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『不条理を生きるチカラ コロナ禍が気づかせた幻想の社会』 [☆☆]

・翼賛とはもともと「天子(天皇)の政治を補佐する」という意味です。これは強制ではないという建前で、人々は自発的に最高権力者を支持し、行動することが期待されていました。その一方、期待に応えない者は「非国民」として社会から排除されました。

・往々にして田舎の秀才って怖いですからね。田舎の秀才というのは、自分が宇宙で一番頭がいいと思っている。

・イギリス人はものすごく集中力があるんだけれど、その集中力が水曜日あたりになると切れちゃう。だから水曜日の午後、学校は休みだった。商店も水曜日の午後は休んでいる店が多かった。それでまた木曜、金曜と勉強して、土日の二日間はゆっくり休む。

・合理的だけど知的でない議論というのは、世の中にいくらでもある。人が病気になるのは悪魔の呪いのせいだとする。私の娘が風邪をひいたんだが、どの悪魔が呪いをかけたのか。この思考は、完全に合理的なわけです。しかし、非学術的なんです。

・私が理解するところの他者はヴィトゲンシュタインの議論を使って、言語ゲームが成立しない人です。

・借金でやったらいけないのが博打の大原則。

・死者の名で語る権利というのは生きている人間にはない。

・基本的に大人は子供におもねったらダメということです。

・沖縄がかわいそうなんて言う日本人は要らないんです。そういう人が増えてもしょうがない。なぜならそれは、沖縄人にとって侮辱的だからです。

・インスタグラムのような一枚の写真の方がインパクトを持ちつつあります。もうこの先はツイッターさえ長すぎてしまい、人は絵文字や記号で会話するんじゃないかと……これじゃ古代に帰るようですが。

・その場でそのときしか見られない一回性のイベントみたいなライブには人が来る。だから音源は無料で配信して、ライブに人を呼んでそこでしか買えないグッズを売る。それが今のビジネスモデルになっている。

・まさにその「居場所も出番もない」人たちなんです。

・今ゲームの中の「居場所と出番」を与えているのは右派の人たちです。ゲームの中の正義があります。敵を倒せば、そのゲームの中に平和がもたらされる。今はたとえば、朝日新聞を倒せば日本に平和が来るとか。

・客観的データに基づいて自分の頭で考えることができることが、公共圏で政治について発言するための入場券です。入場券がないのに入ってきてはいけません。

・重要なのは、国家に頼らないという点です。国が何とかすべきだとか言ってもはじまらない。

・世の中にはある種のタブーがないといけない。タブーは必ず「耐エントロピー構造」を持つから、フラット化を目指す新自由主義とぶつかるし、ポストモダンともぶつかるんです。それでタブーのあるよい世界になっていく。

・昔、全共闘がよく「専門バカ」と先生たちを批判しましたが、専門性がなければただのバカです。そんな学者は相手にされません。

・「ミネルヴァの梟」というのは哲学とか知恵という意味で、一つの時代の哲学というのは、日が暮れてみないとわからないということです。時代の転換期にならないと、その時代精神は読めない。読めるというのは、その時代が終わることを意味する。



不条理を生きるチカラ

不条理を生きるチカラ

  • 出版社/メーカー: ビジネス社
  • 発売日: 2020/06/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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