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『庭は手入れをするもんだ 養老孟司の幸福論』 [☆☆]

・弟子が師匠の形に近づくように練習を重ねて、二人の形がまったくイコールにならないならば、そこにあるのは、師匠の個性であるか、弟子の個性ということになります。

・いじめの被害者が書いた本では、「先生がこう言った」、「親はこうだった」、「先輩はあのときこうだった……」、「兄弟はああだった……」と、人間関係ばかりが色濃く、克明に書き込まれているのです。まわりの人間についての話ばかりなのです。

・これらの本の世界には、虫がいません。虫がいないだけでなく、風も吹いていないし、地震もない。つまり、自然の描写がないのです。

・昔から人間には、「人事の世界」と「花鳥風月の世界」があり、このふたつの世界の両方を行き来しながら、生きてきました。花鳥風月がない世界に生きている人は、全部が人事ですから、世界が半分になった状態で生きていることになり、そこでの刺激は倍になってのしかかってくるでしょう。

・私が見た新聞は、日本軍の戦闘に関する記事しか印象に残らない。この新聞には、「今の日本には戦争以上に大切なことはない」ということが、メッセージとして込められているのではないか、と気づいたのです。何が大事か、何を大事と考えるべきか、語らずして語っている。あるメッセージを、明示的に言い表すことなく理解させるという高等テクニックです。そして、この背後にあるメッセージを、メタメッセージと言います。

・こう考えるべきだという思想的な教導もあったのですが、それよりも強く人々の考えをつくったのは、形で示されるメタメッセージだと思うのです。直接何か言われると、人によっては反発することもあります。

・戦闘記事で埋め尽くされた新聞は、殺人、事故、火事などよりも大切なものがあるのだと、その紙面構成で語っていた。メディアの本当の功罪はここにあるでしょう。

・でも真実は、意識は部分、体が全部なのです。一生の時間を考えれば、何かを意識している時間のほうが少ないはずです。それに対して、体は四六時中いつも存在しています。それを納得できない人は、歩いてみることです。歩こうと思って意識して歩いたら、ふつうに歩くことはできないはずです。

・意識が体を動かしていると言っても、最初に歩こうと思っただけにすぎないのです。

・「これは私に任せろ。私がやるから」と言う責任感のある人がいなくなってしまった。一億総評論家になったと言われても仕方のないことです。

・やることがない人々は、評論家になるしかない。そして、中途半端に働かせるから、本気でない人が次々と出て来ることになったのです。

・歴史家は、軍部の暴走と言いますが、意味もなく走ったのではなく、エネルギーの危機を一番敏感に察知したのが彼らで、その深刻さに背筋が寒くなって行動に出たのではないかと考えています。

・本当にいい先生は何も教えません。態度、姿勢で学ばせ、そして、学生の身についていくのは、実際に学生が自分で学んだことだけなのです。

・産業革命よりはるか昔の古代文明についても同じようなことが起こっていました。四大文明が興ったところはどこも森が消え、荒地となり、いまだに荒地のままです。

・現在の日本の林業の危機を示している言葉に「卒塔婆からかまぼこ板までドイツ製」というフレーズがあります。ドイツ製の丸太は日本まで運んでくるのに運搬費が一本につき一万円かかります。それでも国産の木に比べれば安価で、割に合う。

・日本人は大きな仕組みづくりが苦手です。仕組みがなくても、多くの事柄では、その場その場で人が超人的にがんばって、なんとかしてきた。徹夜してでも、石にかじりついてでもがんばりぬく国民性が、逆に、大きな制度設計をする時の足枷になってしまっている。

・国内の木をほったらかしにしていて、森の知識もあまりない。海外の木を伐りあさっている現実も知らない。それでいながら、日本人は「自然にやさしい」とか、「自然にやさしくしよう」などと言っている。これこそが島国根性です。

・伝統文化を存続させていくためには、日常の中にそれが自然な形で入っていなければいけない。とってつけたような、不自然な接続では、十分な継承・継続はむずかしいのです。

・縄文時代の居住跡には、太い木があったことが知られています。ある時、建築家の藤森照信さんに、「縄文人は太い木を崇めていたんですか」と尋ねたら、笑われました。「石斧であんなに太い木が伐れますか」と言うんです。つまり、彼らの力では伐れなかったから、集落に巨木があったというわけです。

・どんな効用があるかわからなければ、行きたくない、というのはさびしい考え方です。そういう思いがまず頭にあるから、頭にあることしか体験できなくなってしまうのです。豊かな生活と言われながら、人生が貧しくなってきているのは、ここに一番の原因がある。

・「森を伐ってはいけない」という声が大きくなりすぎ、事態を深刻化させていきます。人工林は、木を伐りながら手入れをしなければならないのに、木が伐れなくなってしまったのです。「森の木をこれ以上伐ってはいけない」という掛け声は、じつは森にとって有害だったのです。

・真っ暗な森には何もいません。暗い森には、木の上から落ちてくる死骸を運んでいるアリしかいない。ぼくは、「そんなのは森じゃない、地下と同じだ」と言っている。



庭は手入れをするもんだ 養老孟司の幸福論

庭は手入れをするもんだ 養老孟司の幸福論

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2012/12/18
  • メディア: 単行本



タグ:養老孟司
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