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『20歳の自分に受けさせたい文章講義』

・われわれは、理解したから書くのではない。理解できる頭を持った人だけが書くのではない。むしろ反対で、われわれは「書く」という再構築とアウトプットの作業を通じて、ようやく自分なりの「解」を掴んでいくのだ。

・より詳しく説明しようと安易なレトリック(美辞麗句のようなもの)に走るほど、正確な描写から離れていってしまうのだ。

・楽曲の土台(論理)を築き、牽引しているのは、あくまでもリズム隊なのだ。ロックの歴史を振り返ってみるといい。ロックの黄金時代を支えたバンドには、必ず優れたドラマーやベーシストがいる。

・われわれは文章に向かい合うとき、「読む」より先に「見る」のだ。だとすれば書き手は、内容だけでなく「見た目」にも気を配らないといけない。

・句読点や改行では、「黒が並んだオセロに白を置く」という感覚だった。しかし当然、漢字とひらがなはそうではない。むしろ「白が並んだオセロに黒を置く」となってくる。

・自分が有益だと思った情報を伝えることで、他者の心を動かし、考えを動かし、ひいては行動まで動かす。文章を書くことは、他者を動かさんとする「力の行使」なのである。

・文章は「面倒くさい細部」を描いてこそ、リアリティを獲得する。

・自らが「お客さんの椅子」に座らないことには、お客さんがどんな気分でその料理を食べ、どんな時間を過ごすのか、本当の意味で理解することはできない。「料理も雰囲気も悪くないのに流行らない店」とは、そんなところに原因があるのではないだろうか。

・料理とは、「つくったから食べる」のではない。「食べる人がいるからつくる」のだ。

・それを他者の目に触れる場に公開しているということは、心のどこかに「自分のことをわかってほしい」との思いがあるはずだ。「自分のことをわかってほしい」と願うこと、それは他者の心の変容を求めていることにほかならない。

・ラブレターとは「自分の気持ちを伝えること」が目的ではない。最終的には、それを読んだ相手が「自分を好きになってくれること」、また「自分の告白を受け入れてくれること」を求めて、書かれるものだ。

・人は「他人事」では動かない。

・われわれは「正しい」だけでは動けないのだ。頭で「正しい意見だ」と理解できても、肝心の「心」が動かないのである。

・物事を「引き算」で考える作業は、最終的に「自分にとって大切なものはなにか?」「自分はどういう人間で、どんな価値観を持って生きてきたのか」を考えることにつながっていくからだ。

・「無力透明のオレンジ味飲料」を飲んだときは、どうだろう? オレンジジュースにとっての「オレンジ色」は、それほど重要で、絶対に「引き算」できない要素なのである。

・面白くない文章とは、なにより冗長なのだ。

・日本語で長文を書いてしまうと「いまなんの話をしているのか」「結論はなんなのか」が不明瞭で、読者は集中して読むのが難しいのだ。

・行き詰ったらフォントを変えてみる。

・「いい文章」とは「読者の心を動かし、その行動までも動かすような文章」のことである。



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20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)

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