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『アニメの魂』 [☆☆]

・日本政府肝入りのクール・ジャパンと呼ばれる産業振興政策は「男性ギーク文化」に偏重しており、結果として若い女性の創造性を殺している。

・国際的なインパクトを誇りながらも、日本のアニメ制作はいろいろな意味で家内工業の域を脱していない。

・プラットフォームは力を与えてもくれるが、束縛もする。どう転ぶかは人それぞれだ。

・社会的な影響力は三次の隔たりを通して展開するという。私と友達の間には一次の隔たりがあるということなので、三次の隔たりといったら四人の人間のつながりを指すことになる。

・禁煙、体重の増減量や政治的意見といった行動は、この三次の隔たりを介して伝播しやすいと解説している。私たちの思考や行動はそれぞれが三次の隔たりを介した友達の友達の友達の考え方によって左右されている。

・日本アニメの居場所が世界中にあるのと同様、日本にもヒップポップの居場所がある。

・ニッチからマスへの飛躍は、まずニッチからニッチという変化から始まるのだ。ネットワーク化された複数のニッチの集合的運動であるという見方は、恐らく「マス(mass)」という言葉をより正確に表しているのかもしれない。

・虫プロのスタッフは30分番組を2000枚以下で作ろうと腐心した。東映アニメーションの場合は1枚のセルを2コマ撮影したが虫プロは1枚で3コマ撮影し、さらにズームやパンといった効果によって1枚のセルでも動きの幻想をつくり出した。

・豊富なマンガ原作以外にも存在するライトノベルやゲームなどの原作ネタの宝庫によって日本のアニメ制作会社は当分安泰を持続できるのも確かだ。

・マンガは、例えば映画や音楽や文学のように、駄作なのにCMや書評などによってヒットするということが殆どない。なぜならマンガ読者は、雑誌購読や立ち読みなどを通して容易に実物に触れられる。だから、そうそう宣伝者や紹介者に操られたりはしないのだ。

・セミプロがほぼ無限に存在する国で描き続けるプロのマンガ家が感じるプレッシャーは想像を絶する。

・商品は情報的になる。仕事は情動的に、財産は知的にそして経済はもっと一般的な文化的なものに変わる。

・写真や映画は「現実に直接触れてその痕跡を像として残すインデックス型メディア」なので、アナログ・メディアは参照可能な定点、すなわち「同一性と歴史」を固定する。対してデジタル・メディアは「現実を記録するというより、生成する」。

・反乱指導者を殺しても流血は終わらない。でも大勢が終わると信じている。その一因として、私たちがアクション映画から吸収するものが挙げられるのかもしれない。『ダイ・ハード』の主人公が悪役を倒せば映画は終わる。現実の戦争はそうはいかない。

・後に成果を残さない革新には意味がない。

・インターネットの普及によって、競争の範囲はますます世界規模になり、同時に国内のテレビ局が内容を決定する力は弱くなっていく。

・スタジオの名前にある4℃は、水の密度が最も高くなる温度。

・宇宙を拡散させ、銀河系同士の距離を押し拡げる目に見えない力に因んで「ダークエネルギー」と呼ぶものだ。それが及ぼす影響は観察できるが、現在の理論体系では説明できないというダークエネルギー。

・ファンをコントロールすることはできないが、怒らせてしまうのは簡単だ。最良の反応は無反応であると知っているのだ。

・VTRの登場が映画産業を破滅に導くという危惧は、結局間違っていたという顛末だ。1990年代後半までには、ビデオとDVDの売り上げが映画製作会社の歳入のほぼ3分の2にのぼっており、興行そのものから得られる収入をはるかに超えていた。

・もしサラリーマンが日本の経済に寄与する生産性の一端と担う類型なのだとしたら、オタクは消費を通して違った視点で価値を創出する新しい男性像の類型なのではないか。

・技術的なプラットフォームはしかし、人々がエネルギーを注ぎ込まなければ動かないのだ。そして、時が経つにつれ、注ぎ込まれたエネルギー自体がプラットフォームを形成していく。





アニメの魂: 協働する創造の現場

アニメの魂: 協働する創造の現場

  • 作者: イアン・コンドリー
  • 出版社/メーカー: エヌティティ出版
  • 発売日: 2014/02/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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