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『戦争と虚構』 [☆☆]

・そこにあるのは新たな「戦前」――その場合の「戦争」が何を意味するかはいまだ不透明であるとはいえ――の空気であり、災厄の予兆に満ちた気配である。

・五感を研ぎ澄ませて、時代の空気に沈潜することで、ありうべき最悪の道筋を先取りし、それに抵抗するための道を発見する。それが時評の意味だろう。

・監督やスタッフによっては決してコントロールのできない風景や背景、あるいは無意識のうちに捉えた細部などが画面の中に映り込むことがある。そのことが映画の豊かさを支えてもきた。

・教育的監督や、無理強いして真理の道へ向わしめるのではなく、娯楽を集団教育の武器とすることができるし、しなければならない。

・人々の脳の意識構造を決定しているにもかかわらず、本人がそのことを自覚できない領域を「潜在認知」と呼び、潜在認知を動かす原理は「情動」であると述べる。

・今や、メディアやネット上の人々の正義感や懲罰的な感情をうまく刺激し、情動を煽ってコントロールし、カスケード的な炎上政治を広がせていく、などの戦略も当然のように行なわれているわけである。

・第二形態が「より現実に近い虚構」だったとすれば、第三形態は「より願望に近い虚構」である。

・プリヴィズとは、「プリ・ヴィジュアリゼーション」の略であり、映画本編の実制作の前にあらかじめ簡易な映像を作り、視覚化していく工程のことである。

・私たちは忘れる。何もかもを忘れながら幸福に生きていく、何を忘れたかもわからないままに忘れていく。

・たとえ「世界を変える」ことはできなくても、「世界に変えられない」ための戦いを続けるということ。「まとも」で「当たり前」でい続けるために。

・この世界には今も、戦争や内戦が溢れている。しかし、日本国内の空気の中では、戦争についてまともに思考することすらできない。

・ありうべき戦場には、きっと、フェイクな優等生的なお友だちなどではなく、君にとっての本物の同胞=戦友たちが待っているだろう。

・大人として生きるならば、多かれ少なかれ、何らかの組織のメンバー(犬)になるしかない。

・完璧に自由な一匹狼にもなれず、組織の飼い犬にもなりきれないのであれば、せめて、無力さに負けて不満と絶望を吐き散らす負け犬にだけは墜ちずに、「永遠に彷徨う犬=野良犬」であり続けよう。

・その方法は「パッケージング」(視聴者が強い関心を抱く映像情報の編集)や「洪水による操作」(視聴者を釘付けにできる映像情報を大量に流すことで、メディアの独自取材を封じる)である。

・情緒のみに流れ、心情的に共感されてしまったのでは元も子もない。覚醒させたいのであって、酔って貰っては困るのである。

・ゲーム的世界を生きる戦闘美少女たちの「アサルトガールズ」。

・「何かを愛でることでかろうじて自分の魂=ゴーストを維持する」ことでしか生きられない人々の心理を、激しく撹乱する。

・僕は自分の日常生活をキープしつつ「戦争反対」と叫ぶのは違うと感じて、市民運動からは早々に去った。

・カフカの「君と世界との戦いでは、世界に支援せよ」という有名な言葉。

・バセットは本質的に「コントロールできない犬種」なのだという。それはいい意味で「馬鹿」であり、訓練が通じないから、何をするかわからない、という意味である。

・私たちはきっと、他人の自己犠牲が大好きなのだろう。あの人たちは、国民の幸福のために自己犠牲してくれている、と――逆に言えば、被害者や犠牲者が何かを自己主張しはじめれば、過剰なバッシングの対象となっていく。

・日本は確かに雑種文化かもしれないが、それはむしろ「雑居」というべきものである、「異質的な思想が本当に交わらずにただ空間的に同時存在している」に過ぎない。

・PTSDの症状の一つとして、トラウマとなる出来事の再演や再演技化(リイナクトメント)と呼ばれるものがある。たとえば性的虐待を受けていた人が、のちに、自主的にセックスワークの仕事に就いたりする、というケースである。かつて回避も抵抗もできなかった暴力を、半ば無意識に再演し反復することで、状況をコントロールしうるものへと改変し、傷を乗り越え、生きる力を回復するということ。

・インドネシア当局から、被害者や犠牲者への接触を禁じられてしまう。そこでやむなく、取材対象を加害者たちの側へと変えた。すると、驚いたことに、ジェノサイドの加害者たちは嬉々として、過去の自分たちの殺人行為を再演し、再現してみせたのである。これが映画『アクト・オブ・キリング』(2012年)として結実していく。

・せめて、人間らしい罪悪感くらいあってくれ。

・多くのハリウッド映画を観て、そこから人間の殺し方や残酷さを学んだのである。映画以上に効率的な殺人法を自己流で編み出していった。映画の中のスター以上のスターでありたい。そうした映画的な欲望があった。

・ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかった「かも知れない」ことこそが悲劇なのだ。

・見たいものだけを見がちなインターネットは今や、従来の人間関係(強い絆)を強化する「階級を固定する道具」になりかねず、むしろ観光旅行やモノとの偶然の出会い(弱い絆)によって、自分が属する環境を書き換えていくべきだ、と主張する。

・何かをつかむことを学ぶ子供がボールにも月にも手を伸ばすように、いまや集団の神経を隅々まで働かせようと試みる人類は、手近な目標を目指すだけでなく、さしあたってはユートピアと見える目標をも、視野に収めるものである。

・しかし周囲は、出来事が終わった後になって、機長のミスを執拗に粗探しする。最近は家族環境に問題はなかったか、夫婦仲はどうだったか、という疑いすらかけられる。まるで乗客を救ったことが間違いだった、とでもいうかのように。

・周りの人々は事後的な視点から「こうしていればよかった」「あり得たかもしれない選択肢」によって責め立てる。



戦争と虚構

戦争と虚構

  • 作者: 杉田 俊介
  • 出版社/メーカー: 作品社
  • 発売日: 2017/11/30
  • メディア: 単行本



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