『庭は手入れをするもんだ 養老孟司の幸福論』
・人をうるさいと思う人では、教育者に向かない。
・教養とは人の心がわかる心
・天才とは僅かに我々と一歩を隔てたもののことである。只この一歩を理解する為には百里の半ばを九十九里とする超数学を知らなければならぬ。
・「九十九里」を真似の部分、残り一里が個性と考えてみるといい。最後の一里は、残りの「九十九里」に匹敵するような重みをもっていて、そこに個性が表れるわけです。
・赤の他人、つまり三人称の死も意味をもっていないということになります。死というのはかならず、親しい人の死、顔や声を知っているような二人称の人の死だけが意味をもちうるということです。
・生きることも三人称の誰かのためではなく、人生は親しい二人称のためにあるのです。
・特攻隊に配属されたものの、辛くも命を落とさずにすんだ人々は、後のインタビューで口をそろえて言います。「まわりのため」「家族のため」「親のため」「将来の子どもたちのため」に死のうとしていたと。国家や天皇という抽象的な三人称のために死のうという気持ではなかったのです。彼らの生は、やはり二人称のためにあったのです。
・いじめの被害者が書いた本では、「先生がこう言った」「親はこうだった」「先輩はあの時こうだった……」「兄弟はああだった……」と、人間関係ばかりが色濃く、克明に書き込まれているのです。人間関係、つまり人事に尽きていて、「花鳥風月の世界」がない。花鳥風月のない世界に生きている人は、全部が人事ですから、世界が半分になった状態で生きていることになり、そこでの刺激は倍になってのしかかってくるでしょう。
・日本人は大きな仕組みづくりが苦手です。仕組みがなくても、多くの事柄では、その場その場で人が超人的に頑張って、なんとかしてきた。
・現代には、日本文化が醸成された頃の貴族や権力者はいません。ふつうの市民ばかりです。
・縄文時代の居住跡には、太い木があったことが知られています。ある時、建築家の藤森輝信さんに、「縄文人は太い木を崇めていたんですか」と尋ねたら、笑われました。「石斧であんなに太い木が伐れますか」と言うんです。つまり、彼らの力では伐れなかったから、集落に巨木があったというわけです。
・教養とは人の心がわかる心
・天才とは僅かに我々と一歩を隔てたもののことである。只この一歩を理解する為には百里の半ばを九十九里とする超数学を知らなければならぬ。
・「九十九里」を真似の部分、残り一里が個性と考えてみるといい。最後の一里は、残りの「九十九里」に匹敵するような重みをもっていて、そこに個性が表れるわけです。
・赤の他人、つまり三人称の死も意味をもっていないということになります。死というのはかならず、親しい人の死、顔や声を知っているような二人称の人の死だけが意味をもちうるということです。
・生きることも三人称の誰かのためではなく、人生は親しい二人称のためにあるのです。
・特攻隊に配属されたものの、辛くも命を落とさずにすんだ人々は、後のインタビューで口をそろえて言います。「まわりのため」「家族のため」「親のため」「将来の子どもたちのため」に死のうとしていたと。国家や天皇という抽象的な三人称のために死のうという気持ではなかったのです。彼らの生は、やはり二人称のためにあったのです。
・いじめの被害者が書いた本では、「先生がこう言った」「親はこうだった」「先輩はあの時こうだった……」「兄弟はああだった……」と、人間関係ばかりが色濃く、克明に書き込まれているのです。人間関係、つまり人事に尽きていて、「花鳥風月の世界」がない。花鳥風月のない世界に生きている人は、全部が人事ですから、世界が半分になった状態で生きていることになり、そこでの刺激は倍になってのしかかってくるでしょう。
・日本人は大きな仕組みづくりが苦手です。仕組みがなくても、多くの事柄では、その場その場で人が超人的に頑張って、なんとかしてきた。
・現代には、日本文化が醸成された頃の貴族や権力者はいません。ふつうの市民ばかりです。
・縄文時代の居住跡には、太い木があったことが知られています。ある時、建築家の藤森輝信さんに、「縄文人は太い木を崇めていたんですか」と尋ねたら、笑われました。「石斧であんなに太い木が伐れますか」と言うんです。つまり、彼らの力では伐れなかったから、集落に巨木があったというわけです。
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