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『ダンナちゃん、よくできました!』 [☆☆☆]

・もし夫が何か私を困らせるようなことをしたとき、私はこう考えます。「猛獣のトレーナーだったら、こんなときどうするかしら?」 親戚と口論になったときも、同じように考えます。

・その答えは「何もしないこと」です。すべての進歩的なトレーナーは、自分の求める行動に対してはご褒美をあげ、求めない行動は無視するのです。

・あらゆる触れ合いは訓練である。言い換えればこういうことです。人は動物とどんな接触を持つときでも、その人に意図があろうとなかろうと、必ず動物に何かを教えているのです。

・行動がすべてを物語り、話すことは補助のようなものなのに、つい私たちは会話に注目してしまうのです。

・多くの動物にとって、抱きつかれるというのは、食べられることと同じ意味なのです。

・動物は人間に触られることは学習できますが、重要なのはそこです。私たちが当たり前と思っている行動を、動物は学習しなければならないのです。

・交流プログラムに参加するイルカはすべて、体をなでられる訓練を受けてきました。それでも、イルカにしてみれば、ふれあいは楽しいイベントというよりは、厳しく仕込まれた作法であり、イギリス女王との謁見のようなものです。

・動物を頭が良い、悪いと分類することも擬人化です。利口か馬鹿かというのは人間が知性について持っている狭い考えに基づくもの。

・人間を擬人化して考えないようにするだけで充分です。つまり、他人の行動、特に夫の行動を悪意でやっているとは思わないという意味です。

・なぜ母は、「補聴器を買えば?」と私が口にするたびにとても腹を立てるのでしょう? それは腹を立てたら私が引き下がったから、つまり効果があったからです。

・仲間の人間を考察するのはおもしろいのですが、そこには意味があります。私が自分と同じ種の動物をうまく操りたければ、彼らにとって何が簡単にできて、何がそうでないかを知る必要があるからです。

・成功のコツは、その種の長所に働きかけることです。タカなどの猛禽類は命令で狩りをするように仕込むことができますが、それは猛禽類が生まれついてのハンターだからです。

・人には自分にとって罰になる方法で相手を懲らしめる傾向がある。怒鳴られることが嫌いな人は、おそらく怒鳴りつけることで相手の過ちを正そうとするでしょう。

・がみがみ言われることをなんとも思わない人は、他の人にとってそれがどれほど苦痛になるか気づかないかもしれません。たいしたことではないと思って鼻息も荒くまくしたてたせいで、怒鳴られた相手が泣きだすこともあるでしょう。

・テーブルをコツコツ叩いたり、ポケットで小銭をジャラジャラいわせている張本人はたいてい、誰かに「やめなさい!」と怒鳴られるまで、うるさくしていることに気づいてさえいません。

・ほぼ不可能なことは見ないふりをするのが一番いいでしょう。特に世間一般から見て、その行動が比較的に些細なことならば。

・ひどい目に遭わないに越したことはありません。しかし、それを回避できたからといって、うれしいというほどではないでしょう。だからこそ、すべての生物は、罰を避けるために必要最低限のことしかしないのです。

・罰は動機づけにはなるかもしれませんが、ご褒美ほど目に輝きを与えることはありません。

・動物が何か動作を行っても、見返りがあるか何も起こらないか、どちらかの結果しかない。罰はなく、動物は何も失なわないから、トレーナーを信頼しない理由はなくなる。

・叱るという方法の問題点は、望ましくない行動を止めることしかできないところです。この方法では、自然にやる気を出させたり、望ましい行動を教えたりすることができません。

・親は、喧嘩や金切り声といった悪い行動をやめさせることにばかり気をとられています。親たちは、仲良く分け合うとか、静かに遊ぶといった、望ましい行動を教えることを、すっかり忘れています。

・トレーナーは大型ネコにおもちゃだと思われてはいけません。おもちゃにされたほんの数ステップ先には、餌にされてしまうからです。

・トレーナーが罰を与えるときは、いつだって行動のパンドラの箱を開けているのです。中から飛び出してくるのは仕返しかもしれません。

・例のクールな女の子は、どんなことにもたいていクールでしたが、それは評判を気にしなかったからです。

・そのクールな女の子は、何に対しても関心の薄い人間にありがちですが、ちょっと退屈な子だとわかりました。

・私たちは動物界の他のメンバーと同じく、誰がボスかを決めるために相手を痛めつけます。

・二人は、ニンジンの皮の剥き方で容赦ない喧嘩をしました。二人は本当は何について争っていたのでしょう? それはどちらがボスかということです。

・彼の役に立とうとしましたが、実際に私がしていたのは「自分側の旗を立てる」ことだったのです。どおりで彼は、私がよかれと思ってしたアドバイスを受け入れなかったわけです。

・伝統的な訓練のテクニックに、餌を与えないというものがあります。動物が空腹になれば、指示に従う動機づけになるという考えです。ところが、これは実際にやってみると難しいものです。というのは、空腹と死の境目はほんの数グラムだからです。

・動物が失敗したときや悪いことをしたとき、強化したくない行動をしたときに、トレーナーがすること、それは、無視です。この方法は多くの人たちが驚きます。私たちが人を相手にするときの直感的なやり方とあまりにも違うからです。

・私たち人間は、悪い行動にばかり注目し、好ましい行動を無視しがちです。親は子供が車の中でおとなしくしていることには気づきませんが、金切り声をあげると叱ります。

・本当は「ある行動」を強化したいのに、その行動を「試みること」の方を強化していたことがどれだけあったでしょう? 試みを強化しても、いままでと同じ結果しか得られない。

・動物が行動しなかったり、次の段階へ進まなかったときは、おそらくその行動が難しすぎるのでしょう。

・厳しいやり方は不適切であるばかりでなく、指導の効果が非常に出にくいものです。それは教えているのではありません。「私がやれと言うんだからやりなさい」と命令しているようなもの。

・人は頼むことも命令することもできますが、一度にあまりに多く要求すると、望むものが手に入りにくくなります。薄汚くしている人はすぐには身だしなみのいい人にはなれないし、ぐずぐずしている人は一夜にしてせっかちにはなりません。

・誰かが贈り物をしてくれたら、私はプレゼントがたくさん欲しいからお礼を言い、相手の贈り物をするという行動を強化します。

・私は行動の途中で基準を上げることも止めました。つまり「ありがとう……でもね」というのを止めたのです。行動の途中で基準を上げると、あなたが何をしてもらいたいのか、相手を混乱させるだけでなく、その人を罰することになる場合もあります。そうなると、あなたが相手に強化しているはずの、食料雑貨を買ってくるとか、訪問するといった行動が失われるかもしれません。

・「両立しない行動」の重要な前提は、動物に何かを止めさせるというよりも、他のことをするよう教えることです。秘訣は、最初の行動ができなくなるような行動を選ぶこと。

・動いている物体を止めるよりも、その動きの方向を変えるほうがエネルギーは少なくて済む。つまり、誰かに何かを止めさせるよりも、他のことをするよう仕向ける方が簡単だということです。

・大きな悲しみから一息つけるかもしれないので、嘆くこととは両立しない行動を考えました。むせび泣きながら買い物はできません。だから私は気の向くままに買い物をしました。



ダンナちゃん、よくできました!―シャチがジャンプを覚え、夫が家事を覚える魔法の水族館プログラム

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  • 作者: エイミー・サザーランド
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2008/09/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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