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『ゾンビ学』 [☆☆]

・ゾンビは人間に襲い掛かる存在であると同時に、実は人間から危害を加えられてしまいやすい存在でもある。

・セキュリティの脆弱性が放置されているため、システムを使っている人々に重大な損害を与える。このような状態になったオープンソース・ソフトウェアのことを「ゾンビOSS」と呼んでいるのだ。

・OSSは2000~2005年に成長期を迎え、2006~212年に停滞期となり、2013年からゾンビ期に入り、OSSの脆弱性による問題が表面化しているという。

・電子メディアと比較した際の紙メディアの一つの利点はここにある。すなわち、コンテンツを再生するための特定のメディアが必要ない点だ。

・移動中にもスマートフォンから目を離せない人間は、情報に対する過度な集中という意味では、ある種のゾンビなのかもしれない。

・このシステムが面白いのは、保菌者(ゾンビ)と生者を「一定期間スマホが操作されていない」などのいくつかの条件で区別することだ。

・ゾンビは、メディアが衝突する際に活発化し、新たなメディアに乗り移って感染し、増殖する、文化的遺伝子を持った生命体のようなものだ。

・「インティメイト・ストレンジャー」とは、「メディアの上だけで親しくする他者」のこと。

・匿名かつ親密でない他者は「他人」であり、匿名でなくかつ親密な他者は「恋人」や「親友」などであり、匿名でなくかつ親密でもない他者は「顔見知り」である。そして、これらいずれでもない新たな他者関係として、匿名かつ親密である「インティメイト・ストレンジャー」が現れたという。

・アーケードゲームをデザインする際、初心者プレイヤーのプレイ時間が三分程度になるようにするという。それは、プレイヤーに、プレイ料金を「もったいなかった」と思わせない程度にプレイを楽しませ、さらにお金をかけて挑戦したくなる程度に満足させることかできるからである。

・我々がゾンビをどのように扱うのか、それは、我々が「他者」をどう扱うのかを浮き彫りにしてくれる。

・ゾンビ・コンテンツでは、ゾンビに噛まれた人が、人間である間に死にたい、と言うシーンがよく描かれる。自分や他人が「人間ではないものになる」ことに対する恐怖である。

・自分に身近にいて理解可能だった人間が、そうではないものに変貌する「他者化」は、実は現実世界にもありふれている。洗脳やカルト的な思想への傾倒、あるいは、認知症などによって、現実でも起こり得る事態だ。

・意図的か非意図的かに関わらず、10人以上に感染を広げていく保菌者のことをスーパースプレッダーと呼ぶ。

・破壊されていく「日常」にともなって、「日常に順応していた人たち」は力を失っていくことが多い。

・つまり、自分を撮影する行為が常態化している人物なのだ。そこには、人に見せるための「演技」が存在する。

・ゾンビは日常のメタファーともとることができる。画一的な価値観を持ち、画一的な反応しかしてこないゾンビ。

・「行動こそ命」であり、決断せずに引きこもっていても事態は解決しない。

・多くのゾンビ・コンテンツでは、仲間や家族がゾンビになってしまう悲劇が描かれる。そんな時、決まって「○○はゾンビになんてならない」と仲間や家族の特別性を主張する。

・二者が求める同質性は似ているが異なっている。ベスは一緒にピクニックに行く、という経験の同質化を望み、エブリンは相手の趣味や価値観を変えさせようとする性質の同質化を望む。

・画一的な価値観に支配された社会は、ゾンビであれ、人間であれ、硬化し、不幸なものを生み出す。

・個が独自性を保ったまま、社会性を持ち、生活を送っていく、これが自律という状態であろう。

・自分の生きる意味は喪失しつつあり、他人の記憶や思い出を食らいながら生活している。twitterやFacebookといったSNSを通じて、他者の生をうらやみながら生きている現代社会のコミュニケーション状況の比喩といるのではないだろうか。

・お客様意識、消費者意識の前景化とでも言おうか、「自分が喜ぶものを持ってこい」という態度である。

・何に対しても「不謹慎」「価値がない」「レベルが低い」などと述べ、訳知り顔で叩いておけば良い、批判しておけば良い、という態度にも出くわすことが多い。



ゾンビ学

ゾンビ学

  • 作者: 岡本 健
  • 出版社/メーカー: 人文書院
  • 発売日: 2017/04/18
  • メディア: 単行本



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