、「知る」という体験だといえる。
・「知る」と「気づく」はどう違うのか。「知る」のは新しい情報だが、「気づく」のは、これまで自分が知っていたことと「関連づける」行為が伴う点が異なる。
・井戸端会議というか、本来はローカルな情報伝達であったものだ。少数で情報交換するから、役に立つし、得した気分になれた。それがテレビになって、大勢が知ることになると、役に立っても、自分だけが得をするわけではない。有利さが薄まってしまう気がする。
・今どきの人たち(特にテレビを見るような人たち)は、得をしたいというよりは、知らなくて「損をしたくない」という強迫観念に取り憑かれているのではないか。
・「面白くないな」と感じるのは、面白いことを知っているからです。面白いことを知らない人だったら、面白くないとも感じないはずです。
・「生き辛さ」は、現在収穫がない畑に立っている人が感じるものです。その「生き辛さ」は、その人が長い時間をかけて作り出した結果です。目の前にあるのは、「生き辛さ」が現れるまで、放っておいた畑なのです。
・「面白さ」は、発見するものというと、少し違っている気がします。発見できるのは、既に存在するものだからです。
・この頃の若者に多く見られる傾向として、誰かから「感謝されたい」という欲求がある。人から「ありがとう」と言われるような仕事をしたい、と考えている人が多いのだ。おそらく、ネットで育った世代だから、「いいね」の多さが価値だと認識しているのではないか、と思われる。
・他者がいないと生じない「面白さ」しか知らない人は、一人になったときが地獄のように苦しく感じられるらしい。
・大勢で集まって酒を飲み、わいわいがやがやと騒ぐ人たちは、実のところは「面白さ」を知らない「寂しい」人たちである。
・社会への貢献を量で測るとしたら、それは納めた税金の額ではないだろうか。客観的に見て、これが一番直接的な指標である。
・あまりにも、自己アピールする「面白さ」ばかりに囲まれ、どれも胡散臭く見えてしまう。
・大勢に買わせようと、と考えるよりも、少数が絶対買ってくれるものを作った方が有効なビジネスになる、安定した商品になる可能性が高い、ということがわかってきた。
・受け取るもの、インプットするものでは、「面白さ」は長続きしない。では本物の「面白さ」とは、どういったものか、といえば、それは「アウトプットする」ものだ。
・そもそも、ネットは、初期の頃にはインプットのためのメディアだった。世界中の情報が得られ、検索でき、非常に使いやすく、また有意義なツールだった。しかし、ここ十年ほどは、ネットは個人がアウトプットするメディアになった。
・大事なことは、どれだけ売れたか、どれだけ金が集まったか、という金額だ。「面白い」の手応えは、この数字でしか測ることができない。
・よく「家族の理解」などという人がいるけれど、「理解」なんていらない。それぞれが好きなことをすれば良い、というだけ。迷惑をかけない程度の配慮と、協力を求められたときに笑顔で応じることくらいで良い、と考えている。

面白いとは何か? 面白く生きるには? (ワニブックスPLUS新書)
- 作者: 森 博嗣
- 出版社/メーカー: ワニブックス
- 発売日: 2019/09/10
- メディア: Kindle版
タグ:森博嗣