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『なぜリベラルは負け続けるのか』

・人は見たいものだけを見て、最初から出ている結論を確認するために本を読むことが多いからです。新しく学ぶというより、前からそう思っていたことを「ほら見ろ、やっぱりそうじゃないですか」と安心したいのです。

・本来的な正しさや正義ではなく、「今何をしなければならないか」という問題に立ち向かう時の自民党側の人たちの「オトナぶり」に、私は舌を巻いています。

・できることならば常に楽をして、人様のおこぼれを低コストで頂戴しようなどと思っている虫のいい人、ほぼ何も考えずに淡々と「流されるままに生きている」人、そういう人たちの方がこの世には圧倒的に多いのです。

・「理想と理念」で、キラキラとした世界を追求することに終始する人は、「やらねばならないこと」から逃げて、「やりたいことだけを言う」人となっているということです。

・比例代表でも、計算上は野党統一の候補者名簿を作れば有利に戦えるのに、勝つ見込みのない小政党が「自党の存在を埋もれさせないように」という発想で分裂して候補者を立ててしまうために、大して得票数もない与党第一党に有利な戦いになっているわけです。

・子どもは自分の思い通りにならないことにぶつかると、それをすぐに誰かのせいにしたがります。親が悪い、兄弟が悪い、友だちが悪い、学校が悪いと。

・この世の善は悪がもたらす。

・仲間が増えれば増えるほどその目的はより実現しやすくなりますし、仲間が少なければいかに高い志を持っていても、低き志の相手方の勝利にほぞをかむことになります。

・この世の中の善きことはすべて善意や善行から生まれると考えるのは子どもです。

・善と悪という二分法にもし意味があるとするのならば、それは「理想(善)なくしては世界は変えられない」と「現実(悪)と向き合わなくては世界は変わらない」という二つの厄介な連立方程式を設定するための前提になることです。

・議会とは「選挙で実際に投票した人たち」によって動かされているわけで、そこには「政治や選挙には興味があったけれども、実際には投票しなかった」という人たちの気持ちが入る余地はありません。

・結論を出すというのは「正解が分かっていないけれど、とりあえず決める」ということに他ならず、その不誠実さに多くの人たちは耐えられないからです。だから結論は出されず先送りにされます。

・政治とは仲間を作ること、集めることです。議論をすることによって、仲間を減らしていくのであれば、何のために政治をしているのか分からないというものです。

・彼らは「時間をかけて討議すれば、必ず正論が通るはずなのだから、すこしも妥協することなく持論を述べるべきだ」という信念で、朝まで延々と不毛な議論を続けていたそうです。

・議論の優劣が簡単につかない、結論が出ないような問題だから国政の場に現れてきてるんだよ。だから、どっちが正しいかじゃなくて、とりあえず決断した後のことまで予想した上で、ギリギリの着地点を設定することが政治なんだよ。

・しかし、自分が決断しなければ、誰かが代わりに決断することになり、その決断を渋々受け止めるしかなくなります。

・「正解は一つしかない」と考えていたからです。その「正しいこと」を選び取らなかったから、失敗したのだと神のような目線で責め立てる。

・政治とは「私は「私たちの世界はこうあるべきだ」と思っています」というメッセージを他者に伝えるとともに、その「あるべき世界」に向かって何かを選択することです。

・「内容はともかく、そういう言い方をする偉そうな奴らは大嫌いなんだよ」と思っている人が。「左翼思想じゃなく、「あいつら」が嫌い」と。

・ガキなんてもんはなぁ、甘やかすとつけあがって努力しなくなるんだよ。そのうち「褒めないと頑張らない」とか寝言を言い出すようなダメ人間になるぞ。

・相手の心を閉ざす正論ではなく、心を溶かす提案が必要ということです。

・総理大臣はあくまでも行政府の長であって、立法府である国会の長ではありません。実は国会の法案審議において力を持つのは各党の「議運(議院運営委員会)」と「国対(国会対策委員会)」の委員長なのです(議長は中立的立場なので、力は持っていません)。

・議運は「この会期でどの法案を審議対象とするのか」を決定し、国対は「具体的な国会日程の展開の中で、どうしたら首尾よく議事が流れていくのか」をコントロールする役割を持ちます。

・そこは双方「大人」なので、あまり後々まで禍根を残すようなことはするべきではないという比較衡量をするのが常です。

・理想の主張と悪の糾弾ばかりではなく、少々手を汚してでも事態を打開する努力をするべきなのです。

・その実現のためには何十年もかかりそうなことを、無責任に「公約」として書くべきではありません。そんなことを公約に入れるから、有権者たちは誰も公約を信じなくなるのですから。

・多くの人は「もうすでに起きたことなのだからどうしようもない」という前提で、お天道様ではなく、この浮世の人がやったことまでも「しかた」が「ない」と考える習慣を身につけているのです。

・同じ悲喜劇は、同じ脚本を使っても、新しき役者によって異なる作品を産み出します。古典が常に最新の作品を産み出すという深淵なる逆説もここにあります。

・あの戦争が終わって70年以上を経ても、我々の周りには「なぜあの戦争を止められなかったのか?」「何が失われた時に、また同じ失敗を繰り返す可能性が高いのか?」という未解決の問題を、けっして手放すことなく考え続ける人々が、この社会にはたくさんいます。

・眼前に展開する喜劇も悲劇も、それを伝える脚本と新しい役者があってこそ堪能できます。しかし、舞台上の悲喜劇が、優れた台詞を失い、大雑把な幼児語にとって代わられ、古き文法だけを身体化させた役者によって上演された時、私たちはそれを喜劇とも悲劇とも判別できず、陳腐で、たちの悪い寸劇として、自覚することなくただ戯れに消費することになりましょう。



なぜリベラルは敗け続けるのか

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