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『教室を生きのびる政治学』

・仲間ときくと「心を通わせる」友人関係をイメージされるが、無理なことは言わない。真心と切り離したところで協力しあえる関係について話す。

・「すべての人間は、世界の歴史にたった一度しか登場しない」と言い換えてみてもよい。取りかえがきかない人という意味だ。

・日本人にとって「言うことを聞く」は。リッスン・トゥー(Listen to)ではなく、「言われた通りにする」という意味になっている。

・政治においては「選んで、決めて、受け入れさせる」という三段階を避けられない。

・僕たちの決め事は、一度やって終わりではない。決め続けるのが生活であり、人生だ。

・立派な人間を基準に、それと自分をぼんやりと比較して、無理に反省して、役に立たない意識高い系みたいなことをしても、世界は1ミリも変わらない。

・自分たちで決めることによって、「人のせいにはできない」という覚悟を持つことができる。

・やるべきは、「どこまでは同じ道を歩いてきたのか = 何についてまでは意見が一緒なのか」を確かめることだ。そして次に「どこで違う道を行こうととしているのか = 何をめぐって選ぶ価値が分かれてしまったのか」を確認することが大切で、それがわかると、本当は「何と何をめぐって意見が分かれてしまうのか」が、話し合う前に比べるとはっきりしてくる。

・各世代において、推定で5~6%くらいは、いわゆるLGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クエスチョニングといった多様な性のあり方)の人が含まれることが前提となった時代だ。

・議論をする目的は、正しい結論を出すことでもなく、勝ち負けを決めることでもなく、必ず「どれが一番、納得感もたらせるか」にかかっている。中立を求めて議論するなどエネルギーの無駄だ。

・ある意見が偏っているかどうかを決めるのは、その内容ではなく、「誰が偏りの基準を決めるのか?」ということになる。そして、そのためのマウントをとることを政治という。

・知的に豊かに大きくなるためには「自分は間違っているのかもしれない」という慎ましい姿勢と、自分の考えを変える可能性のある他者と言葉への誠意がなければならない。

・この世で人を苦しめる、面倒なことを押しつけてくるのは、悪人だけじゃない。けっこう善人が面倒なのだ。

・友だちより「仲間」を。必要なのは親友ではない。

・何かを主張したい時の心のスタートは、あまりふだん意識しないけれど、実は大事なものを失いたくないという気持ちなのだ。

・リーダーとは、リーダーの機能を果たす人という意味だ。それは、「自分たちの置かれている状況を説明して、その条件のもとでどんな選択肢があるかを示して、おのおのの選択をするとどういう結果とコストになるかを理解してもらって、自分はそのどれを選択するかをきちんと示して、君たちはどれを選ぶのかと尋ねる」というはたらきだ。それがリーダーの役割だ。

・「リードする」という言葉の意味のコアの部分は、「何かと何かを結びつける」というものだから、リーダーシップとは、「何かと何かを結びつけるように機能する状態や立場や作法」という意味だ。

・フォロワーは「その他大勢」ではない。フォロワーは「リーダーにひたすら従う人」でもない。フォロワーは「言葉できちんとリーダーをコントロールする」機能を果たすメンバーだ。

・弱いやつが弱いやつに厳しく当たって、弱い者同士がヒドいやりとりをしているのを、誰かが余裕で上から眺めているという切ない図式だ。

・平等という言葉は、人間の感情に何らかのスイッチを入れる言葉で、とりわけ自分が不当な扱いを受けているのではと不安を持つ多くの人にとって、心の波を生み出すものだ。この時、暮らしぶりの苦しい人、弱い立場の人に厳しい態度をとるのは、恵まれた人ではなくて、ちょっとはマシだが、それでもあまり余裕のない人であることが多い。弱者が弱者を叩くのだ。

・金持ち一族が100年かけて築き上げてきた豊かさを、わずかな時間でゲットできる人は、何千万人に一人くらいの幸運な人だ。

・舞台に上がる者が極少だから、いろいろな才能もセンスも発見できない。すると、とんでもなくアホでセンスのないやつの好みで世界が色付けされてしまう。

・知りたいのはほんのちょっとでも楽になるための具体的な方法なんだよ。

・偏見を克服するために一番必要なものは、自分の脳内、身体、精神に染みこんでいる何かを、そしておそらくそれが原因で現れてしまった言葉や行動を、なかったことにしない努力を続けること。

・やれやれ、日本の学校というところは、目の前にいる人間の持つ何かを引き出すのではなく、何かのスタンダードに合わせることを教育だとして、大量にいる子供たちに小中高と12年ぐらいずっと結果的にはダメ出しをするという、じつにモッタイナイことを延々とやり続けてきたのではないか?

・自己責任などというものが問題になるのは、自分に「自由に選択することができた場合」のことであり、そうでない場合には問う必要も意味もないものだ。

・大切なのは、「誰にも迷惑をかけない人間になること」ではなく、自分の非力と未熟と無力をきちんと受け入れて、その上で「他者に適切に助けを求める決断のできる人間」になること。

・これまで、大勢の人たちがそろいもそろって間違った判断をしたときは、それはたいてい誰かによる悪だくみのせいではなく、みんなが不安な気持ちに耐えられなくなったからだ。

・「人の頭をかち割る代わりに、人の頭数をそろえて(仲間を作って)、間違えたらやり直す」というゆるふわシステムのおかげで、成長の歴史でいえばまだ幼稚園の年少さんにすらなっていないにもかかわらず、民主主義は現在のところ、人がヒドい理由で政府に殺される率が一番低いシステムとなっているのだ。

・ナチス・ドイツ、ファシスト・イタリア、そして大日本帝国と、世界中を敵にまわして戦争をして、とてつもない数の人間を死なせてしまった国は、みんな民主主義が未成熟なだった国、その面倒くささ、サクサクとものごとが決まらないグダグダに耐えられなくなった人たちが楽になろうとジャンプしてしまった国ばかりだ。

・光を当てないと、本当はもう存在している、すでにちゃんとできること、できているのだということがまわりにも本人たちにも気づかれないのであって、それはお宝の持ち腐れだからモッタイナイ。

・キツいなら、学校なんか行かなくていいぞ。理由はじつにかんたんだ。学校などというところは、人間が命をかけて行くような場所ではないからだ。

・変わるためには、幸福なきっかけと目の覚めるような優れた言葉に出会うだけではなく、常に「そうじゃないかもしれないではないか?」と疑い続けるための体力が必要なのだ。



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